心のよりどころ。毎日が日曜日。

恩師に人のために生きることを学びました。
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「因縁」について

2008-05-31 13:23:07 | 生きる智慧

「因縁」について

「縁起観」
  原因があって、それがある「縁」に触れて現象として現れる。

  この世の全ては「因縁」によって生じ、絶えず変化している。

「縁」:目に見えない大切なもの。

    目に見えずとも日常私どもが使っている言葉に「心」が

        あります。

    誰も確かに「心」の存在を疑わず見ているように話します。

       「心がきれい」「心が痛む」「心が広い」「心の病気」など、

        何気なく使っています。

    「因縁」も見えないものですが、いろいろと使われています。

        あまり良いほうに使われていません。
         
    「縁」となるとちょっと違います。「・・・は何かの縁ですね」な

         どと使われています。

    これも、目に見えませんから捉え所の無いものです。見た

        事も、触れた事もない、そんな訳の分からないものだけれど

    も言葉としては、皆さん良く使っているではありませんか。

    「縁があって結婚しました」「彼とは縁があって」とか、良い

    事については盛んにこの言葉 は使われるようです。

      ならば、「因縁」も同じように考えてもらいたいのです。

「因」は、元になる原因。人や物の性質の事。それが縁に触れて

   現れてくる現象なのです。

   私共は、誰でも、何事につけても「縁」があるから人や物に出

   会って、自分にふさわしい物事を起しているのです。

   人はまさに、この繰り返しで生きているようなものです。


忌まわしい世の中

2008-05-27 16:57:43 | 社会・経済

毎日のように殺人事件・天災・人災のニュースが報道されています。

何故こんな世の中になってしまったのでしょうか。

私は、第一に戦後教育の問題ではないかと思っています。

両親・先生・目上の人に対する敬意の欠如。それは、平等

感を謳った民主主義の解釈の誤りと思います。

そして、全てが学力主義の問題。また、最近は企業の利益

追求のみのリストラ政策。人々は戦々恐々となり自分の事

しか考えられなくなり、自分がよければ他人のことはどうでも

いい。そんな考えが蔓延り、それにより周囲の人とのコミニケーション

の不足となり、ギスギスした人間関係が様々な問題を起していると考えられます。

人は一人では生きてゆけないのです。支えあって生きるのが人生です。


誰でも出来る「無財の七施」

2008-05-27 16:31:32 | 生きる智慧

布施行は難しいと思わずに誰でも出来る布施行を紹介します。

財産が無くても出来る布施行

「無財の七施」:「雑宝蔵経」巻第六に記されている。

「七種の施有り。財物を損せずして大果報を得る」

1)眼施:常に優しい目つきで、両親・目上の者・知恵者〈宗教家〉

 を見る事。

2)和顔悦色施:常ににこやかに、決して嫌な顔をしない。

3)言辞施:常にやさしい言葉を用いて、決して荒い言葉を用いない。

4)身施:常に迎える時は、必ず立って迎え丁寧に礼をする事。

5)心施:常に心から充分の供養の気持を表現する事。

6)床座施:常に両親・先生・出家者・知恵者(宗教家)に対し、敷物を

    出して座らせる事。

7)房舎施:常に両親・先生・出家者・知恵者に対し、自由に自分の家

  への出入をさせる事。

以上が、誰でも出来る「無財の七施」(むざいのしちせ)の内容です。

これなら実行出来るでしょう。これにより幸せになれるなら即実行

あるのみです。


「布施行」について

2008-05-18 13:08:42 | 生きる智慧

「布施行」について

「六波羅蜜」の教えの中に「布施行」があります。

「布施行」には三通りの方法があります。


1)財施・・・お金や物を他の人に施す。

2)身施・・・身をもって他の人に奉仕する。

3)法施・・・仏(釈迦)様の知恵を他の人に教えてあげる。


そこで一番大切なことは、「布施の心」です。喜んで布施をしな

ければいけない・ ・・、と言う事なのです。「喜んで布施する心」

を起してください。

「布施」とは

」:「ぬの」と言う字。意味は「広く多くの皆さんに行き渡る様

に」という気持の意があります。ですから、一人でも多くの人の

為にという気持で布施をしてもらいたいのです。

」:「ほどこす」と言う意味ですから、自分の欲得を離れて布

施させて頂くそういう気持で布施すると、布施が綺麗なものにな

って、良い結果が表れてくるのです。


自分の「器」について

2008-05-18 13:00:02 | 生きる智慧

「自分の器」について

器量、器の分だけ自分の物になる。

当然お金が入ってくる事になっているのに、問題が生じてお金が

入ってこない。幾ら稼いでも、家族の病気やら、子供が使ってし

まうやらで残らない。

「徳分」が一升枡でしかないのに一升五合入れようとしている。

当然、五合分は減らされてしまうのです。克服するには「徳分」

を増やす事です。(前記事参照)

「徳の過剰」とは

保証人になって、相手が失敗するとその借金を払わされる。

それは自分が罪を認めたから払うのです。でも払うお金は、自分

では一銭も使ってないですね。一銭も使ってないお金を何故払わ

なければならないか?「徳が過剰」してしまうと起きてしまう問題で

す。「徳が過剰」すると、「保証人になってください」、「金を貸して

ください」等と言われます。

自分の器、「徳分」の中でやっていると、少しもそう言う人は寄って

来ないものです。

「徳の過剰」の人は「寄付」すれば良いのです。金額の問題ではな

く一円でも良いから、心からやらせてもらう、要は気持なのです。

これが「布施行」です。