人生を癒す 百歳の禅語を読んで -6-
*思考の原点になる読書
考える事ができないのは、読書をしないから考えるテーマが浮かばないのです。
これが一番の根元です。皆さん読書は大切ですよ。大人も子供も読書しましょう。
*「希望」「生きがい」を見つける
当然の事柄に感動するところに希望が生まれる。と言います。
「生きがい」を見つけるには、どうやって見ればよいか。
目の前の淡々とした当り前のことをよく見つめる。その見つめ方によって生きがいが見つ
かる。と言っています。
その見方の一番目は、何でもない事柄から感銘を受けることです。感動と言ってもいいで
すが、当り前であるといって見逃してしまう前に、それをもう一度じっと見つめる事です。
自分の心の中の感受性で受けとめる。科学でも芸術でも、この深く見つめる「凝視」によ
って生まれるのです。何でもない平凡な事柄から深くうなずきとる情熱を得ることが大切
です。
29歳で亡くなった詩人の八木重吉は、花を見て「花はなぜ美しいか。一筋の気持で咲い
ているからだ」と詩でいます。人が見てようが見てまいが、そんな事関係なく咲いている
と。逆境の時ほど、誰にも自分の気持は分かってくれない。誰もわかってくれない位場合
は、自然をじっと見つめていると、無心の自然現象が希望を呼び起こしてくれます。誰が
見ていなくても一生懸命咲いている花が、呼びかけてくれるのです。
そして、どうしたら希望を持って生きられるだろうか。それを良く考えるのが「工夫創造」
という心の働きです。「感銘(感動)・希望・工夫」物を見るときには、この杖の言葉が大
事です。と説いています。
*「自覚」と「覚る」
自分の中にある存在の源を自覚する。
自分の内面の権威に気づくことを「自覚」と言います。自分の中に、自分を自分たらしめ
る仏性の存在に気づくことに重点を置きます。そういう自覚を得るためには、人が振り向
きもしない、当然平凡な事実に私たちは、深く謙虚に対応していくと、そこに色々の生き
甲斐も感じられてくるのです。
「覚る」とは、この心の奥底で深くうなずくものであって、それが人生を豊かなものにし
てくれるのです。ゆえに、平凡な事実でも角度を変えて深く見つめる事です。
対人関係でも同じで、自分の気に入らないような人でも遠さけずに、チョッとアングルを
変えて観察すると以外に素晴しい内容を持っているのに気づく事があります。
*禅の世界観・・・・すべてを進行形で見ていく
すべてのものが移り変わってゆく(無常)とは、止まるところがなく、止まらずにどんど
ん移り変わってゆく。もし止まるとすれば、それは「執着」です。何かの虜になってしま
うのです。禅では、そのように動きが取れないような考えは嫌います。どんないいことで
も、それに執着したら悪になる、という見方が禅にはあります。だからすべてを進行形で
処していく、そこに進化というものがあるわけです。
*物事は受けとめ方次第
たとえば、私をいじめようとして悪意でかけられた言葉も、それを善意に解釈すると、感
情を害することも、悲しむ事も、人を恨むことも無くなってくるわけです。だから、心の
中の感受性が豊かになってこちらの受け止め方が多様になると、相手が変わってくるわけ
です。・・・・・・なかなか生きるという事は難しい事ですね。