尾崎豊が亡くなって30年経つ。繁美さんが「今」を語っている
ネットで尾崎豊さんの妻繁美さんの記事を読み、なるほどと一人で納得していた。(下で紹介します)まてよ、1992年4月24日はもしかして親父が倒れた日ではないか・・・USBのどこかにDATAを保存してあるはずだが・・・必死で探した。やっと見つかった。日記があった。そうか30年経ったのか。日記を読み返そう。必ず今の自分にプラスになることが出てくるはずだ。
父・松本角一が1992(平成4年)年5月1日(金)午後10時22分武蔵野市西窪病院で永眠した。享年74歳だった。 あっという間の出来事で、未だに疲れだけが激しく残っているだけで、夢のようである。長男として、この間、いろいろな体験をしてきた。どのような経過であったのか、誰がそこにいたのか、どんなことがあったのかノ-トしておく
1992.4.24(金)松井先生(隣の松井医院の院長先生)から学校に電話が入る。<10時40分>「お父さんが倒れた。何分で家に戻れるか。」 輝一、実家に到着。伊藤幸男さんもいる。<11時22分>119番し、救急車を呼ぶ。救急車の周りに集まった近所の人達が「おじいさんだ」。救急車で西窪病院へ。主治医の中島先生へ。<12時>413号室。14時から検査。CT検査のレントゲン写真を見る。1週間ぐらいの様子をみなければわからない。[感想]一か月ぐらいの入院で、後はリハビリで・・・。
自分の今の在り方で、ものの見え方は変わるものです。未来とは、「今」の連続でできていて、過去も未来も、「今」に紐付いている。ですから、今の自分が変われば、過去は変えられる。そして、未来は自分の心の中にある。未来のためにも今の在り方が一番大切で、今が幸せならば、過去すらも変えられるのです。(尾崎繁美)
◎今日の1日 武蔵境南口整骨院に11時予約だ、バスの降車は怖い、気を抜けない、イトーヨーカドー入口のソファーに座って小休憩、トイレに行ってから整骨院に。多目的トイレはいつもいっぱい。整骨院は満員だ、座る席がないぞ、10時50分に入ったが終わるのは何時になるだろうか、覚悟しよう
ヨタヨタしながらも、ある程度止まらないで歩けるようになった、不規則的な動きへの対応は難しい、EMSが始まったのが12時、これから1時間か、家に帰るのが2時ごろかな、イトーヨーカドーでりんごと食パン、蒸しパン、あと自分の昼食だけ買っていこう、焦っては仕方ない、なるようにしかならない、送迎の変更の電話をした、大沢地域包括支援センターに電話し、安心しキーホルダーの更新を。帰りのバスの中、午後2時過ぎの気温は28度、我が家に到着