輝ちゃんつれづれに 

インスタ・LINE、スレッズ、mixi2を始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

移民におもう

2018年11月08日 23時52分38秒 | マツンのおもい

<<編集長より>>11月6日 朝日デジタル

外国人労働者の受け入れを拡大するための出入国管理法の改正案が間もなく国会で審議入りします。思い起こせば、20世紀初頭から多くの日本人が移民としてブラジルに渡りました。「希望」を抱いて海を渡ったものの、過酷な労働や安い賃金など想像を絶する苦労をしました。1990年代になると法改正により、逆に日系ブラジル人が日本へ出稼ぎに来るようになりました。日本はこうした歴史を背負った国です。外国人の就労資格を単純労働にも広げるという政策の大転換に、私たちはどう向き合うのか。しっかり考えていきたいと思います。(南)

 

この記事を読んで昔の写真を思い出した。「移民」「ブラジル」「田口君」「希望」「夢」というキーワードが走馬灯のように浮かんできた。小学校6年生(1957年 昭和32年)の俺たちは憧れていた!田口君(前列中央)はいいな!と。61年前の話だ。着ているものがユニークだな。個性が溢れている。田口君はその後どうなったのだろうか。同窓会をやってもそんな話は出ないな。外国人労働者の受け入れはもっと慎重にしないと。人権を守り、相手の文化・歴史を尊重し、共生社会を作る意思と覚悟がなければだめだ。そして今日本にいる外国人のことをもっと考えないと。権力者は弱者を使い捨てにするからな。そうさせてはいけない。


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秋深し ふと思うこと

2018年11月06日 00時13分25秒 | マツンのおもい

ある学生との出会い

ルーテル学院大学の学園祭にちょこっと行ってみた。俺はもともとお祭りなどの屋台での買い物はしない。お祭り騒ぎが好きでない。インターシップなどの報告をしている部屋を見た。なるほど。あまり感動しない。隣の部屋を覗いたら公開講座で一緒の車椅子の学生がいた。点字の名刺を作れるという。いつもなら尻込みする自分だがなぜか積極的。たどたどしい説明を受けながらなんとか完成。視覚障害の学生に診てもらった。OKだった。その1年生の学生と話をしてみた。「一番困っていることは何ですか」と聞いたら、「突然飛び出してくる自転車です」という答え。そうだよな、俺だって怖い思いをしているのだから。小さい力だが、何かできることに取り組んでみよう。「将来どうするの」ときてみた。「社会福祉士をとって・・・」。彼に言った、「君みたい人が教員になってほしいね」と。共生社会こそ教育現場にはいってほしいと。

大沢の里の古民家

11月4日に開館記念式典 一般公開に

雨が降り気分が重かったが地元の行事なので午後3時頃に行ってきた。交通が不便なところ。駐車場もない。坂道が多い。入館料200円。大沢のエコミュージアム事業を進めているという。三鷹市には郷土館がない。国分寺崖線があり自然が豊かだけでは人はこない。見学コースを整備し、digital館やカフェを用意するなど利用者本位にしないとだめだろう。災害対策と並行し歩く歩道の整備も必要ではないか。避難場所が天文台でも行けない人がいっぱいだよ。

古民家は代々わさび田を営んできた箕輪家の母屋で、四間取りの典型的な農家建築。一九〇二(明治三十五)年に建てられ、一九八〇(昭和五十五)年ごろまで使われていた。その後、市が箕輪家から寄贈を受け、市の有形文化財に。二〇一五年から建物を一度解体して調査した上で、復元工事を行ってきた。

 

 


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合理的配慮とは 

2018年11月04日 01時46分24秒 | ことば

 昨今、障害者の水増しや就職差別が横行している。なんのために法律を作ったのか。破るために法律がある?

 ルーテル学院大学の公開講座で、「障害者福祉論」(高山由美子先生)を受講している。今回の事件が起こる中でちょっと本気度が出てきた。でも、法律は難しく書かれていたなかなか理解できない。その中でも「合理的配慮」がすっと心の中に落ちてこなかった。

 誰のための合理的な配慮なのか?国民のための、障害者のための、自分の保身のための、忖度するための・・・。

 わかりやすい新聞記事があるので紹介する。 

11月2日(金)、朝日新聞朝刊の

(耕論)「配慮」が「排除」に? 平井康之さん

https://digital.asahi.com/articles/DA3S13750878.html?ref=pcviewer 

■対話し理にかなう調整を 平井康之さん(九州大学大学院教授)

 日本では「配慮」という言葉は気遣いを意味し、特別に心を配るというニュアンスがあります。配慮する側とされる側が対等でなく上下の関係になりがちで、迷惑でも断りづらい。だから育児しながら働く女性への配慮にも齟齬(そご)が生じるんだと思います。

 しかし近年よく言われる「合理的配慮」は本来もっとドライな概念です。英語では「reasonable accommodation」と表現され、異なる事情を抱える人たちが同じ機会を得るために「理にかなった調整をすること」を意味します。しかし日本で「合理的配慮」と訳されたため、少々誤解されている側面があります。

 製品や建物のデザインの世界は、常にこの「配慮」の問題を考えてきました。最初に対象になったのが身体の障がいやけがといった物理的な不自由さです。米国では1950年代に傷病軍人らが働きかけ、建物にスロープを設置するなどの「バリアフリー」の基準が制定されました。

 ただバリアフリーでは、車いすの人を通常の入り口ではないエレベーターへ案内するなど、特定の人を区別して扱う時があります。これを排除と感じる人もいるでしょう。

 米国で始まり90年代に普及した「ユニバーサルデザイン」はこの問題意識に応え、年齢や性別、障がいの有無に限らず、全ての人が使いやすいデザインを提唱しました。

 例えば、幅の広い改札や、目をつぶっても判別可能なシャンプーとリンスの容器などです。誰もが使いやすいということは、顧客も多いということ。商業的な利益とも合致し、日本でも多くの商品が作られました。東京五輪を前に、国はこのデザインを広めようとしています。

 近年、注目を浴びているのが、欧州発の「インクルーシブデザイン」です。ユニバーサルデザインが目指すものとゴールは一緒ですが、アプローチの仕方が異なります。世の中には物理的な障壁だけでなく、性差や国籍・言語の違い、貧困、デジタルアクセスなど様々な「壁」に直面する人たちがいます。彼らに初期の段階からデザインに参加してもらうことで「誰も排除しない」ことを目指します。

 九州大が共同研究でデザインした小児用服薬ツールは、子どもたちや薬剤師と話し、服薬のストレスを和らげるハートや魚の形のゼリーで包んだデザインにしました。ここで大切なのは「対話」です。機能性だけでなく、一人ひとり異なる気持ちに耳を傾け、ともに模索するのです。

 日本でも、社会や職場で誰かに配慮する時はもっと対話をした方がいいと思う。その人が何を必要としていて、自分は何ができるのか。それが把握できれば、配慮が排除につながることはないと思います。(聞き手・藤田さつき)

     *

 ひらいやすゆき 1961年生まれ。米デザインコンサル会社IDEOなどのデザイナーを経て現職。専門はインクルーシブデザイン。

 

 


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