少年が槍をふるって、たったひとりで練習を重ねている。
それはもはや、村の風景のひとつになっていたので、いまさらめずらしがってかれに声をかけるものはない。
通りすがりの村人たちは、倦むこともなく、汗を散らしながら槍をふるう少年を見て、あきれたような、感心したような目をむけていた。
さっきまで、おなじ年頃の少年たちも、一緒に稽古にはげんでいたのだが、いまはいない。
少年以外の子供たちとっては、槍の稽古は楽しい遊戯のひとつにすぎないのだ。
かれらは、村の鐘楼が夕暮れをしらせるころには、家の手伝いをしなければならなくなるので、片付けもそこそこに帰ってしまう。
寒風に乗って、集落たちのささやきが聞こえてくる。
趙家の末の子は、父親に似ず、まじめで熱心だ…
あるいは。
だんだん、父親の若いころに似てきた…
似るだけならよいがなあ。
あれも長じれば自分にうぬぼれて、つまらない人間に成り下がってしまわないかねえ、心配だ…
いや、趙家の主とて、若い頃は、それはたいしたものだった。
そうさ、いい男っぷりだった。
今はあんなふうに、ぼけてしまったが…
そんな声が。
常山真定の、趙一族が総べる集落のひとつである。
趙一族はかつてこの地を治めていた王族の末裔だと自称していた。
だが、それが本当であることを示す確かな証拠はない。
系図だけがあったが、その系図とて、どこかの戦乱のどさくさに偽造されたものかもしれない。
あるいは、そうではないかもしれない。
ともあれ、かれら趙一族が、その土地ではそれなりの権勢を持つ一族であったことはまちがいなかった。
『あった』である。
いまは、趙一族は時流にのりおくれ、一族から出世頭を出すこともできず、零落の一途をたどっていた。
なにせ、一族の長が、長いこと病みついて、まともに小作人たちを管理できなくなっていたから仕方がない。
小作人たちもつけあがり、長の末子に聞えよがしの意地悪をいって、はばからない。
末子がおとなしいので、なめてかかっているのだ。
少年は、かつてはおそろしい領主だったという、父の若いころをどうしても想像ができない。
いまの父は無残という表現がぴったりの姿になっていた。
一回でも風邪をひいたら、おそらく黄泉の底にまっさかさまだろう。
馬の落馬事故がきっかけで、急速にからだが悪くなり、頭脳のほうもおとろえてしまったのだ。
そうなる前のかれの父は、まだ颯爽としていたそうだ。
そして、かれが生まれたとき、それはそれは大喜びしたという。
得意ついでに、観相家に赤ん坊だったかれを見せた。
観相家は、
「まれにみる美しい赤ん坊です。
鼻のかたちもすっきりして、両目も星のように輝いている。
知恵の盛んなあかしです。耳たぶもふっくらしておりますから、きっと長寿を得るでしょう」
と、絶賛をしたそうだ。
少年の父は、すっかり気をよくして、末子のかれに「雲」と名付けた。
美しく、盛んであるようにとの期待を込めて。
少年は、期待にたがわず聡明な美しい子に育った。
だが、ざんねんなことに、父は、少年のことがもうわからない。
領地の管理は、少年のいちばん上の兄がおこなっていた。
ただし、この兄は気の優しいひとで、もともと領民を厳しく取り締まるのに向いていない。
長兄は無理をしながら毎日の仕事をこなしていたが、これまたざんねんなことに、小作人たちは兄をどんどん侮っていくばかりであった。
少年は、今日も千回、槍を振った。
誰に教えられたわけでもないのだが、少年は、槍が上手になるためには、毎日くりかえし練習する以外に道はないということを確信していた。
幼馴染みや近所の悪童たちは、たまにかれの練習につきあうが、すぐに飽きてしまう。
しかもまたまたざんねんなことに、少年には、よい師匠がいなかった。
少年の槍の稽古を見てくれるのは、柵のところにぽつんと置かれた|髑髏《しゃれこうべ》だけである。
ぽっかり空いた眼窩は何も語らない。
少年も、そのしゃれこうべに物語を見いだせない。
だが、なぜかそれがそこにあることが気に入って、いつも柵のところにおいて、師匠の代わりをさせているのだった。
その日は、重く垂れ込めた空の下、雪が降りてくるのを、息を殺して待っているような、寒い寒い初冬であった。
「ぼうず、なかなか筋がよさそうじゃないか」
不意に声をかけられて、少年は槍を止めた。
そうして、怪訝そうに、声をかけてきた男を見る。
見たことのない男であった。
小洒落た格好をしている。
垢抜けない陰鬱とした田舎の集落には、まったくなじまない雰囲気の男である。
波飛沫と二匹の魚が向かい合う意匠の、派手な帯飾りをぶらさげて、青白い顔に、丁寧に手入れされた髯をたくわえている。
二十代半ばくらいだろうか。
つづく
それはもはや、村の風景のひとつになっていたので、いまさらめずらしがってかれに声をかけるものはない。
通りすがりの村人たちは、倦むこともなく、汗を散らしながら槍をふるう少年を見て、あきれたような、感心したような目をむけていた。
さっきまで、おなじ年頃の少年たちも、一緒に稽古にはげんでいたのだが、いまはいない。
少年以外の子供たちとっては、槍の稽古は楽しい遊戯のひとつにすぎないのだ。
かれらは、村の鐘楼が夕暮れをしらせるころには、家の手伝いをしなければならなくなるので、片付けもそこそこに帰ってしまう。
寒風に乗って、集落たちのささやきが聞こえてくる。
趙家の末の子は、父親に似ず、まじめで熱心だ…
あるいは。
だんだん、父親の若いころに似てきた…
似るだけならよいがなあ。
あれも長じれば自分にうぬぼれて、つまらない人間に成り下がってしまわないかねえ、心配だ…
いや、趙家の主とて、若い頃は、それはたいしたものだった。
そうさ、いい男っぷりだった。
今はあんなふうに、ぼけてしまったが…
そんな声が。
常山真定の、趙一族が総べる集落のひとつである。
趙一族はかつてこの地を治めていた王族の末裔だと自称していた。
だが、それが本当であることを示す確かな証拠はない。
系図だけがあったが、その系図とて、どこかの戦乱のどさくさに偽造されたものかもしれない。
あるいは、そうではないかもしれない。
ともあれ、かれら趙一族が、その土地ではそれなりの権勢を持つ一族であったことはまちがいなかった。
『あった』である。
いまは、趙一族は時流にのりおくれ、一族から出世頭を出すこともできず、零落の一途をたどっていた。
なにせ、一族の長が、長いこと病みついて、まともに小作人たちを管理できなくなっていたから仕方がない。
小作人たちもつけあがり、長の末子に聞えよがしの意地悪をいって、はばからない。
末子がおとなしいので、なめてかかっているのだ。
少年は、かつてはおそろしい領主だったという、父の若いころをどうしても想像ができない。
いまの父は無残という表現がぴったりの姿になっていた。
一回でも風邪をひいたら、おそらく黄泉の底にまっさかさまだろう。
馬の落馬事故がきっかけで、急速にからだが悪くなり、頭脳のほうもおとろえてしまったのだ。
そうなる前のかれの父は、まだ颯爽としていたそうだ。
そして、かれが生まれたとき、それはそれは大喜びしたという。
得意ついでに、観相家に赤ん坊だったかれを見せた。
観相家は、
「まれにみる美しい赤ん坊です。
鼻のかたちもすっきりして、両目も星のように輝いている。
知恵の盛んなあかしです。耳たぶもふっくらしておりますから、きっと長寿を得るでしょう」
と、絶賛をしたそうだ。
少年の父は、すっかり気をよくして、末子のかれに「雲」と名付けた。
美しく、盛んであるようにとの期待を込めて。
少年は、期待にたがわず聡明な美しい子に育った。
だが、ざんねんなことに、父は、少年のことがもうわからない。
領地の管理は、少年のいちばん上の兄がおこなっていた。
ただし、この兄は気の優しいひとで、もともと領民を厳しく取り締まるのに向いていない。
長兄は無理をしながら毎日の仕事をこなしていたが、これまたざんねんなことに、小作人たちは兄をどんどん侮っていくばかりであった。
少年は、今日も千回、槍を振った。
誰に教えられたわけでもないのだが、少年は、槍が上手になるためには、毎日くりかえし練習する以外に道はないということを確信していた。
幼馴染みや近所の悪童たちは、たまにかれの練習につきあうが、すぐに飽きてしまう。
しかもまたまたざんねんなことに、少年には、よい師匠がいなかった。
少年の槍の稽古を見てくれるのは、柵のところにぽつんと置かれた|髑髏《しゃれこうべ》だけである。
ぽっかり空いた眼窩は何も語らない。
少年も、そのしゃれこうべに物語を見いだせない。
だが、なぜかそれがそこにあることが気に入って、いつも柵のところにおいて、師匠の代わりをさせているのだった。
その日は、重く垂れ込めた空の下、雪が降りてくるのを、息を殺して待っているような、寒い寒い初冬であった。
「ぼうず、なかなか筋がよさそうじゃないか」
不意に声をかけられて、少年は槍を止めた。
そうして、怪訝そうに、声をかけてきた男を見る。
見たことのない男であった。
小洒落た格好をしている。
垢抜けない陰鬱とした田舎の集落には、まったくなじまない雰囲気の男である。
波飛沫と二匹の魚が向かい合う意匠の、派手な帯飾りをぶらさげて、青白い顔に、丁寧に手入れされた髯をたくわえている。
二十代半ばくらいだろうか。
つづく
※ いつも当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、ありがとうございます!
そして、ブログ村およびブログランキングに投票してくださっているみなさまも、光栄です、感謝でーす♪
さて、本日より番外編がはじまります。
以前に投稿したものを大幅改稿しました。
楽しんでいただけたならさいわいです(#^.^#)
ではでは、みなさま、本日もよい一日をお過ごしくださいませ('ω')ノ