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僕が最初に就職したのは、某社の東京本社であり、有楽町(日比谷)のど真ん中だった。バブルは崩壊していたが、まだ余波は残っていた。そのせいか福利厚生も充実していた。ブルーノート東京(青山)の座席が、確か毎回2席(4名分)確保されていて、格安で入手することが出来た。例えば、ハービー・ハンコックみたいな人気ミュージシャンは抽選となるが、それ以外はほぼ確実に行くことが出来た。多分、僕は累計10回以上行ったと思う。ある時、マイク・スターンというギタリストのライブに行った。フュージョン系のミュージシャンで、正直いえば特に好みではない。女の子とのデートの一貫だったが、ギターは大音量で話をすることも出来なかった。仕方がないので、酒をガンガン飲んだ。アルコールが大音量で増幅され、酔いのまわりが尋常ではなかった。僕は「ヤバいかもしれない。意識を失ってしまうかもしれない」と思った。だが大音量のギターリフを聴いているうちに、不思議な感覚が訪れた。大音量のなかで、何故か僕は静寂を見出し、覚めた意識で僕と女の子の姿を俯瞰して見ていた。女の子はつまらなそうだった。大音量の中に静寂があるんだ、そのことに感動すらしていた。多分、あの時は急性アルコール中毒の手前だったのかもしれない。不思議なことに演奏が終わると、僕はシラフに戻っていた。
さて、今回の写真、猫は日だまりに佇んでいる。猫の顔に当たった直射日光のハイライト部分。そこを標準露出として捉えると、猫は闇の中に浮き上がっているように見える。動も静も、騒音も静寂も、光と闇も、究極的には生と死も、相反するものではなく、同質のものなのだと思う。どこに目を向けるかによって、その意味は真逆にもなり得る。だから、写真は面白い。
LEICA M10 MONOCHROME / SUMMILUX M50mm ASPH
そのかわり?声を出して大笑いすることも多いのですが。猫様が高僧に見えます・・・
今日も人間の本性の残酷さを感じてしまう一幕があり、疲れていたのですが、ストン!とつかえがとれたような感じです。今夜はストン!と眠れそうです。
ありがとう。
でもそれが、日常的にあるということは、つまり日々生死に関わる(と脳が判断する)出来事があるということで、ストレスは計り知れないと思います。
くれぐれもご自愛下さいね。僕の猫の間抜け顔が役立つのであれば、また載せますね。