測定器や認識器を一般化した情報化器を内蔵するシステムには情報が実在します。
同時に、システムを構成している物質も実在します。
このシステムには情報と物質という異質なものが共に実在しています。
このシステムには情報と物質という異質なものが共に実在しています。
情報化器が定義/創発した情報によってシステムを制御する場合、情報が物質に影響します。
情報と物質という異質なものが実在して相互に作用しています。
このような状況下では
このような状況下では
(1)情報と物質とは独立的な存在ではなく、
だからと言って
(2)一方を他方に還元できるのでもありません。
この二元論を相互依存的二元論と名付けます。
だからと言って
(2)一方を他方に還元できるのでもありません。
この二元論を相互依存的二元論と名付けます。
対象の見方は、観測者の立場によって様々です。
それぞれの見方によって対象についての理論や説明形態も変わります。
それぞれの見方によって対象についての理論や説明形態も変わります。
未知の対象を説明したいとします。
先ず決めるべきことは、
(1)対象を物理的手段によって測定するか
(2)主観で観察するかです。
先ず決めるべきことは、
(1)対象を物理的手段によって測定するか
(2)主観で観察するかです。
次に、
(1)対象のどの物質的部分(モノ)を
(2)どのように(コト)測定/観察するかです。
(モノ:物質的な存在を指す。コト:非物質な存在を指す。哲学用語。)
(1)対象のどの物質的部分(モノ)を
(2)どのように(コト)測定/観察するかです。
(モノ:物質的な存在を指す。コト:非物質な存在を指す。哲学用語。)
未知の対象のどこをどのように測定/観測するのかは理論的には決まりません。
測定者ないし観察者が決めることです。
測定者ないし観察者が決めることです。
これには極めて重要な意味があります。
それによって対象の見方/説明の仕方/理論などが決まるからです。
それによって対象の見方/説明の仕方/理論などが決まるからです。
(1)モノとして見る場合(物理的な見方):
ミクロからマクロまで無限に多くの物質的部分があります。どの部分に注目して、どのような測定器を使って測定するのか。
ミクロからマクロまで無限に多くの物質的部分があります。どの部分に注目して、どのような測定器を使って測定するのか。
(2)コトとして見る場合(非物理的な見方):
対象に情報的属性/機能的属性/心的属性のどれを与えるのか。
対象に情報的属性/機能的属性/心的属性のどれを与えるのか。
物理的/非物理的な見方のいずれも、測定器あるいは感覚器が不可欠です。
これらに依存しない見方や説明は有り得ません。
これらに依存しない見方や説明は有り得ません。
測定器ついてはそれを道具として使うので存在を忘れることはありません。
物理学ではどのような測定器を使うのかは理論構築にとって本質的役割を果たします。
測定器をどのように設計するのかも自明ではなく、研究者が考え出すものです。
実験結果が理論を構築するのではなく、理論が実験方法を決めるのです。
感覚器はヒトが生まれたときから備わっているので、その存在を忘れがちです。
感覚器は、動物の種によって様々です。
色の感覚は、種によってかなり違います。
目の配置によっても見え方が違います。
感覚器は、動物の種によって様々です。
色の感覚は、種によってかなり違います。
目の配置によっても見え方が違います。
蝙蝠は、超音波によって外界を認識します。
(1)対象を測定器で測定した結果を利用して理論を構築する場合
(2)対象を感覚器で観察した結果を利用して理論を構築する場合
のいずれも理論を構築するのはヒトの脳です。
(2)対象を感覚器で観察した結果を利用して理論を構築する場合
のいずれも理論を構築するのはヒトの脳です。
対象の見方や説明を構築するためには
(1)先ず測定器や感覚器が不可欠であり
(2)それらの結果を利用して理論を作る脳の働きも不可欠です。
(1)先ず測定器や感覚器が不可欠であり
(2)それらの結果を利用して理論を作る脳の働きも不可欠です。
同一の対象に対して、モノとしての見方とコトとしての見方の双方が有り得ます。
どちらが正しい見方(説明)かという問いは無意味です。
脳やコンピュータ内部の事象に対しては、
(1)モノとしての見方(物理的説明)と
(2)コトとしての見方(心理的/情報処理的/機能的説明)
の両方が同時に可能です。
一方を他方に還元することはできません。
(1)モノとしての見方(物理的説明)と
(2)コトとしての見方(心理的/情報処理的/機能的説明)
の両方が同時に可能です。
一方を他方に還元することはできません。
モノとしての見方とコトとしての見方とが相互に関係している場合もあります。
中村量空
『シュレーディンガーの思索と生涯-波動のパラダイムを求めて-』、
『シュレーディンガーの思索と生涯-波動のパラダイムを求めて-』、
工作舎(1993)の156頁
に興味深い話があります:
アインシュタインからシュレーディンガーへの手紙の中に
「あなたは、私がほんとうに相談をしようと思うただ一人の人だ。
ほかの友人はいずれも、現実から理論を見るのではなく、理論から現実を見ているのだ。」
という文章があるそうです。
に興味深い話があります:
アインシュタインからシュレーディンガーへの手紙の中に
「あなたは、私がほんとうに相談をしようと思うただ一人の人だ。
ほかの友人はいずれも、現実から理論を見るのではなく、理論から現実を見ているのだ。」
という文章があるそうです。
アインシュタインが客観的実在(=現実)を信じていたことが分かります。
この見方は、古典物理学のものと同じです。
現実を見るためには脳の影響を避けることはできません。
(1)脳の働きは自然界を認識する脳の機能によるものであり
(2)その機能には哲学/宗教観/人生観などが影響することを考慮すると、
アインシュタインが「現実から理論を見る」ときでも脳の影響を避けることは不可能です。
(1)脳の働きは自然界を認識する脳の機能によるものであり
(2)その機能には哲学/宗教観/人生観などが影響することを考慮すると、
アインシュタインが「現実から理論を見る」ときでも脳の影響を避けることは不可能です。
詳細は、パソコンサイト 情報とは何か 情報と物質の関係から見える世界像 を是非ご覧ください!
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