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澄んだ秋の空の下、船団は順調に長江をさかのぼった。
周瑜を乗せた旗艦が、劉備の待つ樊口《はんこう》に到着したのは、柴桑を出てから五日も経たないうちだった。
周瑜は船を樊口に接岸させたのだが、なかなか上陸しようとはしなかった。
樊口には劉備の旗があちこちに翻り、関羽を先頭にした精鋭たちが、周瑜を待ち受けている。
孔明も、船のうえから劉備が待機している幕舎を認めた。
すぐにでも飛んでいきたい気持ちであったが、肝心の周瑜が動こうとしないので、自分も動けない。
じれったい思いでいると、周瑜とは別の船に乗り込んでいた魯粛が、小舟に乗ってやってきた。
孔明は、すぐさま魯粛に尋ねる。
「周都督はどうかされましたか。なぜにわれらが劉玄徳と面会をされないのです」
魯粛は、渋い顔をして答える。
「それが、周都督は雑事で忙しいので、会いに行くことはできないとおっしゃっている」
魯粛の言葉の意味がわかるまで、さすがに暫《しば》しかかった。
すうっと、血の気が下がるのがわかる。
「つまり、会いたくないと?」
孔明のそばにいた趙雲が、先走って身を乗り出すと、魯粛があわてて答えた。
「都督が忙しいのは本当なのだ。すぐに上陸するのはむずかしいだろう。
できれば、劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)に船に来ていただきたいとおっしゃっている」
「それはもちろん、わたしたちも同行してよいということですね?」
孔明が念を押すと、魯粛はうなずいた。
「もちろんだ。あそこにいる関将軍にも来ていただいてよいとのことだ」
関羽も同行してよいということにホッとしたものの、不満は残る。
あきらかに、周瑜がこちらを軽く見ていることが、わかってしまったからだ。
魯粛が去ったあと、孔明は趙雲とともに上陸して、劉備の待機する幕舎に向かった。
幕舎へつづく道はきれいに掃き清められていて、劉備がいかに周瑜に気を使っているかがよくわかった。
まず幕舎の入口で待機していた関羽が、孔明たちだけが来たことに怒り出した。
「なぜ周公瑾はこちらに来ないのだ」
忙しいからだという理由を答えると、関羽の赤ら顔が、ますます真っ赤になった。
さもありなんと孔明も思うので、関羽をなだめられない。
いつでも冷静沈着な趙雲が、こういうときに強い。
落ち着いた口調で、関羽に言った。
「ここで怒り出して、あちらの機嫌を損ねるのはまずい。
気持ちはよくわかるが、ここは抑えてくれ」
「わしらの足元を見おってっ。
船に兄者を誘い出して、そのままわれらの水軍を略取するつもりではなかろうな」
「周瑜はそういう陰湿な類の人物ではなさそうです」
孔明は説明するが、関羽におおいに睨まれた。
「兄者が魚のエサにされたら、軍師、貴殿もただでは済まぬぞ」
「もちろん、わたしも同じく魚のエサになりますよ。
立場が上なのは相手で、いまは致し方ありませぬ、条件を呑むほかないのです」
関羽はぐううと、悔しそうに唸った。
幕舎の中には、見事な鎧に身を包んだ劉備がいた。
孔明と趙雲を見るなり、満面の笑みを浮かべて手を差し伸べてくる。
「ふたりとも、同盟の件、よくやってくれた、礼を言うぞ。
これでわしらも首がつながったというものだ」
孔明の手をぎゅっと握り、劉備は泣き出さんばかりに顔をくしゃりとさせた。
「おまえたちには妙な苦労をさせてしまって、ほんとうにすまぬ」
「何をおっしゃいます、妙な苦労ではありませぬ。
わが君のためなら、この孔明も、もちろん子龍も、犬馬の労をいといませぬ。それはわが君も御存じでしょう」
「同盟の件ではない。わしひとりが周瑜に舐められるのは、いっこうにかまわぬ。
だが、おまえたちが味合わなくて良い屈辱を味わっているのを見るのはつらい」
ほろほろと泣き出しそうな劉備に、孔明はいつもの、明るい笑みを見せて励ました。
「なにをおっしゃいますやら。わが君のためなら、多少のことはわれらも笑ってやり過ごせます。
どうぞそのようにお嘆きにならないでください」
孔明に同調して、趙雲もうなずいた。
「軍師の言うとおりです。われらはわが君のためならば、進んで苦労を引き受けます。
それが天下のためならば、なおさらです」
劉備は感激したらしく、
「ありがとう、二人とも、ほんとうにありがとう」
と言って、孔明と趙雲の二人を交互に抱きしめた。
「周瑜がこちらに来いというのなら、行くほかあるまい」
劉備のことばに、孔明は心底、申し訳なく思った。
「この孔明が至らぬばかりに、周瑜に思い上がりを抱かせてしまっているようです」
「おまえが謝るところではないよ。さて、周瑜がどれほどのやつか、じっくり見に行ってやろうではないか。
ほら、雲長、そんな恐ろし気な顔をするな。向こうの兵卒どもが卒倒してしまうぞ」
つづく
澄んだ秋の空の下、船団は順調に長江をさかのぼった。
周瑜を乗せた旗艦が、劉備の待つ樊口《はんこう》に到着したのは、柴桑を出てから五日も経たないうちだった。
周瑜は船を樊口に接岸させたのだが、なかなか上陸しようとはしなかった。
樊口には劉備の旗があちこちに翻り、関羽を先頭にした精鋭たちが、周瑜を待ち受けている。
孔明も、船のうえから劉備が待機している幕舎を認めた。
すぐにでも飛んでいきたい気持ちであったが、肝心の周瑜が動こうとしないので、自分も動けない。
じれったい思いでいると、周瑜とは別の船に乗り込んでいた魯粛が、小舟に乗ってやってきた。
孔明は、すぐさま魯粛に尋ねる。
「周都督はどうかされましたか。なぜにわれらが劉玄徳と面会をされないのです」
魯粛は、渋い顔をして答える。
「それが、周都督は雑事で忙しいので、会いに行くことはできないとおっしゃっている」
魯粛の言葉の意味がわかるまで、さすがに暫《しば》しかかった。
すうっと、血の気が下がるのがわかる。
「つまり、会いたくないと?」
孔明のそばにいた趙雲が、先走って身を乗り出すと、魯粛があわてて答えた。
「都督が忙しいのは本当なのだ。すぐに上陸するのはむずかしいだろう。
できれば、劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)に船に来ていただきたいとおっしゃっている」
「それはもちろん、わたしたちも同行してよいということですね?」
孔明が念を押すと、魯粛はうなずいた。
「もちろんだ。あそこにいる関将軍にも来ていただいてよいとのことだ」
関羽も同行してよいということにホッとしたものの、不満は残る。
あきらかに、周瑜がこちらを軽く見ていることが、わかってしまったからだ。
魯粛が去ったあと、孔明は趙雲とともに上陸して、劉備の待機する幕舎に向かった。
幕舎へつづく道はきれいに掃き清められていて、劉備がいかに周瑜に気を使っているかがよくわかった。
まず幕舎の入口で待機していた関羽が、孔明たちだけが来たことに怒り出した。
「なぜ周公瑾はこちらに来ないのだ」
忙しいからだという理由を答えると、関羽の赤ら顔が、ますます真っ赤になった。
さもありなんと孔明も思うので、関羽をなだめられない。
いつでも冷静沈着な趙雲が、こういうときに強い。
落ち着いた口調で、関羽に言った。
「ここで怒り出して、あちらの機嫌を損ねるのはまずい。
気持ちはよくわかるが、ここは抑えてくれ」
「わしらの足元を見おってっ。
船に兄者を誘い出して、そのままわれらの水軍を略取するつもりではなかろうな」
「周瑜はそういう陰湿な類の人物ではなさそうです」
孔明は説明するが、関羽におおいに睨まれた。
「兄者が魚のエサにされたら、軍師、貴殿もただでは済まぬぞ」
「もちろん、わたしも同じく魚のエサになりますよ。
立場が上なのは相手で、いまは致し方ありませぬ、条件を呑むほかないのです」
関羽はぐううと、悔しそうに唸った。
幕舎の中には、見事な鎧に身を包んだ劉備がいた。
孔明と趙雲を見るなり、満面の笑みを浮かべて手を差し伸べてくる。
「ふたりとも、同盟の件、よくやってくれた、礼を言うぞ。
これでわしらも首がつながったというものだ」
孔明の手をぎゅっと握り、劉備は泣き出さんばかりに顔をくしゃりとさせた。
「おまえたちには妙な苦労をさせてしまって、ほんとうにすまぬ」
「何をおっしゃいます、妙な苦労ではありませぬ。
わが君のためなら、この孔明も、もちろん子龍も、犬馬の労をいといませぬ。それはわが君も御存じでしょう」
「同盟の件ではない。わしひとりが周瑜に舐められるのは、いっこうにかまわぬ。
だが、おまえたちが味合わなくて良い屈辱を味わっているのを見るのはつらい」
ほろほろと泣き出しそうな劉備に、孔明はいつもの、明るい笑みを見せて励ました。
「なにをおっしゃいますやら。わが君のためなら、多少のことはわれらも笑ってやり過ごせます。
どうぞそのようにお嘆きにならないでください」
孔明に同調して、趙雲もうなずいた。
「軍師の言うとおりです。われらはわが君のためならば、進んで苦労を引き受けます。
それが天下のためならば、なおさらです」
劉備は感激したらしく、
「ありがとう、二人とも、ほんとうにありがとう」
と言って、孔明と趙雲の二人を交互に抱きしめた。
「周瑜がこちらに来いというのなら、行くほかあるまい」
劉備のことばに、孔明は心底、申し訳なく思った。
「この孔明が至らぬばかりに、周瑜に思い上がりを抱かせてしまっているようです」
「おまえが謝るところではないよ。さて、周瑜がどれほどのやつか、じっくり見に行ってやろうではないか。
ほら、雲長、そんな恐ろし気な顔をするな。向こうの兵卒どもが卒倒してしまうぞ」
つづく
※ このあたりのシーンについては、ちょっとこわごわ書いております;
前作とはだいぶ違うものになっていますが、どうでしょう。
周瑜と劉備の対面なるか?
次回をおたのしみにー(*^▽^*)