「因縁」について
「縁起観」
原因があって、それがある「縁」に触れて現象として現れる。
この世の全ては「因縁」によって生じ、絶えず変化している。
「縁」:目に見えない大切なもの。
目に見えずとも日常私どもが使っている言葉に「心」が
あります。
誰も確かに「心」の存在を疑わず見ているように話します。
「心がきれい」「心が痛む」「心が広い」「心の病気」など、
何気なく使っています。
「因縁」も見えないものですが、いろいろと使われています。
あまり良いほうに使われていません。
「縁」となるとちょっと違います。「・・・は何かの縁ですね」な
どと使われています。
これも、目に見えませんから捉え所の無いものです。見た
事も、触れた事もない、そんな訳の分からないものだけれど
も言葉としては、皆さん良く使っているではありませんか。
「縁があって結婚しました」「彼とは縁があって」とか、良い
事については盛んにこの言葉 は使われるようです。
ならば、「因縁」も同じように考えてもらいたいのです。
「因」は、元になる原因。人や物の性質の事。それが縁に触れて
現れてくる現象なのです。
私共は、誰でも、何事につけても「縁」があるから人や物に出
会って、自分にふさわしい物事を起しているのです。
人はまさに、この繰り返しで生きているようなものです。