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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。勅撰集に採られるような歌には、必ずこの三つの意味が有るだろう。
今の国文学の和歌解釈方法は棚上げしておくが、やがて、平安時代にはあり得ない奇妙な表層のみの解釈であることに気付くだろう。すでに、江戸時代に解釈方法を根本的に間違えていたのである。
拾遺抄 巻第九 雑上 百二首
延喜御時月令御屏風歌 躬恒
四百十七 かりてほす山田のいねをかぞへつつ おほくのとしをつみてけるかな
(刈っては干す、山田の稲を並べ立てつつ、この農夫・多くの歳月を積み重ねたのだなあ……猟して、むさぼっりくい・ほす、山ば多のい寝を、数々経つつ・筒、多くの疾しを、積み重ねてきたなあゝ)
言の戯れと言の心
「かり…刈り…狩り…猟…あさり・むさぼり…めとり・まぐあい」「ほす…干す…(稲を逆さまにして)干す…(のみ)ほす…(やり)尽くす」「山田…山ば多」「いね…稲…ゐ寝…共寝」「をかぞへ…数え…列挙し…ならべたて」「つつ…継続・反復を表す…筒…中空のもの…おとこの果て」「とし…年…歳…疾し…早過ぎること…ほんの一時…おとこのはかないさが」「つみ…積み…重ね」「けるかな…感動の意を表す…詠嘆の意を表す」
歌の清げな姿は、稲刈りして干す農夫の居る山田の風景。
心におかしきところは、おとなの男になってより数十年、一瞬の快楽、何千・何万回、重ねつづけたかなあ。
題不知 読人不知
四百十八 かのみゆるいけ辺にたてるそが菊の しがみさ枝いろのてこらさ
題しらず (よみ人しらず・女の歌として聞く)
(彼の見える池辺に立っている其の菊の、茂るさ枝、花の・色の、乙女のような可憐さ……あの人の見る、逝けのほとりに立つ、その草花の、しがみつく小枝、色情の乙女のような可愛さ
言の戯れと言の心
「かの…彼の…あちらの…彼の人の」「見ゆる…目に見えている…見ている」「見…覯…媾…まぐあい」「いけ辺…池辺…逝け辺…感の極みの涯けっぷち」「そが…其が…其の…黄色のことだとか他に色々な説がある、いずれにしても、古今集の歌が秘伝と成って歌言葉が埋もれた後の説である…彼のに対して其の」「菊…草花の名…言の心は女」「しがみ…じがみ(つく)…士が身・肢が身…(拾遺集雑秋では)繁み(表向きこのように聞く)…頻繁・繁殖」「さ枝…小枝…身の枝…おとこ」「いろ…色…色彩…表情・素振…色情」「てこらさ…手児らさ…葛飾のままの手児な(万葉集の歌語)のような…可愛い乙女のような」「ら…複数を表す…同類のものを表す…状態を表す」
歌の清げな姿は、秋の草花、菊の可憐さ。
心におかしきところは、飽き満ちたりて、逝けのほとりにたつ、乙女の可憐なさま。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。
和歌の表現様式について述べる(以下は再掲載)
紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って、平安時代の和歌の表現様式を考察すると次のように言える。「常に複数の意味を孕むやっかいな言葉を逆手にとって、歌に複数の意味を持たせる高度な文芸である。視覚・聴覚に感じる景色や物などに、寄せて(又は付けて)、景色や物の様子なども、官能的な気色も、人の深い心根も、同時に表現する。エロチシズムのある様式である」。