9
「起きているか」
「寝ている」
「起きているではないか」
「寝言だ。というわけで眠れ。ただでさえ相部屋という状況がたまらぬのに」
「それじゃあ、俺の独り言だと思って聞け。あんたは不安な道連れだな。怒っているのか、それとも悲しんでいるのか、よくわからん」
「怒っているさ。眠れないのだからな」
「ほら、やっぱり起きているのではないか。月の明かりが射しこんで、妙に眠れない。
あんたの名前も月に由来するのか。派手な名前だな。名が亮で、字が孔明。外見に合っている」
「だからどうした」
「いや、あんたの名前を付けたのが父親か、ほかの親族かはわからんが、ずいぶん気合を入れて名づけたのだなと思ってな。あんたはきっと、可愛がられて育ったのだろうと思うよ」
「なぜそう思う。わがままだからか」
「憎まれ口を叩いてはいるが、あんたは、なんだかんだと俺に譲歩している。
結局、相部屋の条件も呑んだし、あの女薬師の薬も素直に飲んだし。まるっきり手に負えないわがままではない」
「見立てちがいだ。可愛がられて育ったとは思うが、わたしは手に負えないわがままだ」
「自分で言うところからして、ちがうだろう。ひとつ聞きたい。これだけ聞いたら、あとはもう静かにする」
「言ってみろ」
「さっき、宿の主や、ほかの泊り客などとも話してみて、思ったのだが、俺は口下手だな」
「わたしにはべらべら喋っているではないか。安心せよ、あなたはだれとでもそつなく付き合うことのできる。隙がまったくない人だ」
「本当にそうか? 宿の主相手に、簡単な話はできるが、軽口が叩けないし、言葉をえらぶにも慎重になってしまって、ひどく疲れた。
思うに、これは記憶がなくなったからではないな。俺はもともとそういう人間なのだ。孔明、あんたがきっと、俺にとって例外だったのではないか」
「そうではない。旅先であるし、記憶がないからだ」
「あんたは前に、俺が単なる友人の一人だといったが、ほんとうにそうなのか? いや、あんたがそう思っていても、俺のほうはそうではなかったのかもしれない」
「………」
「答えてはくれんのか」
「質問はひとつだと言ったのに、二つも質問をした。そういうわがままに答える義務はない」
「………」
「おや、怒ったか」
「寝ただけだ」
「起きているじゃないか」
※
「子龍、起きろ! してやられた!」
「なんだ? どうした?」
「ええい、記憶がなくなっても、あなたの能力は変わらないだろうと、呑気にかまえていたわたしもいけない! まったく迂闊だった。冗談ではない。どうすればよいのだろう。こういうときこそ、あらわれろ、赤毛!」
「すまぬ、まだ夢を見ているのだろうか。なんだってそんなに、罠にかかったキツネのように、きゃんきゃんとわめいているのだ?」
「わたしをキツネというな! キツネだけは却下だ!」
「すまなかった。キツネに嫌な思いがあるのだな」
「旅先でその名を聞かねばならぬとは…いや、キツネなんぞはどうでもいい。子龍、石を盗まれた」
「なんだと? いつ?」
「どうやら、お互いに眠り込んでいるあいだに、あの薬師とかいう女が盗み出したようだな。宿屋の主が、夜が明けきらないあいだに、女が飛び出していくのを見ている」
「薬師ではなく、盗人であったのか」
「いいや、単なる盗人ではないらしい。宿屋の主の話では、薬師というのは本当で、たしかに漢族ではないが、真面目でやさしい女で、いかがわしいところなど、欠片もないそうだ。宿の代金も、ちゃんと精算していったそうだぞ」
「真面目でやさしい女が、男二人が眠っている部屋に忍び込んで、石を盗むか? 金子はどうなっている」
「手付かずになっているよ」
「おかしいな」
「うん、おかしい。わたしはあの石を、この町に入ってから、一度も表に出していない。あの女は、石だけを盗んでいった。
ほかにも金目のものはあったのに、まるで、わたしが最初から石を持っていることを知っていたかのようにな」
「石を持っていることを、知っていたとしたらどうだ」
「うん、わたしもそれを考えた。わたしが探さねばならない石はあと三つ。赤毛がいうには、石は石を呼ぶ性質があるという。
あの女、石を持っていて、その石に、こう願っていたのならどうだ。『ほかの石をみつけられますように』と」
「利巧だな。そうすれば、自然と石を五つ集められる、というわけか」
「これを吉と見るべきか、凶と見るべきか。捨てたくてたまらなかったものを、あの女が勝手に持っていってくれた。
石はわたしの手元になく、女は石をあつめた。見届ける者だと名乗ったあいつは、女のほうについていくのではなかろうか」
「いや、そうではないだろうよ。これは凶と見るべきだ」
「なぜ」
「孔明、あんたの話じゃ、あんたが石に選ばれた理由は、石に頼らない意志のつよさを見込まれたからなのだろう。
しかし、あの女が石に願いをかけたのであれば、石はあの女を選ばない。きっとあの女に反動があらわれて、とんでもないことになるのではないか」
「あるいは、赤毛が両天秤をかけていた可能性だ。わたしと、あの女と、どちらが先に石を多くあつめられるか。
しかし、石に願をかけてしまった時点で、女にはおそろしい落とし穴が待っている」
「どうする」
「追おう。このまま見捨てるわけにもいくまい」
※
「こちらは空振りだ。あの女に関しての話は聞けたが、それだけだ。そちらはどうだった?」
「目立つ女だから、かならず野良仕事に出始めただれかの目についていると思ったが、案の定だった。西へ向かって逃げている様子だ」
「西か。『塔』へ向かっているのか? 女の足だ。それに、さほど時間が経っていない。どこかで馬を調達しよう。昼には追いつけるかもしれぬ」
「それがよかろうな」
「なんだ、気になることでも?」
「ああ。さきほどの農夫も、ほかの連中も、女のことを聞いたら、みな、口ごもるのだ」
「口ごもる? なぜ…ああ、わかった。わたしのほうも、聞き出すのに手間どったからな。理由は、あの女が薬師だからだ」
「そうだ。このあたりには、まともな医者はすくない。あの女の評判はともかくいい。どんな僻村であろうと、病人がいるからと頼めば、嫌な顔ひとつせずに出向いていったという」
「そんな人格者が盗みか。まあ、石の力のことを考えれば、そのあたりは差し引くべきであろう。とはいえ、それはまずいな。このあたりの者からすれば、われらはよそもので、女は恩人。われらを警戒し、女を庇って嘘をつくものも出てくる可能性がある。
あの女が、街道を使っていることはまちがいない。女の身で、裏道を抜ける危険は冒さないだろう」
「なぜ言い切れるのだ。石の加護が、あの女にも働いているかもしれないではないか」
「赤毛は、石は石を呼ぶといった。だが、あの女が石を持っていたのなら、どうしてわたしには、それが察することができなかったのだろう?
こうはかんがえられないだろうか。あの女は、石に『残りの石を見つけられますように』と願っていたとしたら? だから、わたしが石を持っているのだとわかった」
「石を集めるために、石を見つけられるようにと願をかけたというのか? なんのために? あんたのいう赤毛に命令されたからか?」
「いいや、赤毛はたしかに口を出してくるが、口だけだ。
こういうことではないのかな。
あの女は、一度、石に願いをかけた。そして、その力の威力も知った。だが、反動もくることに気づいたのではないか。それを止めるためには、もうひとつの石があればいい。
だが、反動はそのままでは連鎖しつづける。だから、それを止めるための、みっつめの石を必要とした」
「待て。ひとつの石は、一人の人間の願いに、一度しか答えないのか?」
「おそらく。最初の宿の夫婦のことを考えればわかる。妻は夫を取り戻したいと願いをかけた。ところが、夫の心がもどってきた反動として、子どもたちはみな夭折してしまい、家門も傾いた。
石が何度も願いを聞いてくれるものならば、子どもたちを生き返らせてほしいとか、あるいは、家門の再興を願ったのではないかね。
でも、そうできなかった。石は一人の人間の願いを、一度しか叶えないからだ」
「つまり、反動をかならず受けるようになっている?」
「反動は、努力せずに物事をかなえようとする不自然さに対する、歪みが跳ね返ってくるものだ。石が人間の願いを叶えるのはなぜだ? 元にある場所に戻りたいからではないのか」
「どういうことだ」
「つまり、一人の人間の手に、長く止まることをよしとしないのだ。人の手から手へ移動し、最初に発見された、塔のある村へと帰ろうとしているのだよ。世の中に歪みを撒き散らしながらな」
「とんでもない話だな。だから石は人を誘惑するわけか。で、誘惑に乗らない人間を見つけると、なついて、自分たちを塔に戻すようにと訴えかける、と」
「そんなところであろう。あの女に対して、気になることを聞いた」
「どんなことだ」
「最初、あの女がこの地にやってきたときは、夫婦だったというのだ。夫のほうは、最近になって、気の毒に、ひどい感冒にかかって、女の必死の看病にもかかわらず死んでしまったという」
「反動か?」
「うむ、そうであろう。仲むつまじい夫婦だったそうだが、夫が病にたおれる直前に、ひどい喧嘩をしているところを見た者がいるそうだよ。
ふだんはおとなしい女で、よく夫に従う慎ましい女だと思っていたのに、夫の叱責にまるで引かない様子だったので、村の人間がおぼえていたのだ」
「喧嘩の原因は?」
「村で病人が出たのだが、これがむずかしい病気で、薬だけではとてもではないが治せるものではなかったというのだ。
夫のほうは、これは手の尽くしようがないといい、女のほうは、まだ方法はある、と言った。すると喧嘩になったというのだ」
「なるほど。背景を考えるとこうだな。病人を癒すために、石に願いをかけようとした妻に、夫が反対した。そして喧嘩になった。病人はどうなった」
「はげしい喧嘩のすえ、ふたたび女が病人を診ると、病人は突然に癒えた。女は、すべての災厄はわたしが引き受けるとかなんとか言っていたようだから、まずまちがいなく石を使ったのだ」
「でも、石は一人の人間に一度しか願いを叶えないのではないのか」
「だから、そこだ。石は、二つあるのではないだろうか。一度目は、女が病人を癒すためにつかった。二度目は、三番目の石を見つけられるようにと願った」
「おかしいぞ。矛盾している。夫が病に倒れたときに、どうして、石の力を使わなかったのだ? 反動が自分ではなく、夫が引き受けたことで、しり込みをしてしまったのだろうか?」
「それは、本人に聞かねばわからぬが、いま女は、手に四つの石を持っているということだ。もしもあなたならば、この負の連鎖をどうやって断ち切る?」
「石を探して、反動を止めてくれと願う? いや、だめだな。反動を止める反動もやってくるだろう。わからん」
「そうだ。解決法がない。本来ならば解決できない問題を、無理に解決させようとした反動は、かならずやってくるものなのだ。これを避けることはできない」
「では、俺も、いずれは反動を受けるのか」
「そうはならない。安心するがいい」
「あんたは本当によくわからん。なぜ安心しろなどと言い切れるんだ?」
「東へ帰る予定の男は、よけいなことは考えなくてよろしい。記憶になくなっている家族と、これから先、どうやってうまくやっていくかを、女を追いかけながら考えろ」
「家族、家族というが、どんな人となりかもわからない人間のことを想像して、どうやってうまくやっていくかを考えるのだ?
それに、気になっていたのだが、俺は家族といっさいの連絡をとらずに、ひとりで蜀にいたわけだろう。どうしてだ? 俺の両親はどうなっている? 兄弟とは連絡をとっていたのだろうか」
「兄弟がいたことは覚えているのだな」
「うん? あんた、俺の家族のことはなにも聞いていないと言っていなかったか?」
「あー、それはあれだ。ことばのあやというか、多少のことは聞いていたとも。ちょっとした履歴みたいなもの程度で、くわしくは知らない」
「本当にそうか? なにか変だな。あんたは不安な道連れだ。こんなわけのわからない状況で、急に怒り出したり、かと思えば嘘をついてみたり、まるで俺をうまくいいくるめて、ともかく故郷へ追い返したがっているようだ」
「そういうわけではないが」
「では、どういうわけなのだ。俺は、記憶をなくす前に、あんたになにか悪いことでもしたのか? だから、ここぞとばかりに、あんたは俺を側から追放したがっているのか?
だったら、そうはっきり言ってくれないか。俺はあんたにとって、どんな人間だった?」
「同じ主をいただく仲間であった。たまに顔をあわせれば世間話をする程度で、こんどの旅に同行するようになったのは、ほかに適当な人材がいなかったからだ。前にも言ったぞ、これ」
「ほかに人材がいなくて、さほど仲良くない俺を選んでつれてきた? なにやら妙な話だな。あんたのいう人材とやらは、だいたい何人くらいだ」
「ああ、もう、細かい人だな。以前のあなたはそんなふうにぐだぐだと言う人ではなかったのに」
「こちらの人生がかかっているのだぞ、細かくもなる! というより、あんた、やはり俺のことを、かなりくわしく知っているのではないか?」
「知らないといったら知らない!」
「また怒る」
「怒らせるからだ。いまは石だ。石を追わねばならんのだ!」
「ほら、そこも矛盾だ。あんたは石と縁を切るために塔を探しているのだろう? だったら、このまま四つも石を持っている女にすべてをまかせて、あんたは南、おれは北東へ帰ればよい」
「やはり故郷へ帰りたいのか」
「あんたにうるさく言われて暗示にかかったのかな。どんな連中なのか、顔をみてみたくなった」
「そうだな、そう思うのが普通だろうな」
「なんだか急に威勢がなくなったな」
「べつに」
「腹がすいているからだろう。そろそろなにか腹に入れたほうがいい」
つづく……
「起きているか」
「寝ている」
「起きているではないか」
「寝言だ。というわけで眠れ。ただでさえ相部屋という状況がたまらぬのに」
「それじゃあ、俺の独り言だと思って聞け。あんたは不安な道連れだな。怒っているのか、それとも悲しんでいるのか、よくわからん」
「怒っているさ。眠れないのだからな」
「ほら、やっぱり起きているのではないか。月の明かりが射しこんで、妙に眠れない。
あんたの名前も月に由来するのか。派手な名前だな。名が亮で、字が孔明。外見に合っている」
「だからどうした」
「いや、あんたの名前を付けたのが父親か、ほかの親族かはわからんが、ずいぶん気合を入れて名づけたのだなと思ってな。あんたはきっと、可愛がられて育ったのだろうと思うよ」
「なぜそう思う。わがままだからか」
「憎まれ口を叩いてはいるが、あんたは、なんだかんだと俺に譲歩している。
結局、相部屋の条件も呑んだし、あの女薬師の薬も素直に飲んだし。まるっきり手に負えないわがままではない」
「見立てちがいだ。可愛がられて育ったとは思うが、わたしは手に負えないわがままだ」
「自分で言うところからして、ちがうだろう。ひとつ聞きたい。これだけ聞いたら、あとはもう静かにする」
「言ってみろ」
「さっき、宿の主や、ほかの泊り客などとも話してみて、思ったのだが、俺は口下手だな」
「わたしにはべらべら喋っているではないか。安心せよ、あなたはだれとでもそつなく付き合うことのできる。隙がまったくない人だ」
「本当にそうか? 宿の主相手に、簡単な話はできるが、軽口が叩けないし、言葉をえらぶにも慎重になってしまって、ひどく疲れた。
思うに、これは記憶がなくなったからではないな。俺はもともとそういう人間なのだ。孔明、あんたがきっと、俺にとって例外だったのではないか」
「そうではない。旅先であるし、記憶がないからだ」
「あんたは前に、俺が単なる友人の一人だといったが、ほんとうにそうなのか? いや、あんたがそう思っていても、俺のほうはそうではなかったのかもしれない」
「………」
「答えてはくれんのか」
「質問はひとつだと言ったのに、二つも質問をした。そういうわがままに答える義務はない」
「………」
「おや、怒ったか」
「寝ただけだ」
「起きているじゃないか」
※
「子龍、起きろ! してやられた!」
「なんだ? どうした?」
「ええい、記憶がなくなっても、あなたの能力は変わらないだろうと、呑気にかまえていたわたしもいけない! まったく迂闊だった。冗談ではない。どうすればよいのだろう。こういうときこそ、あらわれろ、赤毛!」
「すまぬ、まだ夢を見ているのだろうか。なんだってそんなに、罠にかかったキツネのように、きゃんきゃんとわめいているのだ?」
「わたしをキツネというな! キツネだけは却下だ!」
「すまなかった。キツネに嫌な思いがあるのだな」
「旅先でその名を聞かねばならぬとは…いや、キツネなんぞはどうでもいい。子龍、石を盗まれた」
「なんだと? いつ?」
「どうやら、お互いに眠り込んでいるあいだに、あの薬師とかいう女が盗み出したようだな。宿屋の主が、夜が明けきらないあいだに、女が飛び出していくのを見ている」
「薬師ではなく、盗人であったのか」
「いいや、単なる盗人ではないらしい。宿屋の主の話では、薬師というのは本当で、たしかに漢族ではないが、真面目でやさしい女で、いかがわしいところなど、欠片もないそうだ。宿の代金も、ちゃんと精算していったそうだぞ」
「真面目でやさしい女が、男二人が眠っている部屋に忍び込んで、石を盗むか? 金子はどうなっている」
「手付かずになっているよ」
「おかしいな」
「うん、おかしい。わたしはあの石を、この町に入ってから、一度も表に出していない。あの女は、石だけを盗んでいった。
ほかにも金目のものはあったのに、まるで、わたしが最初から石を持っていることを知っていたかのようにな」
「石を持っていることを、知っていたとしたらどうだ」
「うん、わたしもそれを考えた。わたしが探さねばならない石はあと三つ。赤毛がいうには、石は石を呼ぶ性質があるという。
あの女、石を持っていて、その石に、こう願っていたのならどうだ。『ほかの石をみつけられますように』と」
「利巧だな。そうすれば、自然と石を五つ集められる、というわけか」
「これを吉と見るべきか、凶と見るべきか。捨てたくてたまらなかったものを、あの女が勝手に持っていってくれた。
石はわたしの手元になく、女は石をあつめた。見届ける者だと名乗ったあいつは、女のほうについていくのではなかろうか」
「いや、そうではないだろうよ。これは凶と見るべきだ」
「なぜ」
「孔明、あんたの話じゃ、あんたが石に選ばれた理由は、石に頼らない意志のつよさを見込まれたからなのだろう。
しかし、あの女が石に願いをかけたのであれば、石はあの女を選ばない。きっとあの女に反動があらわれて、とんでもないことになるのではないか」
「あるいは、赤毛が両天秤をかけていた可能性だ。わたしと、あの女と、どちらが先に石を多くあつめられるか。
しかし、石に願をかけてしまった時点で、女にはおそろしい落とし穴が待っている」
「どうする」
「追おう。このまま見捨てるわけにもいくまい」
※
「こちらは空振りだ。あの女に関しての話は聞けたが、それだけだ。そちらはどうだった?」
「目立つ女だから、かならず野良仕事に出始めただれかの目についていると思ったが、案の定だった。西へ向かって逃げている様子だ」
「西か。『塔』へ向かっているのか? 女の足だ。それに、さほど時間が経っていない。どこかで馬を調達しよう。昼には追いつけるかもしれぬ」
「それがよかろうな」
「なんだ、気になることでも?」
「ああ。さきほどの農夫も、ほかの連中も、女のことを聞いたら、みな、口ごもるのだ」
「口ごもる? なぜ…ああ、わかった。わたしのほうも、聞き出すのに手間どったからな。理由は、あの女が薬師だからだ」
「そうだ。このあたりには、まともな医者はすくない。あの女の評判はともかくいい。どんな僻村であろうと、病人がいるからと頼めば、嫌な顔ひとつせずに出向いていったという」
「そんな人格者が盗みか。まあ、石の力のことを考えれば、そのあたりは差し引くべきであろう。とはいえ、それはまずいな。このあたりの者からすれば、われらはよそもので、女は恩人。われらを警戒し、女を庇って嘘をつくものも出てくる可能性がある。
あの女が、街道を使っていることはまちがいない。女の身で、裏道を抜ける危険は冒さないだろう」
「なぜ言い切れるのだ。石の加護が、あの女にも働いているかもしれないではないか」
「赤毛は、石は石を呼ぶといった。だが、あの女が石を持っていたのなら、どうしてわたしには、それが察することができなかったのだろう?
こうはかんがえられないだろうか。あの女は、石に『残りの石を見つけられますように』と願っていたとしたら? だから、わたしが石を持っているのだとわかった」
「石を集めるために、石を見つけられるようにと願をかけたというのか? なんのために? あんたのいう赤毛に命令されたからか?」
「いいや、赤毛はたしかに口を出してくるが、口だけだ。
こういうことではないのかな。
あの女は、一度、石に願いをかけた。そして、その力の威力も知った。だが、反動もくることに気づいたのではないか。それを止めるためには、もうひとつの石があればいい。
だが、反動はそのままでは連鎖しつづける。だから、それを止めるための、みっつめの石を必要とした」
「待て。ひとつの石は、一人の人間の願いに、一度しか答えないのか?」
「おそらく。最初の宿の夫婦のことを考えればわかる。妻は夫を取り戻したいと願いをかけた。ところが、夫の心がもどってきた反動として、子どもたちはみな夭折してしまい、家門も傾いた。
石が何度も願いを聞いてくれるものならば、子どもたちを生き返らせてほしいとか、あるいは、家門の再興を願ったのではないかね。
でも、そうできなかった。石は一人の人間の願いを、一度しか叶えないからだ」
「つまり、反動をかならず受けるようになっている?」
「反動は、努力せずに物事をかなえようとする不自然さに対する、歪みが跳ね返ってくるものだ。石が人間の願いを叶えるのはなぜだ? 元にある場所に戻りたいからではないのか」
「どういうことだ」
「つまり、一人の人間の手に、長く止まることをよしとしないのだ。人の手から手へ移動し、最初に発見された、塔のある村へと帰ろうとしているのだよ。世の中に歪みを撒き散らしながらな」
「とんでもない話だな。だから石は人を誘惑するわけか。で、誘惑に乗らない人間を見つけると、なついて、自分たちを塔に戻すようにと訴えかける、と」
「そんなところであろう。あの女に対して、気になることを聞いた」
「どんなことだ」
「最初、あの女がこの地にやってきたときは、夫婦だったというのだ。夫のほうは、最近になって、気の毒に、ひどい感冒にかかって、女の必死の看病にもかかわらず死んでしまったという」
「反動か?」
「うむ、そうであろう。仲むつまじい夫婦だったそうだが、夫が病にたおれる直前に、ひどい喧嘩をしているところを見た者がいるそうだよ。
ふだんはおとなしい女で、よく夫に従う慎ましい女だと思っていたのに、夫の叱責にまるで引かない様子だったので、村の人間がおぼえていたのだ」
「喧嘩の原因は?」
「村で病人が出たのだが、これがむずかしい病気で、薬だけではとてもではないが治せるものではなかったというのだ。
夫のほうは、これは手の尽くしようがないといい、女のほうは、まだ方法はある、と言った。すると喧嘩になったというのだ」
「なるほど。背景を考えるとこうだな。病人を癒すために、石に願いをかけようとした妻に、夫が反対した。そして喧嘩になった。病人はどうなった」
「はげしい喧嘩のすえ、ふたたび女が病人を診ると、病人は突然に癒えた。女は、すべての災厄はわたしが引き受けるとかなんとか言っていたようだから、まずまちがいなく石を使ったのだ」
「でも、石は一人の人間に一度しか願いを叶えないのではないのか」
「だから、そこだ。石は、二つあるのではないだろうか。一度目は、女が病人を癒すためにつかった。二度目は、三番目の石を見つけられるようにと願った」
「おかしいぞ。矛盾している。夫が病に倒れたときに、どうして、石の力を使わなかったのだ? 反動が自分ではなく、夫が引き受けたことで、しり込みをしてしまったのだろうか?」
「それは、本人に聞かねばわからぬが、いま女は、手に四つの石を持っているということだ。もしもあなたならば、この負の連鎖をどうやって断ち切る?」
「石を探して、反動を止めてくれと願う? いや、だめだな。反動を止める反動もやってくるだろう。わからん」
「そうだ。解決法がない。本来ならば解決できない問題を、無理に解決させようとした反動は、かならずやってくるものなのだ。これを避けることはできない」
「では、俺も、いずれは反動を受けるのか」
「そうはならない。安心するがいい」
「あんたは本当によくわからん。なぜ安心しろなどと言い切れるんだ?」
「東へ帰る予定の男は、よけいなことは考えなくてよろしい。記憶になくなっている家族と、これから先、どうやってうまくやっていくかを、女を追いかけながら考えろ」
「家族、家族というが、どんな人となりかもわからない人間のことを想像して、どうやってうまくやっていくかを考えるのだ?
それに、気になっていたのだが、俺は家族といっさいの連絡をとらずに、ひとりで蜀にいたわけだろう。どうしてだ? 俺の両親はどうなっている? 兄弟とは連絡をとっていたのだろうか」
「兄弟がいたことは覚えているのだな」
「うん? あんた、俺の家族のことはなにも聞いていないと言っていなかったか?」
「あー、それはあれだ。ことばのあやというか、多少のことは聞いていたとも。ちょっとした履歴みたいなもの程度で、くわしくは知らない」
「本当にそうか? なにか変だな。あんたは不安な道連れだ。こんなわけのわからない状況で、急に怒り出したり、かと思えば嘘をついてみたり、まるで俺をうまくいいくるめて、ともかく故郷へ追い返したがっているようだ」
「そういうわけではないが」
「では、どういうわけなのだ。俺は、記憶をなくす前に、あんたになにか悪いことでもしたのか? だから、ここぞとばかりに、あんたは俺を側から追放したがっているのか?
だったら、そうはっきり言ってくれないか。俺はあんたにとって、どんな人間だった?」
「同じ主をいただく仲間であった。たまに顔をあわせれば世間話をする程度で、こんどの旅に同行するようになったのは、ほかに適当な人材がいなかったからだ。前にも言ったぞ、これ」
「ほかに人材がいなくて、さほど仲良くない俺を選んでつれてきた? なにやら妙な話だな。あんたのいう人材とやらは、だいたい何人くらいだ」
「ああ、もう、細かい人だな。以前のあなたはそんなふうにぐだぐだと言う人ではなかったのに」
「こちらの人生がかかっているのだぞ、細かくもなる! というより、あんた、やはり俺のことを、かなりくわしく知っているのではないか?」
「知らないといったら知らない!」
「また怒る」
「怒らせるからだ。いまは石だ。石を追わねばならんのだ!」
「ほら、そこも矛盾だ。あんたは石と縁を切るために塔を探しているのだろう? だったら、このまま四つも石を持っている女にすべてをまかせて、あんたは南、おれは北東へ帰ればよい」
「やはり故郷へ帰りたいのか」
「あんたにうるさく言われて暗示にかかったのかな。どんな連中なのか、顔をみてみたくなった」
「そうだな、そう思うのが普通だろうな」
「なんだか急に威勢がなくなったな」
「べつに」
「腹がすいているからだろう。そろそろなにか腹に入れたほうがいい」
つづく……