オカンとワンコ

過去と他人は変えられない 自分と未来は変えられる

ご無沙汰しておりました

2022年11月23日 17時40分11秒 | オカンのつぶやき
気がつけば9日前から放置してしまってる…。
なんだかスッカリ疲れちまってな。
思い起こせば先週の水曜日から、バタバタは始まった。


月イチの街外歩きは境線に乗って移動し、
境港駅からおさかなロードを歩いた。
その途中に叔母の連れ合いの訃報を受けたのだわ。


兄からの連絡でしたが、兄も又聞きなので詳しいことは不明だけど、
通夜は翌日、葬儀は明後日と決まったそうです。
この先はどうしようもないので街歩きは続行し、
帰着駅から叔母の家に向かって直接話を聞きました。

朝は何時ものように着替えて新聞を取りに出た叔父は、
気分が悪いと言ってしばらく廊下で横になったそうですが、
やがて起き上がりトイレに入り、そこで倒れていたそうです。
身体が不自由な叔母一人では叔父を動かせず、
掛かり付けの医師に来てもらい、
ベッドまで移したけど既に事切れており、
死亡診断書を書いてもらったそうです。
掛かり付け医が居て良かったです。
でなければ警察が来ますもんね。


オカンが叔母宅に着いたとき、近くに住んでいる従姉も来ていて、
息子と三人で葬儀その他の段取りを話し合って帰りました。


通夜も葬儀も滞りなく済んだのですよ。
でも叔母はお骨拾いはもちろん、火葬場にも行かないと言いましてね。
一番肝心な連れ合いが行かんのか?
ホントに行かんでええのか?
何をどう言っても行かないと繰り返す。
なのでオカンが家に送ったのですよ。
息子夫婦が戻ってくるまで一人置いておくのもなんだかな〜と、
叔父の使っていたベッドを引き取ってもらい、
ついでに布団を始末したり、
あちこちに連絡を入れたり、
袋に突っ込んだまま未整理の領収書を仕分けしたりで、
叔母の用を片付けながら時間をつぶし、
息子夫婦が戻るのを待ちました。


葬儀は11時開始で、ほぼ一日礼服のまま過ごしたわけです。
身体のアチコチが凝り固まりました。
気付けばお昼ごはんも食べていなかったな。
叔母もだけどね。
叔父叔母二人共米寿を迎えておりました。
高齢の叔母の一人暮らしが始まります。
桃惠の居ない今、叔母の用足しに通わな、な〜。
気の重いこの数日、ぐーたら過ごしたのはそんな訳でした。
(ここまでの画像は街外歩き)

さてと、
桃惠の四十九日が過ぎたので、今日はお骨を庭に埋めてやりました。
ミャーコさん母娘が来て一緒に木箱に移して埋めました。

レン君、はなちゃんも眠るお庭。
シマリスのシマジローに
ハムスターの梅ちゃんに
はなちゃんの初めての娘(死産)と
桃惠の弟の竹次郎。
仲良くにぎやかにやっとくれね〜。

ミャーコさんが描いた絵に付いていた石は、
黒がグレータンのレン君、
茶色はチョコタンのはなちゃんで、
淡いピンクは桃惠だよとミャーコさん。
絵はお骨と一緒に箱に入れ、石はオカンが持っておくことにしました。


片付いて花だけ残った祭壇の跡。
いずれは写真もな。