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帯とけの枕草子〔二百二十九〕雪たかうふりて
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百二十九〕ゆきたかうふりて
文の清げな姿
雪、高く積もるほど降って、今もなお降るときに、五位(緋の衣)も四位(紫の衣)も、衣の色を整え若やかな男が、上の衣(袍)の色とくに清らかで、革帯の跡形の付いた、宿直姿で、衣の裾をたくし上げて、紫の指貫も雪に冴え映えて濃さ増したのをはいて、袙(内着)が紅でなければよく目立つ山吹の色をい出し衣にして、唐傘さしているときに風ひどく吹いて、横ざまに雪を吹きかければ、すこし傾いて歩み来るときに、深沓や半靴などの脛当にまで、雪がたいそう白く降りかかっているのこそ、をかしけれ(風情があることよ)。
原文
ゆきたかうふりて、いまも猶ふるに、五位も四位も、いろうるはしうわかやかなるが、うへのきぬの色いときよらにて、かはのおびのかたつきたるを、とのゐすがたにひきはこへて、むらさきのさしぬきも雪にさへはへて、こさまさりたるをきて、あこめのくれなゐならずは、おどろおどろしき山ぶきをいだして、からかさをさしたるに、風のいたうふきて、よこざまに雪をふきかくれば、すこしかたぶけてあゆみくるに、ふかきくつ、はんくわなどのはゞきまで、雪のいとしろうかゝりたるこそ、おかしけれ。
心におかしきところ
白ゆき、高い山ばに降って、いまも、汝お、振るので、ご井も、し井も、色麗しく若やいでいるが、上の人が来てしまった色、とっても清らかで、女の極まりの片尽きたのを、泊まり姿ひきはだけて、斑咲きのさしぬきも、白ゆきに冷え伸びて、小さ増さりたるを措いて、あこめが真っ赤に萌えずなのは、驚くような山ばで吹きだして、空嵩さしているので、心に風がひどく吹いて、わるくも白ゆき吹きかければ、少しかたむけて歩み寄るときに、深い来つ、半来つなどの、まぼろしの来まで、おのゆきが、とっても白くかかっているのこそ、おかしいことよ。
言の戯れと言の心
「雪…逝き…白ゆき…おとこの色香…男の情念」「五…ご…強」「四…し…強」「ゐ…位…井…女」「かは…革…川…女」 「おび…帯…おひ…極まり」 「むらさき…紫…斑咲き…おとこ花斑咲き」「さへはへ…冴え映え…冷たく澄んで延えて」「め…女」「山…山ば」「くつ…靴…来つ…山ばが来た」「はばき…脚絆…ははき…箒木…近づくとそうとは見えない幻のような木」「さしぬき…指貫…袴…差し抜き」。
この章を一義に読んで清げな姿しか見ないと、半端な景色を描いて「おかしけれ」と感想まで書いて、幼い作文としか見えないでしょう。
枕草子の初めに「同じ言でも、聞き耳異なるもの・それがわれわれの言葉である」と書いてある。言葉の意味は多様に戯れるものと知って読めば、おとなの女には「心におかしきところ」があるのがわかるでしょう。上品でも深い心もないけれど。
雪の歌を聞きましょう。
古今和歌集 巻第六冬歌。冬のうたとてよめる 紀貫之
雪ふれば冬ごもりせる草も木も 春に知られぬ花ぞさきける
(雪降れば、冬ごもりする草も木も、春の季節には知られない白い花が、咲いたなあ……白ゆき・逝き経れば、冬ごもりする女も男も、季節の春には知られぬ、お花が咲いたことよ)
「雪…白…逝き」「ふる…降る…経る」「草…女」「木…男」「花…草花…女花…木の花…おとこ花…華…栄華…山ばの極みのお花」。
この歌も、「言の心」を心得なければ、子どもの作としか聞こえないでしょう。
古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と書いたのは紀貫之である。言の心を心得ましょう。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。