■■■■■
帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第二 夏冬 四十首 (百二十一と百二十二)
わが宿の池の藤なみ咲きにけり やまほととぎすいまや来鳴かむ
(百二十一)
(わが宿の池の藤の花々咲いたことよ、山郭公、今に来て鳴くでしょう……わがや門の逝けの、不二汝身さきにけり、山ばのほととぎす、いまよ、来泣くでしょう)。
言の戯れと言の心
「やど…宿…女…やと…屋門…女」「池…逝け」「ふぢなみ…藤波…藤の花々…不二汝身…不二の見…唯一のおとこ」「さき…咲き…裂き…放出」「やまほととぎす…山郭公…鳥の名、名は戯れる、山ばの女、山ばのほと伽す、山ば且つ乞う」「鳥…女」「き…来る…時が来る…情況が来る」「鳴く…泣く」「む…推量の意を表す…意志を表す」。
龍田川にしきおりかく神無月 しぐれの雨をたてぬきにして
(百二十二)
(龍田川、紅葉の錦、織りかける、神無月しぐれの雨を、たて糸よこ糸にして……多つ多川、にし木折りかく、神な尽き、時のお雨を立て、貫きにして)。
「たつたかは…龍田川…川の名、名は戯れる、紅葉の川、多つ多女、多情女、絶つたかは」「た…田……女…多…多情」「川…女…かは…疑問の意を表す…詰問、反問の意を表す」「にしき…錦織…錦木…男木」「おり…織り…折り」「かんな月…神無尽き…かみ無尽き」「神…上…女」「な…無…の」「月…つき…突き…尽き」「しぐれ…冬の雨…時雨…その時のおとこ雨」「たてぬき…たて糸よこ糸…立て貫き…立て貫き通し」「ぬき…貫き…貫徹…最後までやりぬき」。
歌の清げな姿は、池の辺の藤波にほととぎすが来て鳴く風情と、もみじ葉流れる龍田川に時雨の降る風情。心におかしきところは、両歌とも、女の立場で詠んだ和合の極致。
巻第二は漢文序によると、「以夏什敵冬什」「各々相闘」(夏の什を以って冬の什に敵対せしめ、各々相闘わしめてある)という。「什…じゅう…十人一組の兵士…詩経の詩篇のこと…詩…歌」。
余情妖艶な心におかしきところが勝っているのは、夏歌か冬歌か、どちらでしょう。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。