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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(八十七と八十八)
桜花み笠の山のかげあらば 雪と降るともいかに濡れめや
(八十七)
(桜花、御笠の山の陰で居れば、雪のように降るとも、どうして濡れるでしょうか濡れやしない……さくらのお花、三重なる山ば欠けてあれば、白ゆきのように降るとも、どのようにして濡れるのよ濡れないわ)。
言の戯れと言の心
「桜花…男花…おとこ花」「みかさの山…山の名…名は戯れる、三笠山、御笠山…三重なる山ば」「山…山ば」「かけあらば…陰で居れば…お陰があれば…欠けあれば…不足してあれば…一重の山ばであれば」「いかに…如何に…方法などに対する疑問を表す」「濡れる…雨などに濡れる…身が濡れる…身が潤む」「めや…反語の意を表す」。
なきわたる雁の涙やおちつらむ もの思ふ宿の萩の上の露
(八十八)
(鳴きわたる雁の涙でも落ちたのでしょう、もの思う宿の萩の上の露……泣きつづける、かりの涙か、ほんの少し落としたのでしょうか、もの思うやどの端木の上の白つゆよ)。
言の戯れと言の心
「なきわたる…鳴き渡る…泣き続ける…嘆き続ける」「かりのなみだや…雁の涙や…ほんの少しか…かりする女の涙か」「かり…雁…鳥…女…狩り…刈り…めとり…まぐあい…仮」「やど…宿…女…やと…屋戸…や門…女」「はぎ…萩…秋萩…飽き端木…飽きおとこ」「つゆ…露…ほんの少しのもの…白つゆ…おとこ白つゆ」。
春歌は桜と御笠山に付けても思いを詠んで清げな姿をしている。
秋歌は雁と萩に付けてもの思うありさまを詠んで清げな姿をしている。
ただそれだけではない、両歌とも、おとこのさがを、皮肉をこめて弄ぶ女歌として聞けば、心におかしきところの在り処がわかるでしょう。
男の詠んだ女歌として、何らかの不足不満をうそぶいた歌と聞けば、漢文序にいう、下以諷刺上(下は、歌を以って上を風刺する)に当たるでしょう。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。