帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (三百七十六)(三百七十七)

2015-09-03 00:16:07 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。


 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

 わかなを御覧じて              円融院御製

三百七十六 春日野に多くの年は積みつれど 老いせぬ物は若菜なりけり

若菜を御覧になられて            (円融院御製・一条天皇の御父)

(春日野で、多くの年は、若菜摘みを・積み重ねて来たけれど、老いせぬ物は若菜であるなあ……春の野で、多くの疾しは、積み重ねて来たけれど、おいせぬ・感極まらない、者は若い女であったなあ)

 

言の戯れと言の心

「春日野…正月子の日に小松引き若菜摘む所…若い男女交歓する所」「多くの年は積み…昔から毎年行われれ来た」「とし…疾し…早過ぎ(若いおとこのさが)」「老い…年齢が極まる…追い…ものが極まる…感極まる…山ばの京に上りつめる」「若菜…若い草花…若い女」「若…若い…心も身も未熟」「菜…草…草花(春の七草)…水草(藻)も含めて、言の心は女」「なりけり…であったことよ…であるなあ」

 

歌の清げな姿は、摘まれた若菜を御覧になられての御感想。

心におかしきところは、若菜は、「京の宮こ」に成るには、未熟である。

 

 

正月に人人まできて侍りける又の朝に公任朝臣の許につか

はしける               中務卿具平親王

三百七十七 あかざりし君がにほひの恋しさに 梅の花をぞけさはをりつる

正月に女たちまで来た宴が果てて次の朝に公任朝臣の許に遣わした (中務卿具平親王・円融院の御弟、花山院の叔父にあたられるが年齢は数歳しか離れていない。公任を加えると三兄弟のよう。拾遺集編纂にも手を貸された方だろう)

(逢っていても・飽きない君の、魅力ある風情の恋いしさに、梅の花を、今朝、思わず・手折ってしまったよ……見れど飽かぬ、君のモテモテの風情の恋しさに・妬ましく、梅の花を、今朝、折ってやったぞ」

 

言の戯れと言の心

「あかざりし…見れど飽かぬ…逢って居ても飽きない」「にほひ…艶っぽい風情…(男の)魅力…(男の)気品」「恋しさに…恋いしさの為に…恋しさゆえに」「梅の花…すばらしい香のする男花」「梅の花…木の花…言の心は男花…難波津に咲くやこの花と詠まれた時から、梅は男花」「をりつる…折ってしまった…すばらしい香がするので思わず手折ってしまった…へし折ってやった」

 

歌の清げな姿は、梅の花、好い香がするので、君を恋い、思わす手折ってしまったよ。

心におかしきところは、今朝、好い匂いがするので、梅の花を手折ってやったぞ・妬みではないが。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。

 

 

和歌解釈の変遷について述べる


 江戸の国学から始まる国文学的な古典和歌解釈は、平安時代の歌論や言語観から遠く離れてしまった。

和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を逆手にとって、歌に複数の意味を持たせる高度な文芸のようである。視覚・聴覚に感じる景色や物などに、寄せて(又は付けて)、景色や物の様なども、官能的な気色も、人の深い心根も、同時に表現する。エロチシズムのある様式のようである。万葉集の人麻呂、赤人の歌は、明らかに、この様式で詠まれてある。

歌は世につれ変化する。古今集編纂前には「色好み歌」と化したという。「心におかしきところ」のエロス(性愛・生の本能)の妖艶なだけの歌に堕落していった。これを以て、乞食の旅人は生計の糧としたという。歌は門付け芸と化したのである。歌は「色好みの家に埋もれ木」となったという。そこから歌を救ったのは、紀貫之ら古今集撰者たちである。人麻呂、赤人の歌を希求し、古今集を編纂し、歌を詠んだ。平安時代を通じて、その古今和歌集が歌の本となった。三百年程経って新古今集が編纂された後、戦国時代を経て、再び歌は「歌の家に埋もれ木」となり、一子相伝の秘伝となったのである。

江戸時代の賢人達は、その「秘伝」を切り捨てた。伝授の切れ端からは何も得られないから当然であるが、同時に「貫之・公任の歌論や、清少納言や俊成の言語観」をも無視した。彼らの歌論と言語観は全く別の文脈にあったため曲解した。そして和歌を解いた。受け継いで国文学の歌解釈がある。序詞、掛詞、縁語などを、修辞にして歌は成り立っていたとする解釈方法である。それが、今の世に蔓延ってしまった(高校生の用いる古語辞典などを垣間見れば明らかである)。平安時代の人が聞けば、奇妙な解釈に、笑いだすことだろう。

公任の云う「心におかしきところ」と「浮言綺語の戯れ似た戯れの内に顕れる」と俊成の云う事柄と共に、和歌のほんとうの意味は、埋もれ木のままなのである。和歌こそは、わが国特有の、まさに文化遺産であるものを。