帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (百三と百四)

2012-05-16 00:02:32 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(百三と百四)


 わが宿に咲ける藤波たちかへり 過ぎがてにのみ人のみるらむ 
                                     (百三)

 (我が家に咲いた藤の花々、たち去り帰って来ては、過ぎ行き難いとばかり、人が見ている、どうしてだろう……わがやとに咲いた不ち汝身、立ち返り、過ぎ難いとばかりひとが見ているようだ)。


 言の戯れと言の心

 「わがやど…我が宿…我が家…我が屋門…我が妻」「屋…家…女」「と…戸…門…女」「藤波…ふちなみ…藤の花々…不直汝身…不致汝見…よれよれの身…ゆき着かない見」「ぢ…ちょく…じき…直…ち…致」「なみ…波…男波…汝身…おとこ」「な…汝…親しいものの称」「人…人々…女」「見…覯…媾…まぐあい」「らむ…どうしてだろう…原因・理由の推量の意を表す…だろう…推量の意を表す」。



 咲きそめし宿しわかねば菊の花 たびながらこそにほふべらなれ 
                                     (百四)

 (咲き初めた宿がわからないので、菊の花、旅をしながら色美しく移ろうようだ……咲きはじめたや門は、分別ないので、女の華、度々ながら、色まさるのだろう)。


 言の戯れと言の心

 「やど…宿…女…や門」「し…強意を表す」「わかね…わからない…判別できない…分別できない」「菊の花…秋の草花…飽きの女花…長寿花…女の華」「たび…旅…度…度々」「ながら…しながら…ままに…長ら…久しい情態」「にほふ…色鮮やか…色艶やか」「色…色彩…色香…色情」「べらなれ…べらなり…のようだ…の様子だ」。



 春歌は藤の花々、秋歌は菊の花の風情、いずれも姿清げである。それだけでは唯の作文、「和歌」ではない。


 両歌とも、心におかしきところがある。おんなのさがを愛でたのか、皮肉ったのか、うらやましいのかわからないけれど、おとこの思いの表出。



 伝授 清原のおうな

 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。


 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。