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帯とけの枕草子〔二百二十八〕身をかへて天人
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百二十八〕身をかへて天人
身をかへて天人など(身を変えて天人…身分を変えて転任)は、こうであろうかと見えるものは、ただの女房としてお仕えしている人が、御乳母となっている。唐衣も着ず、裳さえも、よういはば(様言うならば…良く言うならば)、着ていない様子にて(天女は羽衣だからね)、御前で御子に添寝し、御帳台の内を居所にして、女房ども(もとより同僚よ)を呼びつけて使い、局にもの言い遣り、文を取り継がせたりしている有り様、いひつくすべくもあらず(言い尽くせそうもない)。
雑色(蔵人所の雑役)が蔵人になっているのは愛でたい。去年の霜月(十一月)の賀茂の臨時の祭には御琴を持っていたのは、人とは見えなかった(琴台と見えた)のに、今や君達と連れだって歩くのは、いづこなる人ぞ(何処の御曹司か)と思える。他よりなった人は、いとさしもおぼえず(まったく、そうとは思えない…全く愛でたくもない)。
言の戯れと言の心
「身をかへ天人…変身して天人…身分を変え天女…身分を変え転任」「天人など…羽ごろも着た天女…転任…任務が変る」。
この章や前章などは、「目に見え心に思う事を女房たちは見るでしょうと思って、つれづれの里居の間に、書きあつめたものの、あいにく、人のために具合の悪い言い過ごしたことも所々あるので、隠して置こうとしたのが、心外にも漏れ出た」もの。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。