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日航ジャンボ機墜落事故は一番記憶に残る飛行機事故

2024-03-13 | 日記

アマゾンのウェブサイトを見るとおすすめの本がトップページに掲載されます。ある日ふと気になった単行本があったので立ち読みして購入しました。森永卓郎氏の名はニッポン放送でよく耳にしていたのですがまさか重い病気になっているとは思いも知りませんでした。日本経済の凋落を解説した本ですがまさか1985年の日航ジャンボ機墜落事故の話が出てくるとは思いませんでした。当時の日本はまだバブル景気前でしたので新卒学生(私はまだギリギリ学生)は引く手あまたの時代でリクルート社からの会社案内が縦に積むと1mぐらいになったものでした。

私は夏休みでしたので茨城県つくば市で開催中の科学万博に行くために母親と叔父が単身赴任していた友部町(現笠間市)の某国営企業の社宅に泊まりに行くことに。確か当日は非常に暑い日で今なら考えられませんがエアコンも付いてないクルマ(トヨタスプリンター)でしたので短パン・Tシャツで運転していたと思います。ラジオから流れてきたニュースは当然日航機が行方不明というニュース。その晩のニュースで御巣鷹山(御巣鷹の尾根)に墜落したとの報。

今でも事故原因は以前尻もち事故をしたときの修理ミスが原因とされていますがこの本では別の著者の推測から初期救助が遅れた原因が日本経済の凋落に関係しているとされていて何やら陰謀めいた話になってきています。ただ一つ言えることはどんな事故原因があろうとも亡くなった人々は帰ってこないと言うことだけです。特にお子さんを一人飛行機に乗せて後生後悔の念に悩まされているご両親の気持ちは気の毒でなりません。既に母も叔父も帰らぬ人となりましたが自分が人生で一番ショックを受けた飛行機事故がこの事故なのは言うまでもないです。

森永さんの著書の話でしたがいつの間にか日航ジャンボ機墜落事故の話に..。
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