12月30日、あと一日で今年も終わりですね。今日は先祖の
墓参りとお寺さんへの挨拶に行って来ました。結構多くの人が
墓参りに来ています。
墓石を洗って花と線香をたむけて、今年一年無事に過ごせた
ことに感謝して手を合わせてきました。皆さんも出来れば年末
・年始の墓参りをしては如何でしょうか。
明日は朝から蕎麦打ちです。
皆さんもどうぞ良い年をお迎えください。来年も宜しくお願いい
たします。
12月30日、あと一日で今年も終わりですね。今日は先祖の
墓参りとお寺さんへの挨拶に行って来ました。結構多くの人が
墓参りに来ています。
墓石を洗って花と線香をたむけて、今年一年無事に過ごせた
ことに感謝して手を合わせてきました。皆さんも出来れば年末
・年始の墓参りをしては如何でしょうか。
明日は朝から蕎麦打ちです。
皆さんもどうぞ良い年をお迎えください。来年も宜しくお願いい
たします。
今年も残り5日となってしまいました。皆さん今年は如何な年で
あったでしょうか?
日々の経過は早いものです、あっという間の一年だったような
気がします。いろいろな出来事が沢山ありました。何とか無事
に過ごすことが出来たことは、ありがたい事ですね。
今年は師走の23日に一泊で友人と温泉に行ってきました。
周辺の騒音に惑わされることなく楽しんできました。近年では
覚えのないことです。でも行ってきて良かったです。
「忙中閑あり」です。多くの皆さんとの出会いがありました。
これが私の宝です。生きがいです。
来年もまた、社会情勢に惑わされることなく、多くの方々との
出会いを楽しみに過ごしたいと思っています。皆さん、来年も
宜しくお願いいたします。
*莫妄想 (まくもうそう)
欲しがらない、選ばない 「伝灯録」
妄想とは、現実からかけ離れた空想、夢想のことで、正しくない
考えを言います。
人間には善い心を毒する三つの煩悩(ぼんのう)があるとされま
す。貪欲・瞋恚(怒り)・愚痴(どんよく・しんに・ぐち)の三毒。この
三毒と合わせて、五欲(財・色・飲食・名誉・睡眠)からくるさまざ
まな欲望、そこから生まれる人間の煩悩妄想は尽きることは
ありません。日常生活のなかで多かれ少なかれ、私たちは妄想
に支配され、惑わされています。もし禅を学ぼうとするならば、
座るだけが座禅ではありません。決まった作法や形にとらわれ
るならば、それは禅でもなければ仏の道でもありません。禅の
道では、悟ろうとか真理体得をしようと、はからい執着する心が
すでに妄想なのです。作法通りに座禅したからといって、それは
悟りの道へ至ることにはならないのです。
人間にとって煩悩妄想を完全に消し去ることは、確かに難しい。
けれども、日々の生活の中で、自分の様々な欲望・妄想と向き
合い、乗り越えていこうとすること、そのことがすでに禅の修業
なのです。
この様に自分をより啓発するには、何にもこだわることはない
のですね。日々の生活の中で自分に向き合い問題に向き合っ
て乗り越えようとすることが修行なのですね。
人生の禅語
*一大事 (いちだいじ) 今この時を「大事」に
事件や事故にあって「大変だ」と慌てふためくことを一大事と言
いますが、禅者は、仏教でも最も大切なことを一大事と言います。
仏がこの世に現れ、教えを説いた意義、人が生まれた意義や
「自分と言うもの」が何かを明らかにすることこそが、いちばん大
切です。
道元禅師が「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」
と説いたように、人間の一生は結局「どう生き、どう死ぬか」を考え
ることです。一生という時間をどう生きるか私達はこの世の生まれ
た日から問われ続けているのです。
禅僧の正受老人は、「一大事と申すは今日ただ今の心なり、それ
を疎かにして翌日あることなし」と言っています。
今日という日はまさに今しかありません。この瞬間も、今日という
日も、二度と帰ってくることはない。日々を空しく過ごすのは、時を
捨てるのも同じこと。今という瞬間を大事にすることが、善く生きる
ことなのです。「一大事」は、まさしく今日、ただ今の心です。
以上のように説いています。自分の生き方を省みて、今を大事に
生きて行こうではありませんか。私は反省の心のみです。
師走にもかかわらず暖かい日が続きましたが、いよいよ大陸に寒
波が押し寄せて着ました。
本格的な冬が来ようとしています。今年は暖冬という予報がでてい
ましたが本当ですかね?
今度の寒さも週末が底でしょう、と言うことを言っていました。
いずれにしても冬は寒く夏は暑いのが自然でしょう。地球温暖化
の影響でいろいろな変化が起こっている様子です。これから、どう
変化してゆくのか心配です。