帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (七十九と八十)

2012-05-02 00:12:08 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た
。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(七十九と八十)


 駒なめていざ見にゆかむ古里は 雪とのみこそ花は散るらめ 
                                    (七十九)

(駒を並べて、さあ見に行こう、古里は雪と見紛うばかりに、花は散っているだろう……こ間なめて、いさ見にゆこう、古妻は白ゆきと見紛うばかりに、お花は散るだろう)。


 言の戯れと言の心

 「こま…駒…股間」「なめて…並べて…連れだって…舐めて…潤して」「いさ…さあ…誘う時に発する言葉…井さ」「井…女」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「ゆかむ…行かむ…逝かむ」「ふるさと…古里…生まれたところ…古妻…馴れ親しんだ妻」「ゆき…雪…逝き…おとこ白ゆき…おとこの情念…おとこの魂」「花…木の花…男花…おとこ花」「ちる…散る…果てる」。



 秋ならであふこと難きをみなへし 天の河原におひぬものゆゑ 
                                    (八十)

(秋でなくては、逢うこと難き女郎花、天の河原に生えないものなので……飽き満ちず、合うこと難き、をみなへし、あまのか腹におかれては、感極まらぬものだから)。


 言の戯れと言の心

 「あき…秋…季節の秋…飽き…飽き満ち足り」「ならで…なくて…成らずして」「あふ…逢う…会う…合う…和合する」「をみなへし…女郎花…草花の名…名は戯れる、をみな圧し、女圧し、をみな押さえつけ」「天の河原…天の川の河原…女のか腹」「か…接頭語」「はら…心の内…身の内」「に…で…場所を示す…におかれては…主語について敬意を表す」「おひ…生い…生える…老い…年齢などが極まる…感極まる」「ぬ…ず…打消しを表す」。
 ついでながら、「をみなへし」の戯れの意味を上のように心得れば、古今和歌集 秋歌上 僧正遍昭の歌「名に愛でて折れるばかりぞをみなへしわれ堕ちにきと人に語るな」の心におかしきところがわかるでしょう。



 春歌は花の散るさまを詠んで清げな姿をしている。馴れ親しんだ妻との和合を詠んだと聞こえるのが心におかしきところ。

 秋歌は女郎花を詠んで清げな姿をしている。和合の成り難さと聞こえるのが心におかしいところ。

 両歌とも、色に尽きた色好み歌でしょう。清げな衣を着せてはある。


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。