命は自分のもの
なかにし礼さんの、「生きる力」を読んだ。
「はじめに」の文章に惹きこまれた。
「生きる力」とは森羅万象と交響する意識にはかならない、と今の私は思っている。
私は生まれ変わって、生きとし生けるものの中の、ただ一つの命として、また生きはじめている。
いざという時の備えとして二つ挙げている。
一、自分が自分であること。自分、自分、かぎりなく自分中心であれ。
二、自分の精神を鍛えるために読書を休みなく続けていくこと。
トーマス・マンの「魔の山」はぜひ読みたい。
自分に置き換えると、力を持った医師との関係がないからスピーディーにいかない。
CTの予約・検査に関しても日数がかかる。
また、保険外ということでかなりの費用がかかる。
が、何といおうと自分の命は一つしかない。
だから上の二つが生きてくるのだ。
何しろ、すべてが自分なのだ。
イッチャン、舞台が待ってるよ
演出家の独り言 蜷川幸雄 平成26年8月1日 朝日新聞 夕刊
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11278594.html
「ニーナ、イチです。イチ」 ニーナはぼく蜷川、イチはあの市村正親さん。「ニーナ、胃がんの手術をすることになって、公表しようと思ってるんです」「エッ、ホントウ」。ぼくはどう答えていいか判(わか)らずドキドキし、ヘドモドしている。「ニーナと一緒にやろうと思っている仕事は絶対やるからね。待っててね」「もちろんだよ」
「シェークスピアのさ、『マクベス』の科白(せりふ)にさ、こうあるよね。『明日、また明日、また明日と、時は小きざみな足どりで一日一日を歩み、ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、昨日という日はすべて愚かな人間が塵と化す死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、つかの間の燈火(ともしび)! 人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ、舞台の上でおおげさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう。白痴のしゃべる物語だ(小田島雄志訳)』」
電話口でイッチャンは見事に演じ、こういった。「がんの体験をすると、こういう科白がうまくなったりして!」。そして元気に笑った。闘病と舞台降板を公表する前夜のことだった。
まったく今年は知人や友人にさまざまなことがある。そのたびに初めて出会った日のことや、お互いの年齢に思いをいたす。人生は過酷だという思いと、もうちょっと頑張りたいという思いが交錯する。優れた俳優にふりかかる人生の荷物を、イッチャンはきっとはねのけて元気になるだろう。
蜷川さんの愛情がこもっているいい文章だ。
また、市村さんが胃がんであることをセリフでいうところが憎い。
役者魂というのだろうか。一日でも早い回復を祈る。
輝ちゃんの8月2日 忙しかった
寝坊した!当然だ、3時半まで起きていたのだから。
イカリクリニックに行かないと。ぼけーっとしながら。
7月18日の採血の結果が出ている。前回は6月23日。
6月12日から酒を飲んでいないから多少は良くなっているだろう。
血圧も良好。採血の結果も改善の方向へ。クリニックも夏休みか。
午後からはニュージーランド留学の説明会に行ってきた。
ニュージーランドは、「オープンスペース」「オープンマインド」「オープンハート」が特徴だという。いいな、のんびりした空間は。人生は挑戦だ。変えるチャンスだ。
暑い。三鷹の天文台裏のバス停は日陰がまったくない。
待っているだけで汗がたらたら流れてくる。初めての体験。
水色の空と真っ白な雲が印象的だった。写真を撮り忘れた。
そんな想いをもってシビックセンターの25階に上がった。
副都心からスカイツリーまで色が三者三様。
オーバーヒート寸前です。
この部屋の温度計は34度を示しています。
留学説明会は、フィティアンガにある語学学校が中心でした。大学に入るためのファンデーションコース、語学力、大学等の説明がありました。
自己責任のことはあまり話されていませんでした。
夢のような話ばかりでした。
本当はもっと厳しいと思うのですが。