帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百三十一〕岡は

2011-11-18 00:05:12 | 古典

    



                       帯とけの枕草子〔二百三十一〕岡は


 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。

 

 清少納言枕草子〔二百三十一〕をかは 
 
 文の清げな姿
 岡は、船岡、片岡。鞆岡は、笹の生えているのが風情あり。語らいの岡。人見の岡
 
 原文

をかは、ふなをか、かたをか。ともをかは、さゝのおひたるがおかしきなり。かたらひのをか。ひとみのをか。

  
 
心におかしきところ
 小高い山ば、夫のおか、片おか。共おかは、そうそのように共に極まるのがすばらしいのである。片らひのおか。一見のおか。
 

 知るべき言の戯れと心得るべき言の心

  「をか…岡…丘…低い盛り上り…感情の小やま」「を…おとこ」「ふな…舟…夫の」「な…の」「かたをか…片おか…不完全なおか…片側だけの山ば…おとこの感情の山ばのかたち」「ともをか…共に至るおか…和合の山ば」「ささの…笹の…そうそのよう…それそれの」「の…主語を示す…比喩を表わす」「おひ…生い…老い…追い…ものの極み…感の極まり」「かたらひ…語らい…片ら放…男女の山ばの不一致」「ひとみ…人見…一見…一覯…一交…めでたくない…二見はめでたい」「覯…媾…まぐあい」。

 

 「言の心」を心得ているおとなの女たちは、岡の名の羅列を「いとをかし」と読むことができた。

「言の心」を心得る人は、いにしえを仰ぎ見て古今の歌が恋しくなるであろう。このように、貫之は古今集仮名序の結びで述べた。

 「言の心」はこの文脈にある人々の普遍の思い込みである。今の人々も、同じことを心得るだけで、和歌や枕草子が「おかしく」読める。

 
 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。