帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百二十八〕身をかへて天人

2011-11-15 00:29:27 | 古典

  



               帯とけの枕草子〔二百二十八〕身をかへて天人



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百二十八〕身をかへて天人

 
 身をかへて天人など(身を変えて天人…身分を変えて転任)は、こうであろうかと見えるものは、ただの女房としてお仕えしている人が、御乳母となっている。唐衣も着ず、裳さえも、よういはば(様言うならば…良く言うならば)、着ていない様子にて(天女は羽衣だからね)、御前で御子に添寝し、御帳台の内を居所にして、女房ども(もとより同僚よ)を呼びつけて使い、局にもの言い遣り、文を取り継がせたりしている有り様、いひつくすべくもあらず(言い尽くせそうもない)。

 雑色(蔵人所の雑役)が蔵人になっているのは愛でたい。去年の霜月(十一月)の賀茂の臨時の祭には御琴を持っていたのは、人とは見えなかった(琴台と見えた)のに、今や君達と連れだって歩くのは、いづこなる人ぞ(何処の御曹司か)と思える。他よりなった人は、いとさしもおぼえず(まったく、そうとは思えない…全く愛でたくもない)。


 言の戯れと言の心

「身をかへ天人…変身して天人…身分を変え天女…身分を変え転任」「天人など…羽ごろも着た天女…転任…任務が変る」。



 この章や前章などは、「目に見え心に思う事を女房たちは見るでしょうと思って、つれづれの里居の間に、書きあつめたものの、あいにく、人のために具合の悪い言い過ごしたことも所々あるので、隠して置こうとしたのが、心外にも漏れ出た」もの。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。