今日で9月も最終日です。「暑さ寒さも彼岸まで」と
言いますが、その通りですね。秋分の日以来天気は
不安定で、この頃は毎日雨が続いています。
涼しいと言うより寒い感じです。今日もまた朝から冷
たい雨が降り続いています。秋の長雨?ですかネ・・
これからは秋本番です。レジャー・食欲・読書の秋と
言われています。今年の紅葉はどんなものか楽しみ
です。
時機を見て紅葉狩りに出かけようと思っています。
皆さんも日本の四季を楽しんでみてはは如何ですか。
今日で9月も最終日です。「暑さ寒さも彼岸まで」と
言いますが、その通りですね。秋分の日以来天気は
不安定で、この頃は毎日雨が続いています。
涼しいと言うより寒い感じです。今日もまた朝から冷
たい雨が降り続いています。秋の長雨?ですかネ・・
これからは秋本番です。レジャー・食欲・読書の秋と
言われています。今年の紅葉はどんなものか楽しみ
です。
時機を見て紅葉狩りに出かけようと思っています。
皆さんも日本の四季を楽しんでみてはは如何ですか。
苦しみからの脱却
毎日を苦しみ・悩み・迷いながら、心のふれあいもまま
ならず、個性を埋没させて生きてる。
そんな現代人のために“おおらかに生きるための知恵と
方法論”が見つけられる教本がこの般若心経なのです。
この世に人間として生を受け、成長するにしたがい、我
々の一人ひとりが、何かを成しとげようと念願しながら
も、知らぬ間に老いてゆくのが人生の姿なのです。
人間としてせっかく生まれさせてもらったのですから、
せめてこの世に生きている間に、自分が 生きていること
の本当の意味を考えて見ましょう。
『般若心経』は現代に生きる途を教えてくれる。
お経というと葬儀や回忌供養のときにだけ、と思っている
人が大半ですが。実は、お経は現世に於ける生きる指針を
示している教えなのです。たった262文字の中には、計
り知れない程の 深い人生指針が凝縮されているのです。
三蔵法師がインドから持ち帰り中国語に訳したものです。
三蔵法師は「玄奘三蔵」と呼ばれた 実在の人物。三蔵法師
と言う名前を聞くと、孫悟空たちと一緒に、天竺(インド)
までお経を受 取りに行った中国のお坊さん。と皆さんが思
い、知っていると思います。
「西遊記」はこの大旅行を記録したものです。
あなたも一緒に「般若心経」を紐解いて見ませんか?
春の彼岸、夏のお盆、そして秋の彼岸となりました。明日は彼岸の
入りです。
暑さ寒さも彼岸までと言います。これから過ごしやすい季節となりま
す。彼岸は御先祖の精霊を供養して、墓前に香華を手向ける。とあ
ります。
御先祖がいて両親がいて現在の自分が存在します。となると、やは
り御先祖様や両親には感謝しなければならないと思います。
感謝を込めて墓前に手を合わせ御先祖様をご供養しましょう。
今何故「般若心経」を多くの方が実践するのでしょうか?
それは、毎日報道される悲惨なニュースの多さに他なら
ないのです。皆がこのブッタの教えに添って生活すること
が大切なのです。
「般若心経」を紹介します。
何回となく般若心経を読んでいますが、毎回新しい発見
があります。今回から般若心経を 読んだ感想を書きたい
と思います。般若心経の本は数冊読んでいますが、誰に
でも分かり やすく記載されているこの著を元に御紹介し
ます。
正式には「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」と言います。
「仏」とはお釈迦様のことです。その お釈迦様が「説」
いた「経」なのです。それが「般若波羅蜜多」心経です。
お互い傷つけあい、迷い、苦しみ、悩むことの尽きない
私達の住むこの世(此岸(しがん) から、完全な悟りの
世界、すなわち、あらゆる煩悩の火が消え去った静寂な
世界(彼岸)へ 行くために必要な実践行のことが書かれ
ている経なのです。「摩訶」とは、人知も及ばない 意味
深い教えだと強調した言葉です。
誰も、心の中に傷を持っていたり、悩みを持っているもの
です、それはこの世に生きている限りは、決してなくなら
ないですから、この世に生きている間に「静寂な安らぎの
境地」に 到達すればよいのです。
その知恵と実践論が書かれているのが「般若心経」なのです。
観音の慈悲について
観音さまは、「正しい智慧に目覚めた者」である仏陀の
二大特徴である智慧と慈悲のうち「慈悲」を象徴化した
ものです。
「慈悲」とは、相手に喜びや楽しみを与え、同時に相手
から悲しみや苦しみを取り除くことを意味している。
しかもその慈悲の対象は、決して個人の人間ではなく、
生きるものすべてに対してであるということです。
観音の慈悲は、生き物を決して差別しない。
我々人間はどうでしょうか、「子供や孫がかわいい」「
恋人を抱きしめたい」とか、「オレの・・・」すべて自
分を出発点としている発想です。だから、相手に裏切ら
れたりすると、途端に愛が憎しみへと変わってしまうの
です。
衆生がどんな姿、形をしていようが、富める者のだろう
が貧しい者だろうが、そんなことには頓着しない。
この世で悲しんだり、苦しんだりしている衆生を救済す
るのが目的なのです。
お互いに感謝の気持ちを忘れずに、相手を敬う心で日々
を過ごそうではありませんか。