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帯とけの枕草子〔二百三十三〕日は入日
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百三十三〕日は入日
文の清げな姿
日は入日、入り果てた山の端に、光がなお留まって赤く見えるとき、薄く黄ばんでいる雲が細くたなびき広がっている、しみじみとした風情である。
原文
日は入日、いりはてぬる山のはに、ひかり猶とまりて、あかうみゆるに、うすきばみたる雲の、たなびきわたりたる、いとあはれなり。
心におかしきところ
緋(燃える赤色)は消え方、暮れ果ててしまった山ばの端に、照り輝き(光)、汝お、留まって、元気色に(赤う)見えるとき、ややお疲れ色(薄黄ばみ)の心雲が、細くたなびきひろがっている、とってもあわれである。
言の戯れと言の心
「日…緋(燃えるような赤色)…火…情熱の炎」「入る…日が落ちる…火が消える…気が滅入る」「山…山ば」「光…威光…男の魅力…光源氏の光るはこれか…照り輝き」「猶…尚…直…汝お…君がおとこ」「赤…元気色」「黄…疲労色」「雲…空の雲…心の雲…煩わしいほどの心のもやもや…情欲など…広くは煩悩」。
あわれと言える景色(気色)を詠んだ歌は色々ある。秋の夕暮れ(飽きの果て)の歌を一首聞きましょう。
古今和歌集 巻第四、秋歌上 よみ人しらず
ひぐらしのなく山ざとのゆふぐれは 風よりほかにとふ人もなし
(ひぐらしの鳴く山里の夕暮れは、風より他に訪う人もいない……日暮らしの泣く、山ばのふもとの女の果ては、飽き風よりほかに、門よぎる人もなし)。
「ひぐらし…蝉の名…日暮らし…一日中」「なく…鳴く…泣く」「ゆふぐれ…夕暮れ…日の果て…ものの果て」「山さと…山里…山ばのふもと…山ばの女」「さと…里…女…さ門」「風…心に吹く風…あき風」「とふ…訪う…と経…門経る…門を通り過ぎる」「と…門…女」「人も…男も…おとこも」。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。