心のよりどころ。毎日が日曜日。

恩師に人のために生きることを学びました。
「自利利他」を座右の銘としています。
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人生を癒す -6-

2008-11-28 18:01:39 | 生きる智慧

人生を癒す 百歳の禅語を読んで -6-

*思考の原点になる読書

考える事ができないのは、読書をしないから考えるテーマが浮かばないのです。

これが一番の根元です。皆さん読書は大切ですよ。大人も子供も読書しましょう。

*「希望」「生きがい」を見つける

当然の事柄に感動するところに希望が生まれる。と言います。

「生きがい」を見つけるには、どうやって見ればよいか。

目の前の淡々とした当り前のことをよく見つめる。その見つめ方によって生きがいが見つ

かる。と言っています。

その見方の一番目は、何でもない事柄から感銘を受けることです。感動と言ってもいいで

すが、当り前であるといって見逃してしまう前に、それをもう一度じっと見つめる事です。

自分の心の中の感受性で受けとめる。科学でも芸術でも、この深く見つめる「凝視」によ

って生まれるのです。何でもない平凡な事柄から深くうなずきとる情熱を得ることが大切

です。

29歳で亡くなった詩人の八木重吉は、花を見て「花はなぜ美しいか。一筋の気持で咲い

ているからだ」と詩でいます。人が見てようが見てまいが、そんな事関係なく咲いている

と。逆境の時ほど、誰にも自分の気持は分かってくれない。誰もわかってくれない位場合

は、自然をじっと見つめていると、無心の自然現象が希望を呼び起こしてくれます。誰が

見ていなくても一生懸命咲いている花が、呼びかけてくれるのです。

そして、どうしたら希望を持って生きられるだろうか。それを良く考えるのが「工夫創造」

という心の働きです。「感銘(感動)・希望・工夫」物を見るときには、この杖の言葉が大

事です。と説いています。

*「自覚」と「覚る」

自分の中にある存在の源を自覚する。

自分の内面の権威に気づくことを「自覚」と言います。自分の中に、自分を自分たらしめ

る仏性の存在に気づくことに重点を置きます。そういう自覚を得るためには、人が振り向

きもしない、当然平凡な事実に私たちは、深く謙虚に対応していくと、そこに色々の生き

甲斐も感じられてくるのです。

「覚る」とは、この心の奥底で深くうなずくものであって、それが人生を豊かなものにし

てくれるのです。ゆえに、平凡な事実でも角度を変えて深く見つめる事です。

対人関係でも同じで、自分の気に入らないような人でも遠さけずに、チョッとアングルを

変えて観察すると以外に素晴しい内容を持っているのに気づく事があります。

*禅の世界観・・・・すべてを進行形で見ていく

すべてのものが移り変わってゆく(無常)とは、止まるところがなく、止まらずにどんど

ん移り変わってゆく。もし止まるとすれば、それは「執着」です。何かの虜になってしま

うのです。禅では、そのように動きが取れないような考えは嫌います。どんないいことで

も、それに執着したら悪になる、という見方が禅にはあります。だからすべてを進行形で

処していく、そこに進化というものがあるわけです。

*物事は受けとめ方次第

たとえば、私をいじめようとして悪意でかけられた言葉も、それを善意に解釈すると、感

情を害することも、悲しむ事も、人を恨むことも無くなってくるわけです。だから、心の

中の感受性が豊かになってこちらの受け止め方が多様になると、相手が変わってくるわけ

です。・・・・・・なかなか生きるという事は難しい事ですね。


人生を癒す -5-

2008-11-26 19:10:45 | 生きる智慧

人生を癒す 百歳の禅語を読んで -5-

*「眼横鼻直」
 
 「道元」日本曹洞宗の開祖1200年生まれ。曹洞道元禅を伝えた人物。

 道元は24歳の時、宋に渡り4年間滞在し1227年28歳で帰国した。

 4年間の修行で何を学んでこられたのですか、と問われると「眼横鼻直なることを認得

 し、郷に還る」と言ったそうです。

 日本から留学した、古くは伝教大師・最澄・弘法大師・空海という修業者は、貴重な

 仏像や、文献の経典を土産に持って帰ったのです。

 眼は横に鼻は縦に、と言うのはあまりにも平凡な事ではありますがその平凡な事がいか 

 に厳粛な真実であり、いかに真理というものを持っているかということなのです。

 北原白秋の詩に「バラノ木に バラノ花サク ナニゴトノ不思議ナケレド」という詩が

 あるそうです。
                       コトワリ
 岡本かの子の詩「梅の木に梅の花咲く理をまことに知るはたやすからず」。
 
 「理をまこと知るはたやすからず」つまり安直に考えてはいけない。当り前の道理が

 本当に当り前の道理だと知ることは容易なことではない。と歎じている。だそうです。

*「仏性」
                     ソナ
 「仏性」は誰にでも生まれながらに具わっている。

 「具わりて 目鼻耳口ある顔を われも持つことに思いいたりぬ」笩井嘉一。

 この「思いいたりぬ」という感歎の言葉、本当に心の底から「ああ、生まれながらに目

 鼻耳口が自分にはちゃんと具わっていたんだ」生まれた時から見ている、これを「本具」

 と言いますが、仏教思想では、仏性は(人を人であらしめる根源的な命、心)が具わっ

 ていると言います。
 
 仏性は本具。人間は生まれながら皆仏になる可能性を持っている。これが仏性というこ

 となのです。と言っています。

*成人と成仏とは車の両輪

 「仏に成る」ということは「死ぬ」ことではなくて「「人間性を完成する」ことです。

 生物学的に成長するのが成人。価値的に成長するのが成仏と思う。だから成人と成仏は

 車の両輪のようなもので、この二つが具備して人間は完成するのです。この仏になる可

 能性をみんな生まれながらに持っているというのが仏教の人間観であり、人生観です。

 これは人間に限らず、すべての生き物は皆平等に仏になる可能性を生まれながらに具え

 ている。

 「仏性」というのを「そのものを、そのもたらしめる根元的な心(命)」と言います。

 「そのまたらしめる根元的な心」は、そのものが具えている機能に当たるという。

 それぞれ生まれながらに具わっている、その機能を完成することが「成仏」と言うこと

 なのです。成仏とは死んで仏になるのではなく、そのものが持っている機能を完成する

 ことなのです。  と教えています。


徳を積む

2008-11-20 20:01:39 | 生きる智慧

よく仏教では「徳を積みなさい」と言いますが、これは自分の器を大きくするためには

欠かせない行為です。人のために、皆のためにという心構えと実践が自分に幸運が

訪れる基本なのです。ご先祖様のための供養はもちろんの事です。

ではどんな行為が一番徳を積む事になるのかといえば、それは悩み、困っている人

を、その悩み困りごとを解決してあげる事です。自分が解決できない時は相談に乗って

くれる人に導いてあげる事です。これが徳を積む一番の方法です。


人生を癒す -4-

2008-11-18 18:08:27 | 生きる智慧

人生を癒す 百歳の禅語を読んで -4-

*「お蔭様」

無我、すべてのものはお互いにかかわりあっている。

碁盤には目というものがある。その目を一つだけ取ってくれと言っても、取り出すことは

出来ない。あの目は、隣接する縁(ふち)を両方のものが共用して初めて存在できるから

です。網の目も同じです。それは孤立して存在する事は出来ない。持ちつ持たれつ、隣の

目との係わりによって生じるからです。日本人はこれを「お蔭様」と受け取った。

お蔭によって存在をする。本当に「お蔭様」と言う意味が分かる事は、無我が分かるとい

うことになります。

*「当り前」の中に真理を見据える

青々とした柳も、あでやかな花も、刻々と移り変わってゆく。無常の現象です。

柳の芽が青く育ち花が紅くなるには、日光、水、空気、人間の栽培や肥料など、無数の

きっかけや条件(総じて縁と言う)の係わりが必要です。この無数の係わり合いの事実を 

無我と言います。そういう無常と無我が「真面目」、つまり真理である。

目に見える事実の底に潜んでいる無常や無我が真理なのです。その真理を見つめ、見据え

る事が「真面目」を知ることです。

だから目に見える現象は、すべて目に見えない真理の表れであるということです。

「柳緑花紅」とは平凡な事実。その「当り前」の事実の中に真理を見据えることができる

と、当り前の事実がそのまま真理の姿(相)だということになって、事実と真理とが一つ

になって理解できるということです。

*アングルを変えると発見がある

「あいつは役に立たない、あいつは駄目なやつ」と言うけれども、チョッと見る角度を変

えてみると、自分の持ってない優れた才能を持っていることを発見する事があります。

*露堂々、明歴々(ろどうどう、めいれきれき)

「露」は表れると訓み「歴々」は「ありありと」という意味です。

明らかにありありと見せてくれているという意味です。「柳緑花紅」に「露堂々明歴々」

と真理が露われている--------と。

そういう一つの宗教的受け止め方をして、今度は人生論として考えてみると。無常から生

きている命の尊さが分かり、そして、無我、お蔭様から感謝が表れてくるのです。

そこから「少しでも人のためにしておこう、何でもいいからひとのためにしていこう」と

言う気持、生きがいが生まれてくるわけです。

花は人が見ていても見てなくても咲いている。そういう仏教思想を学ぶだけでなく、それ

を人生論として受け止めていくときには、自分だけでなくて人様、他人の幸せを願ってい

かなければいけないということなのです。

「あれを見よ、深山の桜咲きにけり、真心つくせ、人知らずとも」武者小路実篤。

「人知るもよし、人知らざるもよし、我は咲くなり」

山の中に咲いた桜の花のように、誰が見てくれようと見てくれなかろうと真っ当な生き方

をしよう。人が見ていようが見てまいと、きれいに咲く、裏表のある生活はやめよう。

生活が苦しくても間違った事をしないようにしよう。という教えなのです。

*自然の中から真理を汲み取る

「無常説法」------自然のたたずまいの中から禅の意志を汲み取る。

感情を持っていない山、川、草花などもみな、真理を説いているのです。

こちらが学ぼう、学ぼう、教えてもらおう教えてもらおうと思って謙虚に、謙虚になると、

自然現象がみんな寄ってたかって、私達に何かを教えてくれます。自然は尊い先生なので

す。 と説いています。やはり人間も自然界の生き物ですからね。 


人生を癒す -3-

2008-11-17 19:43:41 | 生きる智慧

人生を癒す 百歳の禅語を読んで 3

*事実の奥にある真理を見据える。

「柳緑花紅」(やなぎはみどり、はなくれない)

こちらから、学ぼう、学ぼう、教えてもらおう、教えてもらおう、と思って謙虚に、謙虚

になると自然現象がみんな寄ってたかって、何かを教えてくれます。自然は尊いものです。

*目に見える事実、その奥に潜む真実。

禅語の一番の標準になる話「柳緑花紅真面目」(やなぎはみどりはなくれない、しんめんも

く)真面目とは「本来の趣旨、本旨」という意味で使っています。

「柳緑花紅」と見えるのは、外形、外から見るだけのことです。その目に見える現象の奥

に、深いものがなければならない--------これが禅の見方になるのです。そして、その現象

の奥にある深いものと言うのが「真面目」なのです。

*無常にはプラスとマイナスの両面がある。

花が咲いて美しいというのはどんな真理を表しているのか。その第一番は「無常」と言う

こと。無常の真理を象徴しているのです。すべてのものは移り変わっていく、ということ

です。

無常と言うと、厭世的な気持になりがちですが、マイナスの面だけを見るのではなくて、

プラスの面も見なくてはならない。「世の中は三日見ぬ間の桜かな」。この句は「三日見な

い間に、もうこんなに桜が咲いた」と「チョッと見ないうちに、もう桜が散ってしまった」

という二つの意味にとれます。無常というのは「散ってしまった」という面にばかりとら

われがちですが「三日見ぬ間に桜の蕾がもうこんなに大きくなってきた」というふうに積

極的に、プラス面も見なければいけないのです。すべてのものをプラス、マイナス両面か

ら一つにまとめて見ることです。これが一番大切なことです。

桜の花が咲いているというのも、プラスとマイナスの二つの無常観を表しているのです。

「真面目」とは本旨、本来の趣旨ですから、無常ということが真面目なのです。

「柳緑花紅」だけれども、そこに真面目としてプラス、マイナスの無常観が表わしている

のです。

*すべてのものは、お蔭によって存在する。

「柳緑花紅」のもう一つの真理は「無我」です。「無我」とは「物が存在するのは、それだ

けでは存在できない、必ず他のかかわりがあって存在するのだ」ということ。

これを「無我」と言います。

「すべてのものは無常であり、そしてすべてのものは無我である」――これが仏教の世界

観です。世の中には永遠に変わらないものなど何一つない、また、それだけで他と無関係

に存在するものは何もない」ということです。

裏返して言うと、永遠に変わらないもいの、そして、それだけで他との係わり合いがなし

で存在ができるものを「実体」と言います。仏教での世界では、「そういう実体のなるもの

はない」と実体を否定するのです。

*有り難う

世の中には「実体」というものは何一つありません。柳でも花でも、遅い早いはあるけれ

ども、すべては変わっていきます。

つまり、刻として変わっていくものがここにあるということ、これは滅多にないので「稀

有」の事実です。稀に有る。そういう稀な事だから「有り難し」と言うことになります。

このように「有り難し」とは、滅多にない、有ることがむしろ奇跡であるということ。

そこから感謝の気持を意味するようになりました。だから「有り難し」という言葉の意味

を本当に分かるということは、無常が分かるということです。

何か禅の言葉は難しいように感じますが、私のような凡人でも読み返すと何となく分かる

ような気がしますね。