帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(九十一と九十二)

2012-05-09 00:02:00 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(九十一と九十二)


 としふればよはひは老いぬしかはあれど 花をし見ればもの思ひもなし 
                                   (九十一)

 (年経れば、齢は老いる、しかしながら、この花を見れば、まだもの思いもない……疾し過ぎれば、夜這いは極まってしまうしかし、このお花、愛し、見ればもの思いもしていない)。


 言の戯れと言の心

 「とし…年…疾し…早過ぎ…おとこのさがの性急な性癖」「よはひ…年齢…夜這い…まぐあい」「おい…老い…年齢の極まり…ものの極まり…感の極まり」「しかはあれど…そうではあっても…そういう肢下はあるけれど」「花…木の花(桜)…おとこ花」「をし…をだ(強調)…愛し…惜しい…愛執着がある」「し…強意を表す…肢…子…おとこ」「見…覯…まぐあい」「もの思ひもなし…感の極みに至る思いもなし…いまだ平常心、すばらしい、ご立派」。

 

 
 をり人のこずのまにまに藤ばかま うべも色濃くほころびにけり  
                                      (九十二)

 (織り人の来ない間に、その間に、藤袴、なるほど名が草花だけに、色濃いまま綻んだことよ……逝き人の山ば越す間に、その間に、草花のひと、もっともなことだな、色濃くほころんだそうだ)


 言の戯れと言の心

 「をり…織り…折り…逝く」「ひと…人々…女…男」「こす…来ず…来ない…越す…通過する」「まにまに…間に間に…間が空いた間に」「ふぢばかま…藤袴…草花…秋の七草の一つ…女花…名は戯れる、腰に着ける衣、藤衣、粗末ながら強いはかま」「うべ…もっともだ…なるほどそれで」「いろこく…色濃く…色彩濃く…色情濃く」「ほころび…衣が綻びる…花が開き始める…盛りになり始める」「けり…気付き、詠嘆、伝聞などの意を表す」。



 春歌の桜花礼讃は清げな姿。男花礼賛は我褒め、地位自慢と聞いて、山の頂上にのぼりつめて未だ何とも思っていないという。わがおとこ花の自慢と聞いて、心におかしい。
 

 秋歌は袴の綻びを草花のほころぶ景色に寄せて詠んだ、清げな姿をしている。おとこのさがと、おんなのさがの違いを伝聞として述べたと聞けば、心におかしい。


 
 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。