いろんなことが浮かぶ。父の死が胸を熱くする
元気でパーキンソン病の母の面倒を見ていた。
(一番左が父 どこだかわからない)
熊さんという整骨院に連れ添う姿を近所の人は見ていた。
救急車が我が家に止まりみんなが母だと思っていた。
現実は父が脳梗塞で倒れた。
何も準備していない、ものも心も整っていない。
危篤から臨終へ。
右往左往とはこの様か。てんてこまい。
連休に入ってしまった。
みんなに助けてもらった。
桜堤コミュニティセンターでお通夜・告別式。
悔やむのは生き様を聞けなかったことだ。
・・・昨年、どこかに書き残した文章があった。
○26年前のあの晩 寂しかった
5月1日は親父の命日だ。26年前になる。走馬灯のように・・・。
一番苦しんだのは母親だろう。やっとそのように考える地点に到達した。
母親は難病のパーキンソン病で苦しんでいた。
もっと・・・やっておけばよかった。働き者で遊ぶ余裕のなかった母親。一番印象的な姿は、桜堤団地の完成間際の後かたずけでモッコを押している姿だ。
親父の思い出は立川競輪、西武園競輪の紙が舞う光景。大工だったから建前があるとだめ。必ず酔っ払って動けなくなり境橋近辺まで迎えに行くこと。酒飲みは嫌いなはずだったのにいつの間にか自分も。でも賭け事は一切やらない。
当時を写真で振り返ってみた。改めてときの速さを知った。周りの人が他界している。26年という歳月は歴史を刻む。
やっと日記が見つかった。リード文には、
「父・松本角一が1992(平成4年)年5月1日(金)午後10時22分武蔵野市西窪病院(現武蔵野陽和会病院)で永眠した。享年74歳だった。
あっという間の出来事で、未だに疲れだけが激しく残っているだけで、夢のようである。長男として、この間、いろいろな体験をしてきた。どのような経過であったのか、誰がそこにいたのか、どんなことがあったのかノ-トしておく。」と書かれている。親父の群馬県前橋の親戚とは疎遠になった。たまにはこうやって振り返るのも必要か。