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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(百九と百十)
花の散ることやわびしき春かすみ 龍田の山にうぐひすのこゑ
(百九)
(木の花の散ることが侘びしいのか、春霞、龍田の山に、鶯の声……おとこ花、ちり果てるのが侘びしいのか、はるが済み、絶つたの山ばに、憂くひすの声)。
言の戯れと言の心
「花…木の花…梅か桜の花…男花…おとこ花」「ちる…散る…衰える…果てる」「わびし…心細い…もの足りずさみしい」「はるかすみ…春霞…はるが済み…はるが澄み」「はる…季節の春…張る…春情」「たつたのやま…龍田山…山の名、名は戯れる、立つ多の山ば、絶つたの山ば」「た…田…女…多…多情」「山…山ば」「うぐひす…鶯…鳥の名、名は戯れる、浮く秘す、憂く悲す」「鳥…女」「す…洲…女」。
色かはる秋の菊をばひととせに ふたたびにほふ花かとぞ見る
(百十)
(色変わる秋の菊をば、一年に二度、色艶きわだつ花かと思う……色変わる、飽きの女華をば、ひとと背に、再び色情きわだつ花かと見ている)。
言の戯れと言の心
「色…色彩…色艶…色情」「秋…飽き…飽き満ち足り」「菊…秋の草花…女花…長寿にかかわりの深い花…秋に二度盛りを迎える花」「ひととせ…一年…ひとと背…女と男」「見る…観賞する…思う…みる」「見…覯…媾…まぐあい」。
春霞の龍田山の景色と秋の菊の花の風情は、それぞれ歌の清げな姿。両歌とも、男どもの、おんなのさがのもてあそびで、愛でたり貶したりするうちに、おとこの心情が顕れる。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。