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帯とけの枕草〔二百二十一〕ほそどのにびんなき人
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百二十一〕細殿にびんなき人
ほそどのに、びんなき人なん、暁にかさゝしていでける(女房の局には不都合な人がですね、暁に傘さして出て来たのよ……細とのには具合のわるいおとこがねえ、あかつきに嵩さし障って出て来たそうよ)」と、誰かが・言い出したのを、よく聞けば、わがうへ(わが身の上…わが身の下)のことだったのだ。地下(昇殿許されない男)だと言うのでは、容易に、人(女房)に許されるような男ではありはしないものを、変だなと思っているときに、上(宮)より御文もって使いが来て、「返りごと、ただ今と仰せられた」という。何事なのかと見れば、大傘の絵を描いて人は見えず、ただ手だけで傘を持たせて、下に、
山のはあけしあしたより
(山の端明けた朝に・かささして大人物が出てきたようね……山ば果てた朝に、――)。
と書かせておられた。やはり、たわいないことであっても、ただ愛でたい方にだけお観じになられるので、恥ずかしくて不快なことは、何とかご覧になられないようにと思うのに、このような空言がでてくると、くるしけれどおかしくて(心苦しいけれどおかしくて)、別の紙に雨を激しく降らせて、下に、
ならぬ名のたちにけるかな、さてや、ぬれぎぬにはなり侍らむ
(涙雨が激しく降っています。立ってはならぬ噂が立ったことよ、それで、濡れ衣にはなっているでしょうか……おとこ雨が激しく降り、成らない汝が絶ったようで、それで、濡れ衣にはなっているのでしょうか)。
と申し上げれば、右近の内侍らに語られ、わらはせ給けり(お笑いになられたのだった)。
言の戯れを知り、言の心を心得ましょう。
「ほそどの…細殿…女房の局…よき女」「細…ほめことば」「との…殿…家…女」「と…門…女」「かささして…傘さして…嵩さしさわって」「傘の絵…傘さした大人物…嵩さし障ったおとこ」「応えの絵の雨…涙雨…おとこ雨」「ならぬ…成らぬ…成就しない…差し障ってならない」「名…評判…(不都合な男をひきいれたという)噂…(細どのなので嵩さしさわったという)噂…な…汝…相手…彼」「たち…立ち…発ち…絶ち…断ち」「ぬれぎぬ…濡衣…無実の噂を立てられる…衣が濡れる」。
右近の内侍は、もののわかる人。「この雨は彼女の涙雨でしょうか、彼女が細どのだなんて、たしかに濡衣でしょうね」などと応えれば笑える。
地下の男が秘かに全く別の理由でわが局に出入りしていた。前章に記したように人の動向の収集のため。宮の御周辺はただならぬ頃で、宮もご承知の事。
人の噂に立ったのは失態、それを宮は別の話に変えて、お笑いになられた。懐かしい思い出を記してある。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。