帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (四百十一)(四百十二)

2015-09-23 00:17:28 | 古典

          

 

                         帯とけの拾遺抄


 

平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読んでいる。

公任の歌論は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。

今の国文学の和歌解釈方法は棚上げしておく。やがて、平安時代にはあり得ない奇妙な方法であることに気付くだろう。


 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

さがのにすみ侍りけるころ、房の前栽を見に女どものもうできたり

ければよみはべりける                  遍昭

四百十一  ここにしもなににほふらんをみなへし 人のものいひさがにくきよに

嵯峨野に住んでいた頃、僧房の前栽を見に女たちが詣で来たので詠んだ、(僧正遍照・仁明天皇の崩御とともに三十五歳で出家した蔵人頭)

(こんな所に、どうして色艶やかに咲くのだろうか、女郎花、女の噂の口うるさい世間なのに……こんな所に、なんで色っぽく咲き匂うのだろう、をみな圧し人の噂ばなし、手に負えない、男と女の世の中なのに)

 

言の戯れと言の心

「にほふ…色美しい…艶ややかである…魅力ある香りがする」「をみなへし…女郎花…草花の名…名は戯れる。をみな圧し、女を押さえつける」「草花の言の心は女」「人…世間の人々…女」「ものいひ…噂ばなし…風評」「さがにくき…意地悪い…口やかましい…手に負えない」「よ…世…男と女の世」「に…場合や情況を表す…原因理由を表す…なのに…なので」

 

歌の清げな姿は、どうして集まってきたのだろう、色香麗しい女たちよ、堕落したと、意地悪な噂がたつ世なのに。

心におかしきところは、をみな圧した人の噂が、たち悪く手に負えない、男と女の世なのに。


 

古今和歌集の秋歌上にある遍昭の歌を聞きましょう。題しらず。

なに愛でて折れるばかりぞ女郎花我おちにきと人にかたるな

(名が愛でたいので、手折っただけだぞ、女郎花よ、あの僧、堕落したと他人に語るな……汝を愛でて、わがもの折っただけだぞ、をみな圧し、あの僧逝けに・堕ちたと人と噂するな)

 

 

題不知                          躬恒

四百十二  あきののははなのいろいろとりすゑて わがころもてにうつしてしかな

 

題しらず                        (凡河内躬恒・古今和歌集撰者)

(秋の野は、花の色彩取り揃え置いてあって、我が衣の袖に、移してしまうなあ……飽きとなったひら野は、おんな花の色香いろいろ取り揃え置いてあって、我が心と身の端に移して欲しいなあ)

 

言の戯れと言の心

「あき…秋…飽き」「の…野…ひら野…山ばでないところ」「はな…花…草花…言の心は女」「いろいろ…色々…色彩豊か…匂うごとき艶やかさ…色情多々」「ころもて…衣手…衣の袖…心と身の端」「衣…心身を被うもの…心身の喚喩…心身」「てしかな…(移)してしまうなあ…完了と詠嘆を表す…(移)して欲しいなあ…願望と感動を表す」

 

歌の清げな姿は、秋の草花の色彩豊かに色艶匂うが如く咲いた景色。

心におかしきところは、尽き果てたひら野で、なおも色情を我がそでに移して欲しいと願望するおとこのさが。

 

この両歌、立場は違うが、歌の心は、断ち難きおとこのさがと、絶えて欲しくないおとこのさが。

対比するように並べ置くのは、歌集編者のひとつの業(技)。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。