「さて、ついでに、なぜ夜中に呼び出したかを教えてやろうか。
もちろん、おまえの縁談に関しての祝辞を述べるためさ。
おまえが祝言を挙げるころ、わたしは戦場にいるだろうからな。
おめでとう、末っ子。おまえの未来は約束されたようなものだ。
大手を振って、幸運に向かって歩いていくことができる。
わたしのように、遊学を理由に、この家から逃げなくて済むのだ」
逃げる、の言葉に雲はどきりとした。
この次兄は侮れない。
「わたしは逃げたのさ。父上がああなる以前から、この家は埃っぽい、退屈な家だった」
突然に話が切り替わり、雲は兄のほうを見ると、さきほどまでの笑みは消え、まじめな顔をしていた。
そうして、体をかかえるような姿勢で、雲と、しゃれこうべのとなりにならび、闇のなかの故郷を、何物も見逃すまいといったふうに見つめていた。
「とはいえ、母上が許さなかったので、わたしは常山真定からでたことがなかった。
でようと考えもしなかった。
だが、あるとき、旅の一座が、ここをおとずれたことがあってな。
いまのおまえと同じ、十四だった。
ほんの数日だったが、常山真定しか知らなかったわたしには、かれらが、とても力のある、まぶしい光のような存在に見えたのだ。
かれらが常山真定を出て行く日、わたしはかれらを見送って、集落のはずれの辻まで行った。
おまえも知っているだろう、あの辻は、集落と外界を隔てる、ちょうど境界線になっている。
それまでなんとも思わないできたのに、そこに立ったとたん、自分の可能性というものに気がついた。
わたしだって、やろうと思えば、かれらのように、この二本の足で、どこまでも行くことができるのだ。
地の果て、海の彼方にだっていける。
常山真定に留まっていなければならない理由はなんだ?
祖霊を祀るためか? 父のため? 母のため?
答えはでなかった。
ただ、外へ出ようと思ったのだ。
そうして洛陽まで行ったのだよ」
真剣に聞いていた雲であるが、最後のことばでガッカリきた。
常山真定から洛陽まで、あっさりいけるような距離ではない。
からかわれたのだ。
「おや、むくれるところではないのだがな。だが、気持ちはわかる。
たしかに洛陽などと聞いても、いまのおまえには千里の彼方に思えるだろうな。
だが、行こうと思って、行けない土地はないぞ。
おまえは幼かったから知らないだろうが、わたしがいなくなったときは、大騒ぎになったそうだよ。
父は、若い者を雇って、わたしを捜させて、ようやく洛陽で見つけた。
だが、わたしは常山真定に帰るつもりがなかったので、そのまま洛陽にとどまり、父はわたしに金を送ってよこすことにして、世間的には遊学、という体裁をととのえたのだ。
兄上がいたから、次男坊は生きているだけでいい、醜聞さえおこさねばよい、と思ったのだろう」
昔話を敬は笑いながら語るのであるが、その笑いには、どこか虚しさも含まれていた。
「だが、奇妙なもので、年を経るごとに、この家から逃げたのだという負い目は、どんどん大きくなっていった。
離れた瞬間は、翼でも生えたような心地がして、二度と戻りたくない、とさえ思った故郷なのに、それでも、一日たりとも忘れることができなかったのだよ。
だから、最期にどうしても戻ってきたかったのさ。だが、もう十分だ」
敬はそう言って、目を伏せる。
表面に仮面のようについていた笑顔が消えると、憂愁をおびたその表情は、気味が悪くなるくらいに、自分の未来の姿のように見えた。
「さて、わたしの話を辛抱強く聞いたおまえに、褒美として、おもしろいものを見せてやろう。
静かにしているのだぞ。ごらん!」
敬が指さす先には、趙家のそれぞれの夫人の住まう家屋が並んでいる。
冬枯れした木々のあいだに見える土壁の建物は、どれも、どこかうら寂しい。
それぞれの棟には、おおきな窓があり、明かりがともると、中の様子が、手に取るように見えた。
覗き見をしているのだ、という背徳感がうすいのは、浮かび上がる光景から、遠いところにいるために、音声がいっさいないからだろうか。
土塁から、おのれの屋敷までの距離がかなりあるのに、窓の向こうの光景が、こうもはっきり見えることを不思議に思わなかった。
そのときの雲には、見えるのが当然なのだと、そういう気がしていた。
最初に、闇にぽっかりと浮かび上がる光景には、息子の義勇軍参加を嘆く、老いた第一夫人の姿があった。
それを侍女と、取り巻きの夫人たちが、けんめいになだめている。
なかには、雲の母親の姿もあった。
競り合うようにして、第一夫人の寵をあらそう。
母の戦場がそこに展開していた。
つづく
もちろん、おまえの縁談に関しての祝辞を述べるためさ。
おまえが祝言を挙げるころ、わたしは戦場にいるだろうからな。
おめでとう、末っ子。おまえの未来は約束されたようなものだ。
大手を振って、幸運に向かって歩いていくことができる。
わたしのように、遊学を理由に、この家から逃げなくて済むのだ」
逃げる、の言葉に雲はどきりとした。
この次兄は侮れない。
「わたしは逃げたのさ。父上がああなる以前から、この家は埃っぽい、退屈な家だった」
突然に話が切り替わり、雲は兄のほうを見ると、さきほどまでの笑みは消え、まじめな顔をしていた。
そうして、体をかかえるような姿勢で、雲と、しゃれこうべのとなりにならび、闇のなかの故郷を、何物も見逃すまいといったふうに見つめていた。
「とはいえ、母上が許さなかったので、わたしは常山真定からでたことがなかった。
でようと考えもしなかった。
だが、あるとき、旅の一座が、ここをおとずれたことがあってな。
いまのおまえと同じ、十四だった。
ほんの数日だったが、常山真定しか知らなかったわたしには、かれらが、とても力のある、まぶしい光のような存在に見えたのだ。
かれらが常山真定を出て行く日、わたしはかれらを見送って、集落のはずれの辻まで行った。
おまえも知っているだろう、あの辻は、集落と外界を隔てる、ちょうど境界線になっている。
それまでなんとも思わないできたのに、そこに立ったとたん、自分の可能性というものに気がついた。
わたしだって、やろうと思えば、かれらのように、この二本の足で、どこまでも行くことができるのだ。
地の果て、海の彼方にだっていける。
常山真定に留まっていなければならない理由はなんだ?
祖霊を祀るためか? 父のため? 母のため?
答えはでなかった。
ただ、外へ出ようと思ったのだ。
そうして洛陽まで行ったのだよ」
真剣に聞いていた雲であるが、最後のことばでガッカリきた。
常山真定から洛陽まで、あっさりいけるような距離ではない。
からかわれたのだ。
「おや、むくれるところではないのだがな。だが、気持ちはわかる。
たしかに洛陽などと聞いても、いまのおまえには千里の彼方に思えるだろうな。
だが、行こうと思って、行けない土地はないぞ。
おまえは幼かったから知らないだろうが、わたしがいなくなったときは、大騒ぎになったそうだよ。
父は、若い者を雇って、わたしを捜させて、ようやく洛陽で見つけた。
だが、わたしは常山真定に帰るつもりがなかったので、そのまま洛陽にとどまり、父はわたしに金を送ってよこすことにして、世間的には遊学、という体裁をととのえたのだ。
兄上がいたから、次男坊は生きているだけでいい、醜聞さえおこさねばよい、と思ったのだろう」
昔話を敬は笑いながら語るのであるが、その笑いには、どこか虚しさも含まれていた。
「だが、奇妙なもので、年を経るごとに、この家から逃げたのだという負い目は、どんどん大きくなっていった。
離れた瞬間は、翼でも生えたような心地がして、二度と戻りたくない、とさえ思った故郷なのに、それでも、一日たりとも忘れることができなかったのだよ。
だから、最期にどうしても戻ってきたかったのさ。だが、もう十分だ」
敬はそう言って、目を伏せる。
表面に仮面のようについていた笑顔が消えると、憂愁をおびたその表情は、気味が悪くなるくらいに、自分の未来の姿のように見えた。
「さて、わたしの話を辛抱強く聞いたおまえに、褒美として、おもしろいものを見せてやろう。
静かにしているのだぞ。ごらん!」
敬が指さす先には、趙家のそれぞれの夫人の住まう家屋が並んでいる。
冬枯れした木々のあいだに見える土壁の建物は、どれも、どこかうら寂しい。
それぞれの棟には、おおきな窓があり、明かりがともると、中の様子が、手に取るように見えた。
覗き見をしているのだ、という背徳感がうすいのは、浮かび上がる光景から、遠いところにいるために、音声がいっさいないからだろうか。
土塁から、おのれの屋敷までの距離がかなりあるのに、窓の向こうの光景が、こうもはっきり見えることを不思議に思わなかった。
そのときの雲には、見えるのが当然なのだと、そういう気がしていた。
最初に、闇にぽっかりと浮かび上がる光景には、息子の義勇軍参加を嘆く、老いた第一夫人の姿があった。
それを侍女と、取り巻きの夫人たちが、けんめいになだめている。
なかには、雲の母親の姿もあった。
競り合うようにして、第一夫人の寵をあらそう。
母の戦場がそこに展開していた。
つづく
※ いつも当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、ありがとうございます(^^♪
そして、ブログ村およびブログランキングに投票してくださっているみなさまも、感謝です!
ここ数日、けっこう気温差があるうえ、日中は寒く、しかも風が強い仙台…
GWは天気がいいという予報ですので、未来に期待しているところです。
とはいえ、GWは我が家でもいろいろ予定がありますので、待ち遠しいような、緊張するような。
ブログ運営等も、お休みするか否か、まだ決めかねています。
決まったらまた連絡させていただきます。
ではでは、今日もよい一日をお過ごしください('ω')ノ