2008年も明日で終りです。社会的にも経済的にも激動の1年でした。
来年は平穏で活気ある年であることを祈願いたします。
本年1年間当ブログに多くの方がアクセスして頂きました事に深甚より
感謝申し上げます。来年も宜しくお願いいたします。
2008年も明日で終りです。社会的にも経済的にも激動の1年でした。
来年は平穏で活気ある年であることを祈願いたします。
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ハワイに伝わる癒しの秘法 ホ・オポノポノ 2
*それ自体の意識に任せて執着を捨てれば、すべて上手く行く
「執着」がさまざまな問題を引き起こす。執着を捨てれば解決するものです。
自分が変わらなければ世の中は変わらないのです。自分が思う結果に執着していると、良
い結果は出ません。こうなって欲しい、ああなって欲しいというのは自分の執着なので、
それを手放して、どっちでもいいという「空」=「ゼロ」の状態になったら一番いい方向
に物事が動き始めます。悟りがあるのです。
自分に起こった問題に対して「ゼロ」になってあるがままに受け入れて生きていれば病気
になる事はありません。しかし、さまざまな記憶に閉じ込められていて、ああでもない、
こうでもない、と言う生き方をしてしまうのです。こういう生き方をしていると最終的に
病気になったりします。
*身体から魂が抜け出す事が精神的障害の原因
うつ病をはじめ精神的疾患が増えていますが、このような精神が病む病気は魂と関係があ
ります。人に魂は顕在意識と潜在意識の中にあります。ところがそれが抜け出てしまう事
があって、それが精神障害の原因となっているのです。
現実世界で、凄く苦しかったり、悲しかったりすると魂が肉体にいられなくて抜け出てし
まう事があるのです。「うつ」の状態になって、魂が出て行ってしまうのです。魂が戻るこ
とが出来ないと、生きている感じがしなくなります。最終的の自殺願望に囚われることに
なります。うつ病の患者の目を見ると、瞳に命が宿ってない事がわかります。目の内側、
目頭のところに白く三角形になっている部分がありますが、魂が身体から抜け出ていると、
この三角形の部分がなくなります。この白い部分がない人は精神障害などの病気があるこ
とが多いです。
自分自身の潜在意識をクリーニングする事で、魂を肉体に戻してあげる事ができるのです。
*ホ・オポノポノの潜在意識のクリーニング法
ありがとう
ごめんなさい
許して下さい
愛しています
これらの言葉で、自分の潜在意識の中の記憶に感謝し、慈しむのです。難しく考えないで
・・・四つの言葉すべてでなくとも構いません。潜在意識の記憶にこの言葉をかけるだけ
で浄化され、潜在意識の記憶をゼロにしてくれるのです。しかし、記憶はすぐに蘇ってき
ます。そこで又記憶を浄化する・・・・と言うように繰り返さなければなりません。
四つの言葉は仏教で言う「感謝の言葉」と同じですね。
*親と子供の問題
子供は母親に課題を与えるために存在しているのです。それに母親が本当に気付いた時に
子供は子供の役割を終えることになります。
母親は母親で、子供は自分に課題を与えるために存在しているのだと気づけば、そこで
ゼロになります。
お母さんが自由になると子供の引きこもりなども解決するのです。自分をクリーニングす
ると子供が閉じこもっていても、お母さんがそれに反応しなくなるので、子供はそれを感
じ取って自分の行くべき場所へ、自分で行動し始めます。
子供も自分の人格を持っています、親のモルモットではないのです。子供の生き方を親が
自由勝手にすることは子供にとって最悪の状態です。執着を捨てて、自分自身が自由な気
持になると子供は自分の本来の能力を発揮します。子供を駄目にするのも母親です。
今現在、自分が感覚として捉えているような問題は、すべて過去に体験している事です。
そう感じることは、輪廻転生の中であなた自身がそれぞれ体験してきたという事になるの
です。経験していない事は感じられません。そういう記憶が潜在意識の中に蓄積されてい
るのです。それらの記憶を消去しない限り同じことの繰り返しです。
自分に起こるさまざまな問題は、自分自身に問題があり、その原因を探り前世からの因縁
の「縁」を断ち切ることをしなければ、後世に永遠と続いてしまうという事です。
潜在意識をクリーニングしてゼロにしなければ新しい出発は無いということでしょう。
400年前からハワイで受け継がれてきた方法は、仏陀の2500年もまえの教え「空」
の悟りと同じ事であるということに不思議な感じを受けました。ですから、この宇宙の真
理の教え(メッセージ)は一つなのだと言う事が言えるのではないでしょうか。
この本を読んで再度仏陀の教えとの重複を強く感じ、その教えを思い出しながら勉強させて
頂きました。ありがとう御座いました。
最後までお付合いをくださいましてありがとう御座いました。何か皆さんにも感じることがあっ
たでしょうか? では又、来年お会いしましょう。良いお年をお迎え下さい。
今回は、ハワイに伝わる癒しの秘法ホ・オポノポノを読んでみました。
皆さんどうぞ最後までお付き合い下さい。きっと何か見つかると思います。
文中の仏陀や仏教に関する事は自分の書き込みです。
みんなが幸せになる
ホ・オポノポノ ハワイに伝わる癒しの秘伝 イハレア・ヒューレン著
この著は人間の持つ潜在意識の問題について記してあります。潜在意識がすべての問題の
根元であるとの見解の基に解説されています。400年前よりハワイに伝わる秘法とされ
ています。
*セルフアイディンティ・ホ・オポノポノ
私たちの潜在意識の中の「記憶」が私たちの生き方を歪めていると考える。 世界が創造
されて以来、蓄積されてできたさまざまな記憶が、私達の行動、生き方に反映され、数々
の障害・苦悩を生み出しているのです。したがって、 その記憶を消してしまえば、その
ような悩み苦しみはなくなります。
潜在意識の中の記憶を消去する事をホ・オポノポノではクリーニングと呼んでいます。
記憶を消去する事により本来のあり方、生き方を取戻し、無限の自由、豊かさ、幸せを手
に入れることができる。と著者は言っています。
これは、2500年以上前のブッタの教えにある「無」と共通していると思います。自分
を「無」にする事によって悟りを開く教えです。 クリーニング=無
ホ・オポノポノはもともと400年前からハワイの人たちに伝わっていた問題解決の方法
です。
すなわち、個人がそれぞれ神聖なる知能と一体化し、インスピレーションを得る方法です。
神聖なる知能とは「命の源」を意味します。創造主もしくは神様、仏陀と言っても良いで
しょう。
私達の潜在意識は、宇宙が創造されてからすべての記憶にアクセスして、瞬間瞬間膨大な
記憶を立ち上げています。私たちが認識しているのは「顕在意識」ですが、その100万
倍の記憶が一秒間のうちに潜在意識の中で立ち上がっているのです。
その中の病気や事故、挫折、不幸など、過去のいまわしい記憶が私達の人生に反映されて
不幸な事を引き起こしているのです。
*100%自分の責任と考えないと何一つ解決しない。
どんな事に関しても、すべての原因が全部自分の中にあると気づいて、クリーニングする
人だけが自分本来の生きる価値を取戻すことができる。私たちは何か問題が起きたとき、
国がいけない、政治が悪いとか、あいつが悪いとか、自分にまったく責任が無いような言
い方をしてしまいがちです。自分の目の前にクリーニングする機会が来た時に、自分でク
リーニングしないで、私には関係ないと言ってそのままにしてしまったら、後で大きな問
題が起こることになります。自分が100%責任を取らないせいで、自分の子供、もしく
は甥や姪、さらには孫、親戚の誰かが責任を取らなければならないような事が起こるかも
知れないのです。100%自分の責任だということを納得してクリーニングし続けると、
問題は自然に解決してしまいます。
仏陀の教えにも、さまざまな問題の根元は自分にあり、自分で解決できない問題は起こら
ないと言われています。それに気づかないと永遠に問題の解決は出来ないのです。
*人間は潜在意識の色メガネで世の中を見て生きている。
先入観で判断し見ることは、本来見るべきものが見えなくなります。そういった、先入観
は自分で作ったもので、自分の記憶に基づいた見方なのです。
人間は、そういう色眼鏡で人を観ています。これは、病気にかかっているようなものです。
ですから、そういう記憶は手放してしまわなければなりません。
このように記憶を「手放すこと」=「クリーニングする」ということです。
私たちが日頃認識している心や頭の中の状態は「顕在意識」によるものです。本来あるべ
き生き方を妨げているのが「顕在意識」です。このネガティブな記憶の再生が、さまざま
な悩み、苦しみ、病気の原因となるのです。
*人は記憶を消去し続けるために、この世に生まれてくる。
潜在意識の記憶は100万あります。一秒のうちに100万の記憶が立ち上がっているの
です。さらに潜在意識の記憶は、この世の創造からの記憶にアクセスしています。それだ
け多くの記憶に動かされているのに、私たちはそれに気付くことができません。
その気付かない記憶に乗っ取られて洗脳されているようなものです。自分で分って行動し
ているつもりでも、自分を動かしているものがどういうものであるか、分っていないので
す。人は生まれた時から、潜在意識の記憶をクリーニングするために生きています。
仏教は「人はなぜ生まれて来たか、それは前世の罪(記憶)を償うために生まれてきたの
です、と教えています。人生の問題は、この世の創造からの前世の「業」によって起って
います。その念波によってさまざまな問題が引き起こされています。その前世の「業」を
取り除く事によって問題は解決するわけです。私たちはこの前世からの転生によって生か
されている事に気付かないのです。
さまざまな前世の「業」を解決する事によって、本当の人生を送る事ができるのです。
*心と生き方のために
「傍流でしか見えない大事な事がある」
前回「聞く力」を掲載いたしました。引き続き、民俗学者の宮本常一にまつわる
ところの続きです。
宮本常一は、アカデミズムの支流ではなく、役職に就いたのも晩年で人生の大半
は、食客として人の家で暮らしていたという。
21世紀に生きる子供たちが、「元気が無い」と言われるのは、子供達の心の中に
住む、他者が少ないからではないか昭和30・40年代は、祖父や祖母、近所に住
む人達が子供に声を掛けた。「こんな生き方をしなさい」、その子供の事を心から
思った言葉を投げかけたものである。
自分のことを本当に思ってくれている他者が、何人心の中に住んでいるか。この量
がその人の強さであり、魅力なのではないでしょうか。賢者の書物を私たちが読む
のは、他者の言葉を多く心に住まわせるという要素があるからだと思う。
宮本常一の中には、何人もの他者が住んでいた。例えば渋沢敬三(渋沢敬一の孫、
後に日銀総裁)小学校の教員だった宮本は、徐々に民俗学に目覚め昭和14年、
家族を大阪に残し、布団と着替えだけを持って上京した。
宮本には、「満州の建国大学に勤めないか」という依頼が舞い込んでいた。意気揚々
と上京した宮本に、出迎えた渋沢敬三は「行くな」。「君には学者になって欲しく
ない、民俗学の資料が乏しい、君にはその発掘者になってもらいたい」。
「日本中を歩き資料を収集せよ」と言ったという。
大学の職を得て、家族一緒に暮らせる好条件を渋沢は「呑むな」と言ったのです。
そして「大事な事は主流にならぬ事だ。傍流でよく状況を見ていく事だ」と。宮本は
『渋沢先生のこうしたこまごまとした人生的な配慮に、私は本当の師を得た思いを深
くした』と感服し、満州行きを取り止めたと言います。
途中、研究調査で名を上げた宮本に、数々の就職以来が持ち込まれたが、渋沢は、
「私に任せておけ」と言って、断っていたという。ようやく就職が許されたのは、
昭和38年武蔵野美術大学の教授職だった。この時宮本は56歳でで、その時を待っ
ていたかのように渋沢は他界したのである。
一見渋沢は乱暴なように思えるが、そうではない。宮本は渋沢のアドバイスに素直に
聞き従ったゆえに、今尚認められる民俗学者となりえたのです。師の言葉を素直に聞く
事も才能だ。渋沢と宮本の関係は、コーチとプレイヤーだ。プレイヤーが頭を働かせ事
は大事だが、戦略は、視野の広いコーチに従ったほうがうまく行く。演技が上手いと評
される俳優の多くが、実は監督の指示に従っていただけたという事は良くある事である。
コーチ的存在の言う事を素直に聞くという事は、一つの才能なのであると言う。
宮本常一は、父母との関係も、コーチとプレイヤーのようであった。特に父の存在は大
きく、1週間も一人で旅をするような父であったが、各地で得た知識は息子に言って聞
かせた。「私の生きて行く為の方向を決めさせてしまったのは父だった」と言うくらい、
大きな存在だった。16歳の時、宮本は大阪へ出る事を決意する。
すると、父は、宮本に10の事を言って聞かせる。宮本はそれを忘れない様に書き留めた。
① 汽車に乗ったら外を見る(土地や暮らしの観察)
② 新しい土地では高い所に登れ(土地や道の掌握)
③ 名物料理を食べよ(土地の文化水準の掌握)
④ できるだけ歩いて見よ。
⑤ 金は儲けるより使うほうが難しい。
⑥ 30歳までお前を勘当したつもりでいるから、好きなようにやれ。
⑦ 困った時は帰って来い。
⑧ 親が子に孝行する時代だ。
⑨ 良いと思った事をやれ、失敗しても責めはしない。
⑩ 人の見残した物を見るようにせよ、その中に大事な物がある。
宮本常一にして、この父ありか。①~④は渋沢敬三が宮本に命じた内容そのままである。
渋沢の「傍流になれ」は、そのまま⑩ではないか。
宮本は、父の言葉を受けて、こう記してある『私は、この父の言葉に従って今日まで歩み続
ける事になる』これが、宮本常一という偉大な、民俗学者誕生の理由である。
現在の生活に於いて、目先の物事に一喜一憂して、名誉や役職に固守している現代人の生
き方に、何か考えさせられるのは私だけではないと思います。
子供の天性を知り、しっかりとした言葉を投げかけ、素直な人間形成に導く事の大切さを、
そして、主流にいる者には見えない何かを、傍流に立って見ると、本当の姿が見えてくると
いう。
現在、各方面に於いて主流にいる方に、一度、傍流に立って見直す大切さを教えているよう
に思われます。心と生き方のために・・・・。
*「心と仕事のために」
「聞く力」「対人力」 宮本常一著「民族学の旅」 斉藤 孝氏のエッセイより抜粋
「初対面の人に話を聞く達人」と言われたのが2007年に生誕100年を迎えた、
民族学者の宮本常一であるという。
めまぐるしく変化する現代において、生身の人間を前にした時は、初対面の人でもグッと
鷲掴みにするような何かが必要だ。現代のネット社会に生きる私たちは、知らないうちに
生身の人間とのコミュニケーションスキルを、低下させているのではないだろうか。
これは何も若者や学生に限った事ではない。
彼はアカデミズムの中心にいて、学問をリードしたわけではない。主流と言うよりは傍流
にいた。だが彼が残した膨大なフィールドワーク、聞き取り資料は、現在、再注目されて
いる。
どれだけ旅したか。本人曰く、1年のうち最高で「274日、旅をした」と言う。
宮本常一が他の民俗学者と決定的に異なる事、それは氏が日本全国を自分の足で歩き回
ったことだ。しかも「泊めてもらった民家は千軒を越えている」と言う。
氏はその土地の民家に泊まり、古老のはなしを書きとめたのだ。現代版「田舎に泊まろう」
所ではない。
宮本常一の民族学には、その地域の文化的な伝承が登場するわけでもない。登場するのは
その土地で生きる平凡な生活者達である。だがその平凡な人達にも、歴史がある。語るべき
世界がある。それを残したいと氏は考えた。
【私はよく調査に行くとか、調査地などと言っているけれども、実は正真正銘のところ、
教えてもらったのである。だから話を聞く時も「一つ教えてください。この土地の事につい
ては、私はまったくの素人ですから小学生に話すようなつもりで教えてください」と言って
話を聞くのが普通であった】「民族学の旅」より
宮本は決して偉ぶらなかったと言う。「名刺を出す事も、調査の大義を述べる事もよしとし
なかった」と言う。
ではどうやって、目前の生身の人間の懐に飛び込んだのか。他人には話せないような内容
を聞き出せたのか。
『人はみんな、話したい事を持っている。その人が話そうとしている時は、じっと聞いたら
いい』と言っている。氏の民俗学を成立させた根本とは、実は「聞く力」だったのだ。
つまり、「問わず語り」。余計な質問も一切しない。相手の気の向くまま、進んでいく話を
頷きながら聞いていく。自分をアピールするのではなく、むしろ相手から相手の思いを聞き
出す。これが、発対面の人の懐に飛び込む極意で、対人力あるといえる。
以上を読んだ時に、やはり自分として感じ入るところや、反省するところ多く感じ、皆さん
にも何か考えるところありそうではないかと思い掲載しました。
人と人とのよい関係を結び、初対面の人とのコミュニケーションを図る極意である。と思いま
す。