日本人としてのアレ。

通りすがりで会ったなら、その出会いを大切にしたい

『人のブログを読んでいると』

2012-02-22 | その他
人のブログを読んでいると、「この人は本当にバカなんだなぁ」とか、「この人は頭いいな」とか、「丁寧な人だけど、嫌味な人だな」とか感じる。

僕は、人間が外に出るときに着る、あの洋服ってやつを面白いと思っていて、人間は洋服を着ると、脳みそが裸になっていく。

何度か、このブログでも書いてきた。

洋服のサイズや、色合い、柄、質感。
全てを総合していくと、なんとなくその人の考えていることがわかる。

例えばスーツにしても、クシャクシャのスーツを着ている人に対して「この人、仕事が出来そうな人だな」とは誰も思わないだろう。

しっかりと全身コーディネイトが出来ていて、ファッション雑誌から飛び出してきた様な着こなしをする人に対しても、それなりに感じる事があると思う

洋服を見ているとそんな小さな「気付き」が、ある。

文章も同じだ、何度か読み返さないと理解できない文章や、初めに書こうとしていた内容が一つの文章の中で変わっていってしまっている文章。

そんな文章を書いている人の記事を読むと、「自分で読み返さないのかな?」と思う。

たぶん、読み返してないんだろう。

自分の書いた文章が「どう思われようといい」と言った無責任さを、誤字脱字の中に感じてしまう。

文章力が低下していく人の原因として、ブログには写真を載せられるからだ。

写真を載せて、「こんなに美味しそうでしょう?」と言えば、誰かからの記号的な「美味しそう!」と言うレスポンスが来て、それで満足。

これでは、文字の面白さが全くない。

文字の面白さって言うのは、その文章を読んでいると、色が想像できたり、音楽が聞こえてきたりする事だと思う。

例えば【昨日、クラブで凄い可愛い子がいて】と言う文章には、色がない、あるとすれば、勝手に想像されたクラブの灰色の壁だけた。

それが【昨日、ヒップホップが爆発してるクラブで、そこには似つかない黒髪の可愛い子がいて】と言うと、音も流れてくるし、その女の子の事が想像できる。

あえて彼女の服装は書かなかったけど、「そこには似つかない」と書く事によって、派手な服装を想像しないだろうし、彼女のタイプも分かると思う。
誰かに、連れてこられたのか、と背景まで想像したくなる。

自分が見たものを、写真で撮ってみせるのは誰でも出来るけど、文章だけで伝えていくのはとっても難しい。

いや、実は簡単だ。

自分が読む人の側になって、「何も知らない人」になればいい。

それは、人を思いやることと同じ。

「こういう風に書かないと、ちゃんと伝わらないな」って言うのを理解してあげないと、全部は読めない。

自分勝手な文章を書く人が多くて困惑する。

自分のブログに責任を持って書き上げている人は、そのブログに来てくれた人に対して、「おもてなしの心」を持って接してあげて欲しい。

それが、『日本人としてのアレ。』なのです。
コメント
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