*「心と仕事のために」
「聞く力」「対人力」 宮本常一著「民族学の旅」 斉藤 孝氏のエッセイより抜粋
「初対面の人に話を聞く達人」と言われたのが2007年に生誕100年を迎えた、
民族学者の宮本常一であるという。
めまぐるしく変化する現代において、生身の人間を前にした時は、初対面の人でもグッと
鷲掴みにするような何かが必要だ。現代のネット社会に生きる私たちは、知らないうちに
生身の人間とのコミュニケーションスキルを、低下させているのではないだろうか。
これは何も若者や学生に限った事ではない。
彼はアカデミズムの中心にいて、学問をリードしたわけではない。主流と言うよりは傍流
にいた。だが彼が残した膨大なフィールドワーク、聞き取り資料は、現在、再注目されて
いる。
どれだけ旅したか。本人曰く、1年のうち最高で「274日、旅をした」と言う。
宮本常一が他の民俗学者と決定的に異なる事、それは氏が日本全国を自分の足で歩き回
ったことだ。しかも「泊めてもらった民家は千軒を越えている」と言う。
氏はその土地の民家に泊まり、古老のはなしを書きとめたのだ。現代版「田舎に泊まろう」
所ではない。
宮本常一の民族学には、その地域の文化的な伝承が登場するわけでもない。登場するのは
その土地で生きる平凡な生活者達である。だがその平凡な人達にも、歴史がある。語るべき
世界がある。それを残したいと氏は考えた。
【私はよく調査に行くとか、調査地などと言っているけれども、実は正真正銘のところ、
教えてもらったのである。だから話を聞く時も「一つ教えてください。この土地の事につい
ては、私はまったくの素人ですから小学生に話すようなつもりで教えてください」と言って
話を聞くのが普通であった】「民族学の旅」より
宮本は決して偉ぶらなかったと言う。「名刺を出す事も、調査の大義を述べる事もよしとし
なかった」と言う。
ではどうやって、目前の生身の人間の懐に飛び込んだのか。他人には話せないような内容
を聞き出せたのか。
『人はみんな、話したい事を持っている。その人が話そうとしている時は、じっと聞いたら
いい』と言っている。氏の民俗学を成立させた根本とは、実は「聞く力」だったのだ。
つまり、「問わず語り」。余計な質問も一切しない。相手の気の向くまま、進んでいく話を
頷きながら聞いていく。自分をアピールするのではなく、むしろ相手から相手の思いを聞き
出す。これが、発対面の人の懐に飛び込む極意で、対人力あるといえる。
以上を読んだ時に、やはり自分として感じ入るところや、反省するところ多く感じ、皆さん
にも何か考えるところありそうではないかと思い掲載しました。
人と人とのよい関係を結び、初対面の人とのコミュニケーションを図る極意である。と思いま
す。
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