今週のうちのいつだったか
末っ子が帰ってきて
「オカアサン、道徳のじかんっていいわぁ~!
これ読んで!」と
手渡してくれたのが
道徳の時間に読んだ中学生の子が書いた作文でした。
そのとき
仕事から帰ってきて
必死で晩ご飯を作っていたので
すぐには読めなかったのですが
次々に帰ってくる姉兄たちに読ませていました。(笑)
それは、
お母さんが骨折をして大変だった、
お母さんがどれだけがんばっていたかわかったという
まるで我が家の状況を書いたような作文でした。
「やっぱりちゃんとみんなでオカアサンを助けないとあかん。」
とつぶやいていました。
先生、その作文を読ませてくださって
ありがとうございます!(涙)
実は今の家の状態が
まぁまぁ機能しているのは
子どもたちが少しずつ自分のことをしているから。
私が左肩骨折をしても
あまり手伝わない子どもたちにキレたりしていました。(笑)
今は
長女がお皿洗いや洗濯
末っ子がリビングの洗濯ものを持っていくように
促したり
リビングの片付けをしていたり
各自お弁当箱を洗ったり。
1週間に1度リセットタイムを作ったことが良かったかな。
相変わらず
肩の可動域は狭くて
いつになったら元の生活が出来るのかな。。。と
思うけれど
みんなが変わってくれたことが
嬉しいな。
さて
いよいよ
アクティブ・ラーニングと言われるようになってきていて
既に実践されている先生方がおられます。
時々実践を
ブログなどで読ませてもらったり
(全く知らないけど)
全国でたくさんの先生方ががんばっておられるのを
知ることが出来て
うれしいです。
私は先生には向いていなかったけど
(一番子どもたちに緊張するのですから~笑)
好きなんだろうなって思います。
そして
その中に書いてあったピアジェの言葉がありました。
(「教育心理学」では必ず出てくるお名前)
いつも心に留めておけるよう
備忘録として。
『教育の使命は、
子どもから発明家、創造者をつくることにあるので、
世の中に適合して、
よろしくやっていく人間をつくることにあるのではない。
そのためには、
子どもに教えてしまってはならない。
子どもが
自分で考え、
自分でつくっていくように助けるべきである。
子どもは生まれたとき、
いちばんの発明家、発見者である。
生まれたとき何にも知らない赤ん坊は、
無から世界をつくり出すのである。
一つ一つ段階をよじのぼっていく。
そうして、青年期に、
またあたらしく創造の時期をむかえる。
いちばんつまらぬ存在は、
平均的な大人だ。
彼らはもはや何物をも創造せず、
ただくりかえし、
他人のマネをするだけだ。
子どものもつ創造的精神は
科学者と芸術家とのうちにのみ保持されている。』
どこかで子どもは教えなければいけないと
思いこんでいないか。
子どもを下に見ていないか。
子どもが大きくなってやっとわかったようにも思う。
それでも子どもたちは
いつでもわたしに教えてくれる。
ありがたい存在だ。