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帯とけの拾遺抄
平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。
拾遺抄 巻第九 雑上 百二首
故一条のおほいまうちぎみのいへの障子に 能宣
三百八十 たごのうらにかすみのふかくみゆるかな もしほのけむりたちやそふらん
故一条の大臣の家の障子に (大中臣能宣・後撰集撰者の一人・伊勢神宮祭主)
(東路の・田子の浦に、春・霞が深く見えているなあ、焼く・藻塩の煙、たち添うているのだろう……多子と・遺された妻女の、こころに春が済み、深く見えていることよ・君はもう見えない、焼き尽くす女の情念の・煙、添うているだろうか)
言の戯れと言の心
「たごのうら…東路の田子の浦…うち出て見れば富士の高嶺が見えるという所…多子の心…多情な妻女の心」「うら…浦…言の心は女…裏…心」「かすみ…霞…彼済み…春が済み」「見…見物…覯…媾」「かな…感嘆・詠嘆」「もしほ…藻塩」「も…藻…海草…言の心は女」「けむり…藻塩焼く煙…女の情念を火葬するする煙」
歌の清げな姿は、田子の浦の藻塩焼く煙と春霞にけむる景色。
心におかしきところは、(今は亡き、一情の大いなる井間うち君の井辺の双肢に)遺された妻女の立場でその心根を詠んだ。
「故一条の大臣」は、拾遺集では、「小一条の大臣」とある。村上の御時の宣耀殿の女御芳子の父藤原師尹である。枕草子(二十)にも定子の語られるお話しの中に登場する人。芳子が未だ姫君のころ、「先ず、文字を習い、琴を上手に弾けるようになりなさい、そうして、古今集二十巻を皆、暗唱することを、学問にしなさい」とお教えになられた人。それで、女御芳子は、詞書も作者も含めて、古今集の全ての歌を諳んじていた。
正月叙位侍りけるころ、或ところに人人まかりあつまりて子日のこ
ころの和歌よむといひ侍りけるに、六位に侍りける時よみ侍りける
三百八十一 松ならばひく人けふはあらましを そでのみどりのかひなかりける
正月の叙位の頃、或る所に人々集まって、「子の日の心」を題に歌を詠むと言ったので、六位であった時に詠んだ、(能宣)
(松ならば、引く人・引き上げる人、今日はあるだろうに、袖の緑が、甲斐ないことよ・効果ないことよ……小松ならば、袖引く男も今日はあるだろうになあ、端の若さが、貝なかったなあ)
言の戯れと言の心
「松…子の日に引き長寿を願い我が家に移し植える小松…待つ…言の心は女」「ひく…引き抜く…引きあげる…招く」「そで…衣の袖…端…身の端」「みどり…緑…松の色…六位の衣の色…新芽の色…若い色」「かひ…甲斐…効果…価値…貝…言の心はおんな」。
歌の清げな姿は、叙位の日の期待外れの落胆。
心におかしきところは、同じみどりでも、貝が無いと甲斐がないなあ、常緑かい、という諧謔。
「松」と「貝」の言の心を心得ていないと、「心におかしきところ」は、全く伝わらない。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。
和歌解釈の変遷について述べる(以下、再掲)
江戸の国学から始まる国文学的な古典和歌解釈は、平安時代の歌論や言語観から遠く離れてしまった。
和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を逆手にとって、歌に複数の意味を持たせる高度な文芸のようである。視覚・聴覚に感じる景色や物などに、寄せて(又は付けて)、景色や物の様なども、官能的な気色も、人の深い心根も、同時に表現する。エロチシズムのある様式のようである。万葉集の人麻呂、赤人の歌は、明らかに、この様式で詠まれてある。
歌は世につれ変化する。古今集編纂前には「色好み歌」と化したという。「心におかしきところ」のエロス(性愛・生の本能)の妖艶なだけの歌に堕落していた。これを以て、乞食の旅人は生計の糧としたという。歌は門付け芸と化したのである。歌は「色好みの家に埋もれ木」となったという。そこから歌を救ったのは、紀貫之ら古今集撰者たちである。人麻呂、赤人の歌を希求し、古今集を編纂し、歌を詠んだ。平安時代を通じて、その古今和歌集が歌の本となった。三百年程経って新古今集が編纂された後、戦国時代を経て、再び歌は「歌の家に埋もれ木」となり、一子相伝の秘伝となったのである。
江戸時代の賢人達は、その「秘伝」を切り捨てた。伝授の切れ端からは何も得られないから当然であるが、同時に「貫之・公任の歌論や、清少納言や俊成の言語観」をも無視した。彼らの歌論と言語観は全く別の文脈にあったので曲解したためである。それを受け継いだ国文学の和歌の解釈方法は、序詞、掛詞、縁語などを修辞にして歌は成り立っていたとする。それが、今の世に蔓延ってしまった(高校生の用いる古語辞典などを垣間見れば明らかである)。平安時代の人が聞けば、奇妙な解釈に、笑いだすことだろう。
公任の云う「心におかしきところ」と「浮言綺語の戯れ似た戯れの内に顕れる」と俊成の云う事柄と共に、和歌のほんとうの意味は、埋もれ木のままなのである。和歌こそは、わが国特有の、まさに、文化遺産であるものを。