開戦が決まったのち、さっそく作戦会議どおりの行動が開始された。
周瑜率いる水軍は、長江をさかのぼって大陸を西へ丸く回り込むかたちで陸口《りくこう》へ移動することになった。
陸口は、曹操が拠点を置いた江陵《こうりょう》から東へ向かうと、ちょうど長江をはさんで対岸にある土地なのである。
だれの目にも、曹操の大軍が陸口を目指してくるのはあきらかであった。
陸口への上陸を許したら、あとは陸上戦の連続となってしまう。
水上戦が得意な孫権軍としては、それはなんとしても避けたいところなのだ。
周瑜の水軍の調練の結果はすさまじく、かれらは鄱陽湖《はようこ》から柴桑《さいそう》に到着後、すぐさま陸口へ移動する準備にはいった。
そのあいだに混乱はなく、何者もの付け入る隙を与えなかった。
孫権も、全幅の信頼を置いている周瑜のうごきに満足しているようである。
かれは陸口へ向かう短い数日のあいだ、暇さえあれば孔明を客館から呼んで、周瑜の自慢をくりかえした。
たしかに、周瑜ほどすべてに恵まれている男はめずらしかろうと、孔明も感心している。
孔明の目から見ても、周瑜は美形のきわみといっていい整った顔立ちをしていたし、体つきも均整がとれていて、声も涼やか。
さらには自身の家門が高く、美人の妻とのあいだに子供もめぐまれ、主君の孫権からも厚い信頼を寄せられている。
土地の人間の人気も高く、だれかに恨まれているような気配はまったくない。
あれほど降伏を叫んでいた張昭らですら、周瑜の登場で、口を閉ざしてしまった。
だからこそ、なぜ自分が毛虫のごとく嫌われることになったのかなと、孔明は不思議に思う。
のろけにも近い孫権の周瑜自慢を聞きつつ、孔明は落ち着かなくてむずむずするのを感じるほどだった。
孫権は、歌をうたう鳥のように、周瑜がいかに優れた人物かを語り、孔明がそれに同意すると……同意する以外にできることはないのだが……そうであろう、とうれしそうに言う。
「劉豫洲にも義兄弟がいるそうだが、かれらも公瑾どののような人物かな」
「関羽と張飛は天下無双の豪傑ですが、公瑾どのほど美しさは備えておりませぬな」
関羽が聞いたら、嫉妬で怒り狂うだろうなと思いつつ、孔明は答える。
得心のいく答えだったらしく、孫権はほろほろと笑って、やはり、
「そうであろうなあ」
と言う。
「貴殿も、貴殿の主騎の趙子龍どのも、なかなか立派な風貌をされているが、わしらの公瑾どのは特別じゃ」
「お褒めいただき光栄です。たしかに、将軍のおっしゃるとおり、われらは周都督には及びませぬ」
「悲観することはないぞ。公瑾どのの前では、だれでもかすむものなのだ。
なにせ、軍略においても、かれの右に出る者はない。
世に敵なし。曹操とて公瑾どのにはかなうまいよ」
孫権はそう言って、また歯を見せて笑うのだった。
そんな毒にも薬にもならないような話をしているあいだにも、柴桑から各配置につく武将たちが、孫権の元へ挨拶にやってきた。
そのたび、孫権は孔明と武将らを引き合わせ、かれらの美点を高々とほめあげ、うれしそうにするのだ。
孔明としては、孫権の自慢ついでに、江東の家臣たちとよしみを通じる機会が得られるのはありがたかった。
曹操との対戦がどうなるか、まだ蓋を開いてみないことにはわからないが、勝った場合は、この江東のひとびとは、力強い同盟相手であり好敵手になる。
そのかれらの顔ぶれと特長を知る機会は、貴重といっていい。
水軍本隊には、甘寧、呂蒙、韓当、周泰《しゅうたい》、全琮《ぜんそう》、胡綜《こそう》、呂岱《りょたい》といった錚々たる面々がならぶ。
かれらの殺気のこもった、獰猛と言っていい面構えを見るに、曹操の本隊とも互角で戦えそうだなと、孔明は頼もしく思った。
かれらは周瑜と共に陸口へ向かうのである。
反対に、海に近い広陵《こうりょう》へは顧雍《こよう》と、孫一族の者が守りにはいり、北から押し寄せてきている臧覇《ぞうは》の軍と対峙する。
広陵から内陸にはいったところにある歴陽《れきよう》には、張昭と厳峻《げんしゅん》が配置された。
張昭らの背後を固めるかたちで、盧江《ろこう》に諸葛瑾と董襲《とうしゅう》が陣取る。
歴陽に出発するまえに、張昭が挨拶にやってきた。
張昭は孔明が柴桑にやってきたときとは、ずいぶん態度がちがっていて、覚悟を決めたらしく落ち着いていた。
さらに、孔明にたいする敵意も消えていた。
それどころか、孔明と孫権がひまさえあれば語り合っているのを見て、感心してしまったのか、
「孔明どの、わたしが聞いたところによると、劉豫洲のとなりの席は、いつもあの商人上がりの麋竺が占めているとか。
どうであろう、この機会に劉豫洲の軍師をやめて、わが将軍の軍師になるというのは」
と、言い出した。
そのあまりの率直な物言いに、孔明もとっさに、それは無理ですと、角《かど》の立つ答えをしてしまいそうになった。
助け船を出してくれたのは、ほかならぬ孫権で、
「子布《しふ》よ、孔明どのを困らせるでない。孔明どのは劉豫洲を裏切ったりはせぬ。
わが子瑜が、わたしをけして裏切らぬようにな」
と張昭をたしなめてくれた。
張昭は、せっかくの機会にもったいない、とぶつぶつ言っていたが、やがて赴任先の歴陽へおとなしく向かっていった。
孫権はその後も、時間がありさえすれば孔明からいろんな話をねだった。
劉備のこと、その家臣たちのこと、荊州での暮らし、荊州の劉表の遺臣たちのこと、さらには孔明自身のことや、徐州から揚州、そして荊州に入ったその経緯まで、くわしく聞きたがった。
孔明は、丁寧にそれに応じ、孫権を満足させることにつとめた。
話しながら、この碧眼の年下の将軍は、同盟相手の情報を知りたいという以上に、江東の地から出たことがないので、より好奇心をつよくさせているのかもしれないなと思った。
孔明は孫権を好ましく思ったが、だからといって張昭が勧めるとおり、その家臣になりたいとは思わなかった。
それというのも、孫権はたしかに若いのに王者の風格を備えているが、いっぽうで人をからかう悪い癖があるのに気づいたからだ。
いまのところ、人を選んでからかっているようだが、その児戯《じぎ》めいた放言を見るに、これでは家臣たちは孫権をはばかって、気が休まらないだろうなと、孔明は思った。
その点、劉備は大樹のようにどっしりしていて、そばにいると木陰に憩っているような安らぎを覚える。
丁々発止のやり取りが好きであれば問題はないが、孔明は真面目なたちなので、やはり、劉備のそばがいいのであった。
つづく
周瑜率いる水軍は、長江をさかのぼって大陸を西へ丸く回り込むかたちで陸口《りくこう》へ移動することになった。
陸口は、曹操が拠点を置いた江陵《こうりょう》から東へ向かうと、ちょうど長江をはさんで対岸にある土地なのである。
だれの目にも、曹操の大軍が陸口を目指してくるのはあきらかであった。
陸口への上陸を許したら、あとは陸上戦の連続となってしまう。
水上戦が得意な孫権軍としては、それはなんとしても避けたいところなのだ。
周瑜の水軍の調練の結果はすさまじく、かれらは鄱陽湖《はようこ》から柴桑《さいそう》に到着後、すぐさま陸口へ移動する準備にはいった。
そのあいだに混乱はなく、何者もの付け入る隙を与えなかった。
孫権も、全幅の信頼を置いている周瑜のうごきに満足しているようである。
かれは陸口へ向かう短い数日のあいだ、暇さえあれば孔明を客館から呼んで、周瑜の自慢をくりかえした。
たしかに、周瑜ほどすべてに恵まれている男はめずらしかろうと、孔明も感心している。
孔明の目から見ても、周瑜は美形のきわみといっていい整った顔立ちをしていたし、体つきも均整がとれていて、声も涼やか。
さらには自身の家門が高く、美人の妻とのあいだに子供もめぐまれ、主君の孫権からも厚い信頼を寄せられている。
土地の人間の人気も高く、だれかに恨まれているような気配はまったくない。
あれほど降伏を叫んでいた張昭らですら、周瑜の登場で、口を閉ざしてしまった。
だからこそ、なぜ自分が毛虫のごとく嫌われることになったのかなと、孔明は不思議に思う。
のろけにも近い孫権の周瑜自慢を聞きつつ、孔明は落ち着かなくてむずむずするのを感じるほどだった。
孫権は、歌をうたう鳥のように、周瑜がいかに優れた人物かを語り、孔明がそれに同意すると……同意する以外にできることはないのだが……そうであろう、とうれしそうに言う。
「劉豫洲にも義兄弟がいるそうだが、かれらも公瑾どののような人物かな」
「関羽と張飛は天下無双の豪傑ですが、公瑾どのほど美しさは備えておりませぬな」
関羽が聞いたら、嫉妬で怒り狂うだろうなと思いつつ、孔明は答える。
得心のいく答えだったらしく、孫権はほろほろと笑って、やはり、
「そうであろうなあ」
と言う。
「貴殿も、貴殿の主騎の趙子龍どのも、なかなか立派な風貌をされているが、わしらの公瑾どのは特別じゃ」
「お褒めいただき光栄です。たしかに、将軍のおっしゃるとおり、われらは周都督には及びませぬ」
「悲観することはないぞ。公瑾どのの前では、だれでもかすむものなのだ。
なにせ、軍略においても、かれの右に出る者はない。
世に敵なし。曹操とて公瑾どのにはかなうまいよ」
孫権はそう言って、また歯を見せて笑うのだった。
そんな毒にも薬にもならないような話をしているあいだにも、柴桑から各配置につく武将たちが、孫権の元へ挨拶にやってきた。
そのたび、孫権は孔明と武将らを引き合わせ、かれらの美点を高々とほめあげ、うれしそうにするのだ。
孔明としては、孫権の自慢ついでに、江東の家臣たちとよしみを通じる機会が得られるのはありがたかった。
曹操との対戦がどうなるか、まだ蓋を開いてみないことにはわからないが、勝った場合は、この江東のひとびとは、力強い同盟相手であり好敵手になる。
そのかれらの顔ぶれと特長を知る機会は、貴重といっていい。
水軍本隊には、甘寧、呂蒙、韓当、周泰《しゅうたい》、全琮《ぜんそう》、胡綜《こそう》、呂岱《りょたい》といった錚々たる面々がならぶ。
かれらの殺気のこもった、獰猛と言っていい面構えを見るに、曹操の本隊とも互角で戦えそうだなと、孔明は頼もしく思った。
かれらは周瑜と共に陸口へ向かうのである。
反対に、海に近い広陵《こうりょう》へは顧雍《こよう》と、孫一族の者が守りにはいり、北から押し寄せてきている臧覇《ぞうは》の軍と対峙する。
広陵から内陸にはいったところにある歴陽《れきよう》には、張昭と厳峻《げんしゅん》が配置された。
張昭らの背後を固めるかたちで、盧江《ろこう》に諸葛瑾と董襲《とうしゅう》が陣取る。
歴陽に出発するまえに、張昭が挨拶にやってきた。
張昭は孔明が柴桑にやってきたときとは、ずいぶん態度がちがっていて、覚悟を決めたらしく落ち着いていた。
さらに、孔明にたいする敵意も消えていた。
それどころか、孔明と孫権がひまさえあれば語り合っているのを見て、感心してしまったのか、
「孔明どの、わたしが聞いたところによると、劉豫洲のとなりの席は、いつもあの商人上がりの麋竺が占めているとか。
どうであろう、この機会に劉豫洲の軍師をやめて、わが将軍の軍師になるというのは」
と、言い出した。
そのあまりの率直な物言いに、孔明もとっさに、それは無理ですと、角《かど》の立つ答えをしてしまいそうになった。
助け船を出してくれたのは、ほかならぬ孫権で、
「子布《しふ》よ、孔明どのを困らせるでない。孔明どのは劉豫洲を裏切ったりはせぬ。
わが子瑜が、わたしをけして裏切らぬようにな」
と張昭をたしなめてくれた。
張昭は、せっかくの機会にもったいない、とぶつぶつ言っていたが、やがて赴任先の歴陽へおとなしく向かっていった。
孫権はその後も、時間がありさえすれば孔明からいろんな話をねだった。
劉備のこと、その家臣たちのこと、荊州での暮らし、荊州の劉表の遺臣たちのこと、さらには孔明自身のことや、徐州から揚州、そして荊州に入ったその経緯まで、くわしく聞きたがった。
孔明は、丁寧にそれに応じ、孫権を満足させることにつとめた。
話しながら、この碧眼の年下の将軍は、同盟相手の情報を知りたいという以上に、江東の地から出たことがないので、より好奇心をつよくさせているのかもしれないなと思った。
孔明は孫権を好ましく思ったが、だからといって張昭が勧めるとおり、その家臣になりたいとは思わなかった。
それというのも、孫権はたしかに若いのに王者の風格を備えているが、いっぽうで人をからかう悪い癖があるのに気づいたからだ。
いまのところ、人を選んでからかっているようだが、その児戯《じぎ》めいた放言を見るに、これでは家臣たちは孫権をはばかって、気が休まらないだろうなと、孔明は思った。
その点、劉備は大樹のようにどっしりしていて、そばにいると木陰に憩っているような安らぎを覚える。
丁々発止のやり取りが好きであれば問題はないが、孔明は真面目なたちなので、やはり、劉備のそばがいいのであった。
つづく
※ いつも閲覧してくださっているみなさま、どうもありがとうございます!(^^)!
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重ねてありがとうございました!!
おかげさまで二章目に突入することが出来ました(^^♪
三章目もげんざい鋭意制作中でございますv
やはり創作するのは楽しいですね。
短編も追加することを計画しておりますので、計画が進み次第、また連絡いたしますね!
オリジナル作品の準備もじわじわすすんでいますよー!
今後の展開をおたのしみに!
ではでは、次回は月曜日です。
またお会いしましょう(*^▽^*)