情報と物質の科学哲学 情報と物質の関係から見える世界像

情報と物質の関係を分析し、心身問題、クオリア、時間の謎に迫ります。情報と物質の科学哲学を提唱。

渡辺正峰の「意識の自然則」は不可能!

2021-12-21 10:55:40 | 人工知能・意識・脳科学
渡辺正峰『脳の意識 機械の意識ー脳神経科学の挑戦』、中公新書2460(2018)
の中で「意識の自然則」がある筈だと主張しています。
著者による意識の定義は、哲学者チャーマーズに倣ってクオリアと同義であるとしています。

著者がいう自然則は物理法則と全く同格なものであり、普遍的、客観的な意味のものです。
この主張は事実に反する不合理なものである理由を示します。

外部からの物理的刺激が感覚受容器に入り、その刺激が受容器のしきい値を超えると受容器からパルス列が出力されます。
このパルス列は、刺激物質に関する情報を感覚野に伝えます。

このときの情報は受容器の特性に完全に依存します。
その上、受容器の特性は個人個人で違います。
この事実は、受容器から出力されるパルス列が運ぶ情報には客観性がないことを示します。
更に言えば、感覚野の特性、クオリア、意識も個人個人で違うのです。

従って、著者が主張する「意識の自然則」はあり得ないのです。
著者は脳神経科学者と称しています。
脳科学に精通している筈の人が「意識の自然則がある」と主張するのは理解に苦しみます。
著者が哲学者チャーマーズの信奉者だからでしょうか。

機械の意識を擁護するチャーマーズの矛盾

2021-12-20 14:29:18 | 人工知能・意識・脳科学
著名な哲学者チャーマーズは大著『意識する心ー脳と精神の根本理論を求めて』の中で機械に意識を持たせるということ(強いAI)は可能だと主張しています。

しかし、この主張が矛盾していることを証明します。
(事実1)クオリアは感覚野が関係していることは脳科学で実証されている。
(事実2)コンピューターという機械には感覚野はない。
(結論)これらの事実から機械にはクオリアがない。

チャーマーズによる意識の定義:意識はクオリアを持つことと同義である。

この定義と先の議論から機械にチャーマーズが定義する意識を持たせることは出来ないという結論が得られます。

従って、機械に意識を持たせるということ(強いAI)は可能だとするチャーマーズの主張は彼による意識の定義と矛盾しているのです。

シャノンの功罪

2021-12-19 19:18:21 | 情報と物質の科学哲学
シャノンの画期的論文『通信の数学的理論』は、科学の世界に革命をもたらしました。
この成果により、情報は物質およびエネルギーと共に現代科学の三大基礎概念になったのです。

その成果があまりにも絶大だったためにシャノンの情報概念が普及しすぎるという負の効果をもたらしたのです。
周知のように、シャノンの情報には意味がありません。

しかし、この世界には意味のある情報が至る所にあります。
これらは、シャノン流の意味のない情報とは本質的に違うものです。

シャノン流の情報に慣れ親しんだ研究者は、敢えて情報とは何かを問うことを忘れています。
これがシャノンが意図せずにもたらした負の遺産なのです。

「環境から情報が入る」は間違い!

2021-12-19 16:24:12 | 情報と物質の科学哲学
環境から情報が入るという言い方は日常的に使われます。
しかし、これは事実に反するのです。

外界から感覚受容器に入るのは、物理的刺激に過ぎません。
その刺激が受容器のしきい値より大きいと、受容器はパルス列を出力します。
このパルス列は、刺激物質に関する情報を感覚野に伝えます。

つまり、外界からの刺激は受容器によって初めて情報化されるのです。
従って、外界から情報が入るというのは間違いです。
この言い方は便利ですが、情報概念の本質を見逃す大きな原因になっています。

情景などの情報が外界にあるとするのは錯覚です。
情景などはすべて脳内部で情報化されて意識化されるのです。



チャーマーズの矛盾 シャノンの情報と測定器の情報の本質的違い

2021-12-19 11:34:34 | 人工知能・意識・脳科学
シャノンが定義した情報はビットで表現されるものです。
その情報に意味はありません。

一方、測定器が創発する測定値という情報には意味があります。
測定値情報は、入力量と基準量の比を意味するからです。

著名な哲学者チャーマーズは大著『意識する心ー脳と精神の根本理論を求めて』の中で一貫してシャノン流の情報を扱っています。
チャーマーズは、無意味な情報から意識が生じると考えています。

彼は、ミミズにも意識があると考えてもおかしくないとまで言います。
しかし、同著の27頁では意識しているとはクオリアを持つと同義であるとしています。
クオリアは感覚野が関係しているので、感覚野のないミミズに意識があってもおかしくないというのは矛盾しています。

シャノン流の意味のないビット情報がすべてであると考えるのは、情報概念に対してあまりにも狭い考え方に囚われることになります。

動物などの生命現象においては、意味のある情報が本質的な役割を果たしています。