孔明は同時に、周瑜のそばに龐統がいないか見回したが、かれは陰に引っ込んでいるらしく、見つからない。
こういうときこそ、前に出ればよいのにと思うが、龐統にそう忠言しても、嫌がられるだけだろう。
『なぜかあの御仁には避けられているからな』
孔明がそんなことを考えているあいだにも、人事がどんどん決まっていく。
周瑜と同列の右都督《うととく》に程普《ていふ》、賛軍校尉《さんぐんこうい》(参謀長相当)に魯粛、先鋒の丹陽都尉《たんようとい》に黄蓋……張昭は北方の李典軍と対峙することになった。
そばに控えていた趙雲が、それを聞いて、
「曹操から遠ざけられたな」
とつぶやいた。
おそらくそうだろう。
とはいえ、精鋭の十万のうち、陸口へ向かう水軍三万以外の軍を北方に配置するわけだから、まったく張昭を信頼していないわけではなさそうだ。
人事が決まったあとは、家臣たちはいっせいに動き出した。
いち早く配置場所へ向かわんとする者、黙然《もくねん》と仕事を始めようとする者から、しばしの別れを同僚たちとする者、周瑜の周りに出来ている人の輪に加わる者、さまざまである。
孔明は、そのなかで、ひょろりと土筆《つくし》のように背の高い、渋茶色の衣をまとった男に目を止めた。
その男のほうも、孔明の目線に気づいて、表情を変えずに近づいてくる。
「亮、久しいな」
と、その面長の中年男は孔明に言った。
孔明も丁寧に礼を取る。
「お久しぶりでございます。姉上の葬儀以来ですな」
孔明の兄、諸葛瑾、あざなを子瑜は、神妙にうなずいた。
「そうであったな。何度も手紙をやり取りしているので、会っていないことを忘れておった」
と、真顔で冗談を言う。
「それにしても、このたびは劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)の使者のつとめ、ご苦労であったな。
もうおまえは知っているかもしれぬが、わたしは盧江《ろこう》へ派遣されることとなった」
盧江は柴桑《さいそう》の真北、李典軍が展開する合肥《がっぴ》の南に位置する土地だ。
張昭とおなじく、北方の曹操軍に睨みを利かせるための配置であろう。
「どうぞご武運を」
「うむ。支度があるのですぐ行かねば。
ところで、その後ろに控えておられるのは、おまえが手紙で言っていた、主騎の趙子龍どのか」
急に話を向けられて、孔明のうしろに控えていた趙雲が、驚いた顔をしたまま、礼を取った。
「常山真定の趙雲、あざなを子龍と申します」
「ふむ」
諸葛瑾は、しばし、じいっと趙雲の顔を見つめたのち、大きくうなずいて、
「よい友を持ったな。目つきが良い」
と、褒めた。
そして、言いたいことは言ってしまうと、
「おまえも息災でな」
と簡単に言って、人込みの中にまぎれてしまった。
となりにいる趙雲は、唖然としている。
「せっかくの兄弟の再会なのに、会話はこれだけか」
「あたりまえだ。われら兄弟が裏で取引しているのかもしれぬと邪推されてはかなわぬからな。
これくらいで丁度いいのだよ」
「それにしても」
趙雲は諸葛瑾の消えた方角を見て、それから孔明を見た。
「言いたいときに言っておくのは、おまえの一族の信条かなにかか?」
「信条。そうかもしれぬな」
可笑しくて、孔明は声を立てて笑う。
「子龍、この乱世において、今日と同じ明日がくるとは限らない。
伝えるべきことがあれば、かならずその時に伝えなければならないよ。
そうでなければ後悔する。兄上もわたしと同じ考えなのさ」
「そうだろうが、しかし率直すぎるところも似ているとは。血とは恐ろしい」
趙雲は、まだ兄弟の割り切りの良さに付いていけないという顔をしていた。
つづく
こういうときこそ、前に出ればよいのにと思うが、龐統にそう忠言しても、嫌がられるだけだろう。
『なぜかあの御仁には避けられているからな』
孔明がそんなことを考えているあいだにも、人事がどんどん決まっていく。
周瑜と同列の右都督《うととく》に程普《ていふ》、賛軍校尉《さんぐんこうい》(参謀長相当)に魯粛、先鋒の丹陽都尉《たんようとい》に黄蓋……張昭は北方の李典軍と対峙することになった。
そばに控えていた趙雲が、それを聞いて、
「曹操から遠ざけられたな」
とつぶやいた。
おそらくそうだろう。
とはいえ、精鋭の十万のうち、陸口へ向かう水軍三万以外の軍を北方に配置するわけだから、まったく張昭を信頼していないわけではなさそうだ。
人事が決まったあとは、家臣たちはいっせいに動き出した。
いち早く配置場所へ向かわんとする者、黙然《もくねん》と仕事を始めようとする者から、しばしの別れを同僚たちとする者、周瑜の周りに出来ている人の輪に加わる者、さまざまである。
孔明は、そのなかで、ひょろりと土筆《つくし》のように背の高い、渋茶色の衣をまとった男に目を止めた。
その男のほうも、孔明の目線に気づいて、表情を変えずに近づいてくる。
「亮、久しいな」
と、その面長の中年男は孔明に言った。
孔明も丁寧に礼を取る。
「お久しぶりでございます。姉上の葬儀以来ですな」
孔明の兄、諸葛瑾、あざなを子瑜は、神妙にうなずいた。
「そうであったな。何度も手紙をやり取りしているので、会っていないことを忘れておった」
と、真顔で冗談を言う。
「それにしても、このたびは劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)の使者のつとめ、ご苦労であったな。
もうおまえは知っているかもしれぬが、わたしは盧江《ろこう》へ派遣されることとなった」
盧江は柴桑《さいそう》の真北、李典軍が展開する合肥《がっぴ》の南に位置する土地だ。
張昭とおなじく、北方の曹操軍に睨みを利かせるための配置であろう。
「どうぞご武運を」
「うむ。支度があるのですぐ行かねば。
ところで、その後ろに控えておられるのは、おまえが手紙で言っていた、主騎の趙子龍どのか」
急に話を向けられて、孔明のうしろに控えていた趙雲が、驚いた顔をしたまま、礼を取った。
「常山真定の趙雲、あざなを子龍と申します」
「ふむ」
諸葛瑾は、しばし、じいっと趙雲の顔を見つめたのち、大きくうなずいて、
「よい友を持ったな。目つきが良い」
と、褒めた。
そして、言いたいことは言ってしまうと、
「おまえも息災でな」
と簡単に言って、人込みの中にまぎれてしまった。
となりにいる趙雲は、唖然としている。
「せっかくの兄弟の再会なのに、会話はこれだけか」
「あたりまえだ。われら兄弟が裏で取引しているのかもしれぬと邪推されてはかなわぬからな。
これくらいで丁度いいのだよ」
「それにしても」
趙雲は諸葛瑾の消えた方角を見て、それから孔明を見た。
「言いたいときに言っておくのは、おまえの一族の信条かなにかか?」
「信条。そうかもしれぬな」
可笑しくて、孔明は声を立てて笑う。
「子龍、この乱世において、今日と同じ明日がくるとは限らない。
伝えるべきことがあれば、かならずその時に伝えなければならないよ。
そうでなければ後悔する。兄上もわたしと同じ考えなのさ」
「そうだろうが、しかし率直すぎるところも似ているとは。血とは恐ろしい」
趙雲は、まだ兄弟の割り切りの良さに付いていけないという顔をしていた。
つづく
※ 前作では瑾兄さんと孔明が語り合う長いシーンがありましたが、今回はいろいろ思案して、この形となりました。
さて、次回に孔明たちに声をかけてくる者は……?
どうぞおたのしみにー♪