そこへ、涼やかな声が割って入ってくる。
「使者どの、臥龍先生と申されたか。少し話をしてよいだろうか」
周瑜である。
孔明はすぐさま威儀を正して礼を取る。
「ごあいさつが遅れました、諸葛亮、字を孔明と申します。孔明とおよびください」
そして顔を上げて間近で周瑜を見るが、周瑜もまた、孔明をじっくりと見つめていた。
なんという光輝に満ちた顔だろうと、孔明は思わず呆れる。
どんな徳を積めば、これほどの美貌を維持できるのか。
それを鼻にかけていない様子で、周瑜は人懐っこい笑みを見せてくる。
なるほど、これは『酔わせる』男だなと、孔明はますます感心した。
あまりに圧倒的な存在感に、頭がぼおっとしてくる。
自分が女だったら、一瞬で美周郎に恋していたかもしれないとさえ思った。
周瑜は屈託なく言う。
「はるばる荊州からいらした孔明どのには申し訳ない。すぐに出立となりますが、お疲れではありませぬか」
「お気遣いありがとうございます。曹操を討つための移動ならば、疲れも感じませぬ」
孔明が言うと、周瑜は痛快そうに笑った。
「なかなかおっしゃる。陸口へ行くまえに、劉豫洲と面会しなければなりませぬな。そのときは、お引き合わせをお願いいたします」
「もちろんでございます。どうぞよしなに」
応じつつ、孔明はまたも違和感をおぼえた。
周瑜は『面会しなければならない』と言った。
表情から察するに、意地悪を言っているわけではないだろう。
たんなる言い回しの差かもしれないが、あまりに隙がない男が見せた、一瞬の違和感。
かれが腹の底では同盟に対して、ちがう見解を持っているのではと疑わせるには十分だった。
『まさか、江東の水軍だけで曹操に当たろうとしているのでは?』
孔明は疑ったが、もちろん表には出さず、にこやかなままでいる。
周瑜も、孔明のほがらかさを気に入ったようで、何度もうんうんと頷いたあと、それではほかに挨拶がありますので、といって去っていった。
「気になるな」
小声で趙雲が言う。
孔明もまた、うなずいて、去っていく周瑜の広い背中を見つめていた。
※
周瑜の行動は早かった。
すぐさま船団を連れて、長江をさかのぼって陸口を目指さん動き出したのである。
江陵を拠点とした曹操は、長江を下りし、揚州に上陸すると思われた。
そのさい、曹操が目指すであろう土地が、陸口である。
陸口はその名の通り、交通の要衝だ。
ここを押さえらえてしまえば、曹操は得意の騎馬兵でもって揚州を横断し、そして柴桑へ押し寄せてくる。
曹操の抱えている軽騎兵は中華でも無双のつよさを誇っており、かれらと対峙することになれば、いくら地の利があるといえど、数で劣る孫権軍はこれを押し返すのがむずかしくなってしまう。
だからこそ、曹操の上陸を阻止する必要がある。
陸口をどちらが先に抑えるか。
それがこの戦のゆくえを占うこととなろう。
柴桑にて、孫権としばしの別れをする。
孫権は柴桑にとどまり、周瑜が全面的に曹操を引き受けるかたちだ。
周瑜と孫権は、たがいに手を取り合い、長いこと二人だけで話をしていた。
そのことばの断片も孔明には聞こえなかったが、孫権の泣き出しそうな顔からして、周瑜に勝って、必ず生きて帰ってくれと頼んでいる様子である。
孫権はつづいて孔明にも挨拶をしたのだが、その目尻には涙が浮かんだままなのを見つけた。
孫権は曹操がおそろしくて泣いているのではないだろうと、孔明は想像する。
おそらくは、兄に等しい周瑜の身を案じて泣いているのだ。
主従のうるわしい絆を目にして、孔明も自然と夏口で待機しているという劉備のことを思いだした。
同盟は成ったのだ。
劉備は喜んでくれるだろう。
だが……孔明はいち早く旗艦に乗り込んだ周瑜の姿を目で追った。
大きな白い帆の下にいて、あいかわらず満足そうな顔をしている周瑜。
かれが果たして、どこまでこちらを重要視しているのか。
友綱が切られ、船団が出発をはじめた。
岸にいる者たちが、大きく歓声をあげて船団を見送る。
その声にかぶさるように、悲し気な鳥たちの甲高い声が天に響いた。
船団に乗せられた兵たちが、はたして生きて帰ってこられるか、それはもはや、天にも分からない。
自身もまた、周瑜らの用意してくれた船に乗って、孔明はこれからのことを考えた。
たしかに曹操軍には弱点があると訴えてきたし、その通りだという自信もある。
だが、戦はなにがあるかわからない。
果たして、曹操を追い散らすことができるのか。
決着がつくその日まで、油断はできない。
つづく
「使者どの、臥龍先生と申されたか。少し話をしてよいだろうか」
周瑜である。
孔明はすぐさま威儀を正して礼を取る。
「ごあいさつが遅れました、諸葛亮、字を孔明と申します。孔明とおよびください」
そして顔を上げて間近で周瑜を見るが、周瑜もまた、孔明をじっくりと見つめていた。
なんという光輝に満ちた顔だろうと、孔明は思わず呆れる。
どんな徳を積めば、これほどの美貌を維持できるのか。
それを鼻にかけていない様子で、周瑜は人懐っこい笑みを見せてくる。
なるほど、これは『酔わせる』男だなと、孔明はますます感心した。
あまりに圧倒的な存在感に、頭がぼおっとしてくる。
自分が女だったら、一瞬で美周郎に恋していたかもしれないとさえ思った。
周瑜は屈託なく言う。
「はるばる荊州からいらした孔明どのには申し訳ない。すぐに出立となりますが、お疲れではありませぬか」
「お気遣いありがとうございます。曹操を討つための移動ならば、疲れも感じませぬ」
孔明が言うと、周瑜は痛快そうに笑った。
「なかなかおっしゃる。陸口へ行くまえに、劉豫洲と面会しなければなりませぬな。そのときは、お引き合わせをお願いいたします」
「もちろんでございます。どうぞよしなに」
応じつつ、孔明はまたも違和感をおぼえた。
周瑜は『面会しなければならない』と言った。
表情から察するに、意地悪を言っているわけではないだろう。
たんなる言い回しの差かもしれないが、あまりに隙がない男が見せた、一瞬の違和感。
かれが腹の底では同盟に対して、ちがう見解を持っているのではと疑わせるには十分だった。
『まさか、江東の水軍だけで曹操に当たろうとしているのでは?』
孔明は疑ったが、もちろん表には出さず、にこやかなままでいる。
周瑜も、孔明のほがらかさを気に入ったようで、何度もうんうんと頷いたあと、それではほかに挨拶がありますので、といって去っていった。
「気になるな」
小声で趙雲が言う。
孔明もまた、うなずいて、去っていく周瑜の広い背中を見つめていた。
※
周瑜の行動は早かった。
すぐさま船団を連れて、長江をさかのぼって陸口を目指さん動き出したのである。
江陵を拠点とした曹操は、長江を下りし、揚州に上陸すると思われた。
そのさい、曹操が目指すであろう土地が、陸口である。
陸口はその名の通り、交通の要衝だ。
ここを押さえらえてしまえば、曹操は得意の騎馬兵でもって揚州を横断し、そして柴桑へ押し寄せてくる。
曹操の抱えている軽騎兵は中華でも無双のつよさを誇っており、かれらと対峙することになれば、いくら地の利があるといえど、数で劣る孫権軍はこれを押し返すのがむずかしくなってしまう。
だからこそ、曹操の上陸を阻止する必要がある。
陸口をどちらが先に抑えるか。
それがこの戦のゆくえを占うこととなろう。
柴桑にて、孫権としばしの別れをする。
孫権は柴桑にとどまり、周瑜が全面的に曹操を引き受けるかたちだ。
周瑜と孫権は、たがいに手を取り合い、長いこと二人だけで話をしていた。
そのことばの断片も孔明には聞こえなかったが、孫権の泣き出しそうな顔からして、周瑜に勝って、必ず生きて帰ってくれと頼んでいる様子である。
孫権はつづいて孔明にも挨拶をしたのだが、その目尻には涙が浮かんだままなのを見つけた。
孫権は曹操がおそろしくて泣いているのではないだろうと、孔明は想像する。
おそらくは、兄に等しい周瑜の身を案じて泣いているのだ。
主従のうるわしい絆を目にして、孔明も自然と夏口で待機しているという劉備のことを思いだした。
同盟は成ったのだ。
劉備は喜んでくれるだろう。
だが……孔明はいち早く旗艦に乗り込んだ周瑜の姿を目で追った。
大きな白い帆の下にいて、あいかわらず満足そうな顔をしている周瑜。
かれが果たして、どこまでこちらを重要視しているのか。
友綱が切られ、船団が出発をはじめた。
岸にいる者たちが、大きく歓声をあげて船団を見送る。
その声にかぶさるように、悲し気な鳥たちの甲高い声が天に響いた。
船団に乗せられた兵たちが、はたして生きて帰ってこられるか、それはもはや、天にも分からない。
自身もまた、周瑜らの用意してくれた船に乗って、孔明はこれからのことを考えた。
たしかに曹操軍には弱点があると訴えてきたし、その通りだという自信もある。
だが、戦はなにがあるかわからない。
果たして、曹操を追い散らすことができるのか。
決着がつくその日まで、油断はできない。
つづく
※ 次回、樊口にて劉備と周瑜の対面が実現。
前作とはちょっと違う展開となります。
それにしても毎日寒いですねえ……!
わたしの部屋もキンキンに冷えています
お互い、体をあっためて過ごしましょうね。