帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第一 春秋 (百七と百八)

2012-05-18 00:13:49 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。
 

 紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(百七と百八)


 みどりなる松にかけたる藤なれど おのがこゝろと花はさきけり 
                                     (百七)

(常盤なる緑の松に掛っている藤であるけれど、己が心のままにと、花は咲くのだなあ……若いまつ女に掛る藤だけれど、己の心で、ここ、ころあいと、女華は咲くことよ)


 言の戯れと言の心
 「みどり…緑…新緑…春…若々しい」「松…常緑…待つ…女」「藤…つる…延びる…這う…長い…不致…到りつかない」「こころと…心のままと…此のころあいと」「花…藤の花…女花…女の華」「けり…気付き、詠嘆などの意を表す」。

 


 ひともとゝ思ひし花を大沢の 池のそこにもたれかうゑけむ 
                                     (百八)

(一本だけと思った花を、大沢の池の底にも、誰が植えたのだろう……一度だけと思った女華よ、大さわの、多情の逝けのそこにも、誰が植えたのだろうか、まだ有ることよ)。


 「ひともと…一本…一回…一度」「花…草花…女花」「大沢…所の名…名は戯れる、さは、水べ、女、多い、沢山、潤沢、多情女」「池…逝け…山ばから落ち窪んだところ」「そこ…底…其処」。


 両歌とも、清げな姿は、うそぶき。心におかしきところは、おとこのさがの素早き一過性の、劣性の裏返しで、おんなのさがのもてあそび。


 

 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず
  
  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。