帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(八十一と八十二)

2012-05-03 00:22:25 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(八十一と八十二)


 桜ちる木の下風はさむからで 空にしられぬ雪ぞふりける 
                                    (八十一)

 (桜散る木の下の春風は寒くないのに、空には見かけない花びらの雪が降っていることよ……お花散るこの下の心風はつめたくないのに、空しくひとに感知されない白ゆきが、降ったことよ)。


 言の戯れと言の心

 「桜…木の花…男花…おとこ花」「木…男…こ…此」「風…心に吹く風…生暖かい風、熱い風など」「さむからで…寒くないのに…心冷めていないのに…心は燃えているのに」「空…むなしい…天…あま…女」「しられぬ…知られない…見かけない…感知されない」「雪…季節外れの雪…花びらの白雪…おとこ白ゆき…おとこの情念」。

 

 見る人のなくて散りぬる奥山の 紅葉は夜の錦なりけり 
                                    (八十二)

 (見る人が居なくて、散ってしまった奥山の紅葉は、闇夜の綺麗な錦だなあ……みるひとが居なくて、はててぬる密かな山ばの厭きの色は、夜の錦おりだなあ)。


 言の戯れと言の心

 「見…見物…覯…媾…まぐあい」「人…人々…女」「ちる…散る…果てる」「ぬる…てしまった…完了の意を表す…寝る…濡る」「おく山…奥山…贈り置く山ば…密かな山ば」「もみぢ…黄葉紅葉…錦織のたとえ…秋色…飽き色…厭き色」「夜の錦…空しい事のたとえ…人に知られない事のたとえ…夜の錦織…夜のにし木おり」「にしき…錦木…男木」「折…逝」。



 両歌の、桜花の散る風景と紅葉の散る景色は清げな姿。同じ言葉の「戯れと言の心」に、男の独り寝のありさまが心根と共に顕れる。

 
 先ず、歌が上のような様をしていると知れば、紀貫之の古今集仮名序の、次のような言葉がよくわかるようになる。

 「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞ成れりける。世中に在る人、事、業、繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものに付けて、言い出せるなり」。「歌の様を知り、言の心を得たらむ人は、大空の月を見るが如くに、いにしへを仰ぎて、今を恋ひざらめかも」。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。