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チラシの裏

殺人者と恐喝者

2014年01月31日 | JDカー






別冊宝石63号「この目で見たんだ」長谷川修二訳
「という訳である」
創元推理文庫旧版長谷川修二訳
「という話である」
原書房版森英俊訳
「認められた事実であった」
創元推理文庫新版高沢治訳
「事実として認められた」

第1章は翻訳者泣かせのパートなのか、翻訳者それぞれに苦労した跡が見えます。
長谷川修二版は、旧創元推理文庫を出すときに手が入っている様子。


初期のように煩雑で頭数だけのキャラクターを登場させず、
コンパクトな人物関係の中で「ミスディレクション」を駆使して謎を仕掛ける中期の作品。
犯人のトリックはさておき、カーが読者に仕掛ける「罠」は叙述トリックに近いものがあります。
その点からすると、「第1章」の翻訳は重要な意味を持つはずです。

著者のカーは「第1章」をフェイン夫人の視点、という意識で書いていたと思われますが、
それにしては三人称で書かれているので、読者にそう思わせるにはムリがあるようです。
女性文体ならば、もうちょっと納得できるのかも。
英文では性別が判読できないので、そこにトリックを仕掛けたつもりだったのが、
翻訳されてしまったがために無効化されてしまった、と好意的にとるにしても、
アンソニー・バウチャーから文句を言われているので、原文でもアウトっぽい。(「奇蹟を解く男P281」)

ところでトリックにはまったく関係ないのですが、
ニスデール先生が関西人から東京下町の人間にキャラ変更されています。
原文を知らないのでなんとも言えないのですが、もしかしたらスコットランド訛り(?)があるのでしょうか。
長谷川修二訳
「スコットランドにユダヤ人がいてますかいな」「あちらではよう暮らして行けしめへんで」
高沢治訳
「スコットランドにユダヤ人はいねぇよ」「方便(たつき)が立たねぇからな」

例によって作中には過去作品への言及箇所があるのですが、非常にヤバいので注意が必要です。
とくに原書房版森英俊訳は、そこを見ないようにして読んだほうがいいと思うほど。


初期にくらべてカーのプロット構成力が緩みかけている、と言えるかもしれません。
そのユルいところが逆に明るく楽しいミステリというイメージを与えているとしたら、
それもまた魅力の一つでしょう。
いろいろ文句をつけちゃいましたが、ラストの盛り上げ方はうまいですね。
読者がなんとなく勘で見当をつけておいたであろう人物をヒネる展開はさすがカー。
ちなみにHM卿の自叙伝は読者サービスとしても、
「●●●●は悪いヤツ」というヒント兼ミスディレクションでしょうか。
さらに言えばカー本人にそんな体験があったのかもしれません。
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