帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第三 夏歌 (152)やよやまて山郭公ことつてむ

2017-02-16 19:22:57 | 古典

             

 

                        帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

古典和歌は中世に秘事・秘伝となって埋もれ、江戸時代以来、我々は奥義を見失ったままである。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の、歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう歌の深い旨の「煩悩」が顕れる。いわば、エロス(生の本能・性愛)であり、これこそが、和歌の奥義である。

 

古今和歌集  巻第三 夏歌 152

 

(題しらず)                三国町

やよやまて山郭公ことつてむ われ世中に住みわびぬとよ

(題しらず)               (三国の町・仁明天皇の更衣)

(ちょっと待って、山ほとゝぎす、山寺に・言伝えたいの、わたくし、憂き世の中に住み辛くなったとよ・尼になりたいと……八夜や、そのままま・待って、山ばのほと伽す女は、貴身に・こと伝えたい、わたくし、女と男の浮き夜の中に、済み辛くなってしまったとよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「やよや…ちょっと…呼びかけ…八夜や…多い夜」「まて…待て…(ほととぎすよ)待て…(男よ)待て…(終了しようとするおとこよ)待て」「山…山ば」「郭公…鳥の言の心は女…ほととぎす…鳥の名…名は戯れる。ほと伽す、且つ恋う、且つ乞う」「ことつてむ…事伝えたい…(山寺の人に)言伝えたい…(男性に)こと伝えたい」「む…意志を表す」「世中…憂き世の中…浮き男女の夜の中」「すみ…住み…済み…終了」「わびぬ…しかねてしまう…し難く思ってしまう…つらくなってしまう」「とよ…とね…ということをよ…強調の意を表す・伝言の意を表す」。

 

山へ帰る郭公に、山寺の人への伝言を頼む、「憂き世に住み辛くなりました」と。――歌の清げな姿

山ばの男どもと身の端よ、そのまま八夜待て、女たちの気の澄むまでよ。独り山ばから逝けに堕ちることは許さない。――心におかしところ。

 

三国の町は、仁明天皇の更衣で紀種子。紀貫之らの二世代前の御人。藤原氏でないため后にはなれなかっただろう。それはともかく、女性を代表して世のおとこどもに、「やよや待て」と、仰せられるに相応しい御方。

 

ここ数首の男どもの心の歌を総括して、見事にうっちゃった感がする。古今和歌集の歌の並びには、それなりの意味があるのである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第三 夏歌 (151)いまさらに山へかへるなほとゝぎす

2017-02-15 19:04:23 | 古典

             

 

                        帯とけの古今和歌集

                 ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

古典和歌は中世に秘事・秘伝となって埋もれ、江戸時代以来、我々は奥義を見失ったままである。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の、歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう歌の深い旨の「煩悩」が顕れる。いわば、エロス(生の本能・性愛)であり、これこそが、和歌の奥義である。

 

古今和歌集  巻第三 夏歌 151

 

(題しらず)                (よみ人しらず)

いまさらに山へかへるなほとゝぎす こゑのかぎりはわがやどになけ

(読み人知らず・男の歌として聞く)

(今さら、山へ帰るな、ほととぎす、声の続く限りは、我が家の・木の花の、宿で鳴け……井間、更に、山ばへ返るな、且つ乞う女よ、小枝の・その声の、続く限りは、わが花の木に、泣け)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「いま…今…井間…おんな」「さらに…その上に…かさねて…あらたに」「山…山ば」「かへるな…帰るな…返るな…繰り返すな」「な…打消しの意を表す…禁止の意を表す」「ほととぎす…鳥…言の心は女…鳥の名…名は戯れる、ほと伽す、且つ恋う、且つ乞う」「こゑ…声…鳥の声・女の声…小枝…おとこ(自嘲的表現)」「宿…郭公の宿は花の木…花橘、卯の花など…木の花の言の心は男」「なけ…鳴け…泣け…投げ…なげすて」。

 

飛ぶ鳥よ、今更、南の山に帰らず、我が庭の花の木でいつまでも鳴いてくれ。――歌の清げな姿

いまさらに、山ばへ返らないで、我が小枝の・貴女の且つ乞う声の、限りに、いま、身も心も投げ・棄ててくれ。――心におかしところ。

 

女性の本性にたいする男の悲鳴に似た本音である。数首前まで遡って、男の本音と女の本性を返り見ると、

 

148 思いの火、吹き出るときは、常磐の山ばの、且つ乞う人よ、空のくれない色のもの、振り出してぞ、無げと嘆く。

149 声は嗄れ、涙も涸れて、且つ乞うと嘆く人よ、尽き果てたわがおとこの情念の白い涙を、潤いのたしにしておくれ。

150 悪しき山ばの、且つ乞う人よ、貴女が折り、這い臥し、のびたものを、垂れが、だれが増さるのよと、根おの身を、嘆く。

それぞれの歌は、カッコウ鳥の声が聞こえる夏の風情の「清げな姿」をしていた。それぞれの歌に、人の深い心が感じられるかもしれない。これが、この時代の「歌の様」(歌の表現様式)である。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第三 夏歌 (150)あしひきの山ほとゝぎすおりはへて

2017-02-14 19:35:42 | 古典

             

 

                       帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

古典和歌は中世に秘事・秘伝となって埋もれ、江戸時代以来、我々は奥義を見失ったままである。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の、歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう歌の深い旨の「煩悩」が顕れる。今の人々のいうエロス(生の本能・性愛)であり、これこそが、和歌の奥義である。

 

古今和歌集  巻第三 夏歌 150

 

(題しらず)                (よみ人しらず)

あしひきの山ほとゝぎすおりはへて 誰かまさると音をのみぞ鳴く
                             
(読み人知らず・男の歌として聞く)

(あしひきの山ほととぎす、山に・居り続けて、誰が勝るかしらと、声あげぞ、鳴いている……あの山ばの、ほと伽す女、おを折り這わせて、なにが増さるかと・垂れがまさるのかと、おの身ぞ、無く・泣く)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「あしひきの…枕詞…歌言葉は戯れる。足ひき、悪し退き」山…山ば」「ほととぎす…夏の鳥…鳥の言の心は女…郭公…名は戯れる、ほと伽す、且つ乞う」「おり…をり…接頭語…居り…折り」「はへて…這わして…延ばして…つづけて」「だれかまさる…誰が勝るか…なにがまさるのか…垂れか優るか」「ねを…音を…声を…根お…おとこ」「のみ…だけ…限定を表す…の身」「ぞ…強調」「なく…鳴く…無く…泣く」。

 

山ほととぎす、山が好いのか、居続けて、競うように声あげて鳴いている。――歌の清げな姿。

あの山ばの、且つ乞う女、お、折り延ばしては、垂れがまさるのかと、なき身をぞ泣く。――心におかしところ。

 

前の歌と共に、この歌も、男の立場で見た女性の心と身のありさまを詠んだ歌である。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第三 夏歌 (149)声はしてなみだは見えぬ郭公

2017-02-13 19:20:46 | 古典

             

 

                        帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

古典和歌は中世に秘事・秘伝となって埋もれ、江戸時代以来、我々は奥義を見失ったままである。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の、歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう歌の深い旨の「煩悩」が顕れる。いわば、エロス(生の本能・性愛)であり、これこそが、和歌の奥義である。

 

古今和歌集  巻第三 夏歌 149

 

(題しらず)           (よみ人しらず)

声はしてなみだは見えぬ郭公 わが衣手のひつをから南
                        
(読み人知らず・男の歌として聞く)

(声はして、涙は見えぬほととぎす、わが衣の袖の、聞くも辛く流す・涙の濡れを借りて欲しいよ……小枝は為手、汝身唾は見えない、ほと伽す女・且つ乞うおんな、わが心と、身の端の泌を借りて欲しい・難渋す)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「声はして…声はしていて…小枝は為手…おとこは為すべきこと為して」「なみだ…めの涙…汝身唾…身の泌・潤い」「郭公…ほととぎす…ほと伽す…且つ乞う」「衣…心身を被うもの…心身の換喩…心と身」「手…人…袖…端」「ひつ…漬つ…浸つ…泌…濡れ」「から南…借らなむ…借りて欲しい、難渋中」「なむ…自己の願望を表す…南…難」。

 

繰り返し鳴き、涙は涸れる郭公よ、同情の涙の・わが袖の濡れを借りてほしい・難しいかな。――歌の清げな姿。

小枝は為すこと為して、汝身唾は見えない、且つ乞う女よ、我が涙の白玉を借りてほしい・有頂天に送り届けたい。――心におかしところ。

 

前の歌と共に、この歌も、男の立場で見た女性の心と身のありさまを詠んだ歌である。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第三 夏歌 (148)思ひいづるときはの山の郭公

2017-02-11 19:31:07 | 古典

            

 

                                             帯とけの古今和歌集

             ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

古典和歌は中世に秘事・秘伝となって埋もれ、今の人々は、その奥義を見失ったままである。国文学的解釈方法は平安時代の歌論と言語観を全て無視して新たに構築された砂上の楼閣のようなものである。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の、歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう「煩悩」が顕れる。いわばエロス(生の本能・性愛)であり、これこそが、和歌の奥義である。

 

古今和歌集  巻第三 夏歌 148

 

(題しらず)               (よみ人しらず)

思ひいづるときはの山の郭公 からくれないのふりいでてぞなく

 

(思い出す、常磐の山のほととぎす、声涸れて・唐紅のもの振り出して鳴くことよ……思い火いづる、いつまでも変わらぬ山ばの且つ乞う女、唐紅の声・空暮れないの小枝、振り出して泣くのだ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「思ひいづる…思い出す…思い火出づる」「ときはのやま…常磐の山…常に変わらない山ば」「山…ものの山ば」「郭公…ほととぎす…鳥の言の心は女…ほと伽す女…且つ乞う女」「唐紅…真っ赤…鮮血の色…声は涸れ口から血を吐く郭公…真っ赤に燃える且つ乞う女の声…空のたそがれ小枝…空洞の影の薄いおとこ」「なく…鳴く…泣く」。

 

思い出す、常磐山の郭公、声振り絞ってカツコー・カッコーと、血を吐くほどいつまでも鳴いているぞ。――歌の清げな姿。

思い火のでる、いつまでも変わらぬ山ばの且つ乞う女、真っ赤な声振り絞って・空暮れないの小枝振り出して泣くのだ。――心におかしきところ。

 

紫式部ならば若い頃より(147)の伊勢物語の歌や、この(148)の古今集の歌を、「心におかしきところ」まで、間違いなく読み取っていたのである。異性体験の少ない唯の国守の娘に源氏物語が描けるのはそのためである。

この歌は、夏の雨の夜、若き男数人集って、女との体験を語り合う場面にありそうな情況である。どこの女なのだ、それからどうしたと、話は弾むだろう。帚木の巻のみならず、源氏物語は、伊勢物語と古今和歌集の歌とほぼ同じ文脈にある。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)