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帯とけの拾遺抄
平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読んでいる。
公任の歌論は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。
今の国文学の和歌解釈方法は棚上げしておく。やがて、平安時代にはあり得ない奇妙な方法であることに気付くだろう。
拾遺抄 巻第九 雑上 百二首
さがのにすみ侍りけるころ、房の前栽を見に女どものもうできたり
ければよみはべりける 遍昭
四百十一 ここにしもなににほふらんをみなへし 人のものいひさがにくきよに
嵯峨野に住んでいた頃、僧房の前栽を見に女たちが詣で来たので詠んだ、(僧正遍照・仁明天皇の崩御とともに三十五歳で出家した蔵人頭)
(こんな所に、どうして色艶やかに咲くのだろうか、女郎花、女の噂の口うるさい世間なのに……こんな所に、なんで色っぽく咲き匂うのだろう、をみな圧し人の噂ばなし、手に負えない、男と女の世の中なのに)
言の戯れと言の心
「にほふ…色美しい…艶ややかである…魅力ある香りがする」「をみなへし…女郎花…草花の名…名は戯れる。をみな圧し、女を押さえつける」「草花の言の心は女」「人…世間の人々…女」「ものいひ…噂ばなし…風評」「さがにくき…意地悪い…口やかましい…手に負えない」「よ…世…男と女の世」「に…場合や情況を表す…原因理由を表す…なのに…なので」
歌の清げな姿は、どうして集まってきたのだろう、色香麗しい女たちよ、堕落したと、意地悪な噂がたつ世なのに。
心におかしきところは、をみな圧した人の噂が、たち悪く手に負えない、男と女の世なのに。
古今和歌集の秋歌上にある遍昭の歌を聞きましょう。題しらず。
なに愛でて折れるばかりぞ女郎花我おちにきと人にかたるな
(名が愛でたいので、手折っただけだぞ、女郎花よ、あの僧、堕落したと他人に語るな……汝を愛でて、わがもの折っただけだぞ、をみな圧し、あの僧逝けに・堕ちたと人と噂するな)
題不知 躬恒
四百十二 あきののははなのいろいろとりすゑて わがころもてにうつしてしかな
題しらず (凡河内躬恒・古今和歌集撰者)
(秋の野は、花の色彩取り揃え置いてあって、我が衣の袖に、移してしまうなあ……飽きとなったひら野は、おんな花の色香いろいろ取り揃え置いてあって、我が心と身の端に移して欲しいなあ)
言の戯れと言の心
「あき…秋…飽き」「の…野…ひら野…山ばでないところ」「はな…花…草花…言の心は女」「いろいろ…色々…色彩豊か…匂うごとき艶やかさ…色情多々」「ころもて…衣手…衣の袖…心と身の端」「衣…心身を被うもの…心身の喚喩…心身」「てしかな…(移)してしまうなあ…完了と詠嘆を表す…(移)して欲しいなあ…願望と感動を表す」
歌の清げな姿は、秋の草花の色彩豊かに色艶匂うが如く咲いた景色。
心におかしきところは、尽き果てたひら野で、なおも色情を我がそでに移して欲しいと願望するおとこのさが。
この両歌、立場は違うが、歌の心は、断ち難きおとこのさがと、絶えて欲しくないおとこのさが。
対比するように並べ置くのは、歌集編者のひとつの業(技)。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。