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帯とけの枕草子〔二百三十一〕岡は
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百三十一〕をかは
文の清げな姿
岡は、船岡、片岡。鞆岡は、笹の生えているのが風情あり。語らいの岡。人見の岡
原文
をかは、ふなをか、かたをか。ともをかは、さゝのおひたるがおかしきなり。かたらひのをか。ひとみのをか。
心におかしきところ
小高い山ば、夫のおか、片おか。共おかは、そうそのように共に極まるのがすばらしいのである。片らひのおか。一見のおか。
知るべき言の戯れと心得るべき言の心
「をか…岡…丘…低い盛り上り…感情の小やま」「を…おとこ」「ふな…舟…夫の」「な…の」「かたをか…片おか…不完全なおか…片側だけの山ば…おとこの感情の山ばのかたち」「ともをか…共に至るおか…和合の山ば」「ささの…笹の…そうそのよう…それそれの」「の…主語を示す…比喩を表わす」「おひ…生い…老い…追い…ものの極み…感の極まり」「かたらひ…語らい…片ら放…男女の山ばの不一致」「ひとみ…人見…一見…一覯…一交…めでたくない…二見はめでたい」「覯…媾…まぐあい」。
「言の心」を心得ているおとなの女たちは、岡の名の羅列を「いとをかし」と読むことができた。
「言の心」を心得る人は、いにしえを仰ぎ見て古今の歌が恋しくなるであろう。このように、貫之は古今集仮名序の結びで述べた。
「言の心」はこの文脈にある人々の普遍の思い込みである。今の人々も、同じことを心得るだけで、和歌や枕草子が「おかしく」読める。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。