輝ちゃんつれづれに 

インスタ・LINE、スレッズ、mixi2を始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

雑記ノート すみれ草

2019年08月29日 02時43分49秒 | マツンのおもい

訳のわからない通信制工業高校に入って(1971年 昭和46年4月)6年目。

高校通信制、技能連携教育、学習の二重負担軽減、ゆだね教育、出講、高体連・高野連、学校行事等にやっと全体像が見え始め、自分の気持ちが表れ始めた時期に一冊のノートに想いを書きなぐってきた。

 「すみれ草」という名前は、成城学園前駅南口の駅前の地下にあった「すみれ」という喫茶店の名前をとった。科技高の先生のたまり場になっていた。当時、成城学園前は高級住宅街であり、飲み屋は数える程しかなかった。

 テーマを決め、ノート一ページに想いというか怒りを書き留めた。いつのまにか二冊目が終わり新しいノートを購入した。もうこんなノートはいらないのではと思っていたが、昨日、NHKプロフェッショナル仕事の流儀「内科医・天野惠子」を見て考えを変えた。76歳の現役医師である。知る「識(し)る」ことは聞くことであり記録することである。

 はじめの一歩を紹介しよう。

31歳の「なんでも知ろう、なんでもやろう」と意気軒昂な時。もしかするとスキーの準指導員検定試験に落ちたころかな?

1977年(昭和52年)3月18日

「人の生きるみち」

なぜ俺はこのみちを歩いているのだろう。

目を大きくひらけば成城のまち並みが窓ごしにみえる。

みな、それぞれの生きるみちを探しているのだろう。

工事の音がたけだけしく聞こえる。

あの音をよりどころにしている人もいる。

いろいろ生きるみちはある。

清い、生きるみち。

みにくい、生きるみち。

貫徹する、生きるみち。

・・・

いろいろあろう。

俺はどのみちをあるいていることになるのか、いま。

激しく、気概のある、血のかよったみちを探し、歩きつづけよう。

 


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