一言、言わせて。
「体罰」もいい想いで
今回の体罰の裁判で、判決結果が出ましたが私は良い結果の判決と思います。
先生が胸倉を抑えて壁に押し付けたことに対する体罰か否かの裁判でした。私に言わせれ
ばまだまだですよ。小学校のときはバケツに水を張って両手に持たされて廊下で立たされ
ました。中学校ではダルマストーブのジュウノウで頭を叩かれたり、算盤の玉のほうで頭
をグリグリされたりしましたが、今ではそれも学校時代の想い出の一つです。親であれ、
先生であれ言葉で言っても、わきまえない子供をしかるのは当たり前のことで、何度注意
しても判らない場合は体罰しかありません。現在の体罰に関する通達は「殴る蹴る」身体
に対する苦痛を与えることを禁じたもの、と言うことだそうです。しかし、これも曲解さ
れて、教室で騒ぐ子供を立たせるといった当たり前の指導も「苦痛」「人権侵害」などと
子供や親が文句を言う例が多いのだそうです。このようなことを原点に戻って考えてみま
すと、子供の態度とか礼儀、挨拶などの生きてゆく最低の常識は家庭で親が躾けるのが本
筋の話ではないでしょうか。学校は勉強や共同生活を教える場であって躾を教えるところ
ではない。現代の親は、自分のしなければならない躾の義務を放棄して、何でも学校の
(せい)
所為にして自分の主義主張だけを突っ張り、なんでも人の所為にするというような風潮に
あります。これでは先生は萎縮してしまいまともな教育は出来ないのが現実です。
誰でも、言葉で注意しても素直にわきまえない子供に対しては体罰で挑むほかないでしょ
う。何も悪いことをしない子供を叱る先生はいません。
痛い思いをしなければ判らない子供には痛い思いをさせるほか方法はないと思います。
もっと現場の先生が教育に専念出来るよう、先生と親と子供が協力し合わなければ益々
教育現場は荒廃してしまうのではないでしょうか。
低年齢の犯罪が増加している現状、みんなでもう一度考えるときがきています。