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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(百三と百四)
わが宿に咲ける藤波たちかへり 過ぎがてにのみ人のみるらむ
(百三)
(我が家に咲いた藤の花々、たち去り帰って来ては、過ぎ行き難いとばかり、人が見ている、どうしてだろう……わがやとに咲いた不ち汝身、立ち返り、過ぎ難いとばかりひとが見ているようだ)。
言の戯れと言の心
「わがやど…我が宿…我が家…我が屋門…我が妻」「屋…家…女」「と…戸…門…女」「藤波…ふちなみ…藤の花々…不直汝身…不致汝見…よれよれの身…ゆき着かない見」「ぢ…ちょく…じき…直…ち…致」「なみ…波…男波…汝身…おとこ」「な…汝…親しいものの称」「人…人々…女」「見…覯…媾…まぐあい」「らむ…どうしてだろう…原因・理由の推量の意を表す…だろう…推量の意を表す」。
咲きそめし宿しわかねば菊の花 たびながらこそにほふべらなれ
(百四)
(咲き初めた宿がわからないので、菊の花、旅をしながら色美しく移ろうようだ……咲きはじめたや門は、分別ないので、女の華、度々ながら、色まさるのだろう)。
言の戯れと言の心
「やど…宿…女…や門」「し…強意を表す」「わかね…わからない…判別できない…分別できない」「菊の花…秋の草花…飽きの女花…長寿花…女の華」「たび…旅…度…度々」「ながら…しながら…ままに…長ら…久しい情態」「にほふ…色鮮やか…色艶やか」「色…色彩…色香…色情」「べらなれ…べらなり…のようだ…の様子だ」。
春歌は藤の花々、秋歌は菊の花の風情、いずれも姿清げである。それだけでは唯の作文、「和歌」ではない。
両歌とも、心におかしきところがある。おんなのさがを愛でたのか、皮肉ったのか、うらやましいのかわからないけれど、おとこの思いの表出。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。