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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(百一と百二)
吉野川きしのやまぶき吹く風に そこのかげさへうつろひにけり
(百一)
(吉野川、岸のやまぶき、吹く風に、底に映る影までも散り初めたことよ……好しのかは、来しの山ば、吹き吹く心風に、其処の陰さえ、散りゆくことよ)。
言の戯れと言の心
「よしの…吉野…所の名、名は戯れる、吉しの、良しの、好しの」「川…女…かは…疑問の意を表す」「きし…岸…渚…浜…女…来し…山ばなどが来た」「山吹…草花…女花…女の華…山ばでの吹出し」「風…心に吹く風…春風、飽き風、山ばの嵐など」「そこ…底…水底…其処」「かげ…影…陰…おとこ」「うつろひ…移ろい…衰え…散りゆき」。
秋をおきて時こそありけれ菊の花 うつろふからに色のまされば
(百二)
(秋を措いて他にも時があったことよ、菊の花、秋過ぎゆけば、色が優るので……飽きのほかにも盛りの時があることよ、女の華、ものの衰えによって、色情増されば)。
言の戯れと言の心、
「秋…飽き」「とき…時…飽き満ちる時…盛りの時」「菊の花…秋の草花…女花…飽きの女華」「うつろふ…地位や場所が変わる…時が過ぎゆく…色が衰える…おとこのおとろえ」「からに…のために…によって」「色…色彩…色艶…色情…女の色情」「まさる…優る…増さる」。
春歌は吉野川岸の山吹の景色で清げな姿をしている。、心におかしきところは、好しのかは? という情況で山ばが来たようで、愛でたき和合。
秋歌は、古今和歌集の詞書によると、譲位して出家された院に、心を添え奉る歌、古今集仮名序にいう「添え歌」。平たく言えば第二の人生の祝い歌、それがこの歌の「深き心」。菊の花を詠んで「姿清げ」である。公任のいう「心におかしきところ」は、おんなのさがの尚もまたという長寿にたとえるところ。これならば院に微笑みを以って受け入れられるでしょう。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。