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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(八十三と八十四)
ゆく水にみだれて散れる桜花 消えずながるゝ雪と見えつゝ
(八十三)
(流れ行く水に、乱れて散っている桜花、消えずに流れている雪と見えながら……ゆくをみなに、淫れ散るお花、消えずにながるる、おとこ白ゆきとともに見つづく)。
言の戯れと言の心
「ゆく…行く…逝く」「みず…水…川…女」「みだれ…乱れ…淫れ」「ちる…散る…果てる」「桜花…木の花…男花…おとこ花」「ながるる…流るる…長るる」「雪…白ゆき…おとこ白ゆき…おとこの情念…おとこの魂」「と…のように…と一緒に」「見…覯…媾…まぐあい」「つつ…継続の意を表す…反復の意を表す」。
浪かけて見るよしもがなわたつみの 沖の玉藻も紅葉ちるやと
(八十四)
(浪を翔け行きて、見る手立てがあればなあ、沖の玉藻も、紅葉しているだろうかと……汝身懸けて、見るてだてがあればなあ、をうなはらの、奥の玉藻も飽き色して散るかと)。
言の戯れと言の心
「なみ…浪…汝身…親しき身」「かけて…翔けて…駆けて…懸けて…命を懸けて…情愛を注いで」「見…覯…媾…まぐあい」「よし…由し…方法…てだて」「もがな…願望を表す」「わたつみ…海神…大海原…をうな原…をうな腹」「おき…沖…奥」「玉…美称」「藻…海草…水草…女」「ももぢ…黄葉紅葉…秋の色…飽きの色」「ちる…散る…果てる」。
春歌は川辺で眺めた春の風景で清げな姿をしている。言の戯れに顕れるのは和合の極致、これが心におかしきところ。
秋歌は海辺で思い描いた景色で清げな姿をしている。言の戯れに顕れるの和合の願望と期待、これが心におかしきところ。
両歌とも「深い心」はない。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。