(画像は、トリエステのイタリア統一広場に建つ政庁舎Pal. de Governoのファサードのモザイク)
Air Dolomiti, Partner of LufthansaのLH4004便でミュンヘンからイタリアのトリエステへ。ATRというプロペラ機(4列の46人乗り)。函館-旭川のHACのプロペラ機よりは大型(で多分新しい)。残念ながら天気は悪い。プロペラ機でのアルプス越えは絶好の観光フライトなのに。厚い雲に覆われ全く山は見えない。雲の高さはアルプスより一寸高いぐらいか、ずっと雲が続いている。その雲上を1000mぐらいのところを飛んでいるのだろうか、眼下は真っ白。しかし空は青く、まるで雲上人の気分。
機内誌によればAir Dolomiti社はミュンヘンとイタリアの多くの都市間のネットワークを運営している。多分イタリア観光のためのドイツ人の航空会社というところ。結構上品そうな如何にも観光にいくという風情のドイツ人の乗客が多い。
一時間もせずにアルプスを越え、雲はちぎれだし、イタリアの大地が見え出す。ちいさな積乱雲が綿菓子のようにぷかぷかしているなかを降下する。イタリアの畑が見え出す。あっという間にトリエステ空港Aeroporto Rochi dei Lengionariに到着する。
トリエステ空港は小さな空港。タラップを降り歩いて建物に入り、一寸薄暗いのBaggage Claimで荷物を受け取る。この薄暗さは前にもベネチアの空港で感じた暗さだ。すぐに出口でタクシーに乗り込む。畑の真ん中に到着したのは理解していたが、高速道路をドライバーが、暫く何もない風景をかっ飛ばす。イタリア語はできないので無言の時間が続く。トリエステと標識のないところで高速を降りる。一寸不安になる。イタリアの田舎道という感じの農家が点在する細い舗装の悪い道を一寸走りぬける。崖に出る。目の前にアドリア海が広がった。そして青い海に浮かぶ帆影。そして遠くにトリエステの街が見える。崖の上には、海を臨む見事な邸宅が建つ。道を下りだせば、前方の崖は見事な白いカルスト台地。左手には青いアドリア海。明るい日差しの中を、切り立った崖の道をくねくねと崖を下る。この明るい日差しと青い海、ようやくイタリアにやってきた。崖を下れば、ちょっとした坂と細くて狭い道の多いトリエステの街についた。
トリエステの歴史は、ローマ人が殖民地としたことに始まる。トリエステ湾という地の利から活発な商業の中心地、ローマ帝国の東の国境を守る要塞となった。1202年にはベネチアに併合される。しかし、1382年セレニッシマ共和国(ベネチア)に反逆して、オーストリア保護下に。15世紀まで両国の仲介役を果たす。1719年カルロ6世は、トリエステを自由港に指定して東方会社の本拠地になりトリエステは栄える。トリエステが再びイタリアに併合されたのは、第一次世界大戦が終わった1919年になってから。
ホテルに着いて、一寸だけ街に繰り出す。まずは、市内を一望できるサン・ジェストの丘Colle di San Giustoに。丘に登るとまず目に付くのは城塞。ローマバジリカ教会の廃墟(折れた円柱が点在するいかにも廃墟)、そしてサン・ジェスト教会 Basilica di San Giusto。
サン・ジェスト教会の建物は主に14世紀のもの。中に入れば、柱にフレスコの技法でデザインが。このようなフレスコの柱は初めてだ。右の後陣の金色のモザイクは13世紀のもの。左の後陣の金色のモザイク(玉座の聖母、ミカエル、ガブリエル、そして使徒たち)は12世紀のもの。まばゆいモザイクで美しい。小銭50centを入れると後陣に光がつく仕組みになっている。団体客がお金をいれるのにご相伴して見学。
サン・ジェストの丘から下り、ローマ劇場跡(Teatro Romano)を通り過ぎ、イタリア統一広場へ。広場は、一面は海に面し、あと3面は建物が囲む。一面が海に面しているので、とても開放的で清々としている。コの字型に6つの建物が並ぶ。どの建物もファサードが美しい。海から一番奥に、市庁舎Pazzo Comunale。(夜のライトアップがまた美しい)。そして、海に近いところに政庁舎Pal. de Governo。政庁舎の白亜に壁面には、金で縁取って描かれたモザイクのデザイン。パステルカラーで描かれた横顔のメダリオンmedallionが8つあり、それがアクセントになっている。(その1つをアップしたのが写真。)何とも、きらびやかで、おしゃれ。Pal.d Lyoyd Triestinoは壁面工事の足場がかかっていてよく見えず残念。人々が皆広場に集まってきて足を止めたり、カフェで談笑している。広場では、いろいろイベントも催されている。昼間は各国のパトカーの走行フェスティバル。夜はブラスバンドの演奏会だった。
(9月10日, Update 10月18日)
Air Dolomiti, Partner of LufthansaのLH4004便でミュンヘンからイタリアのトリエステへ。ATRというプロペラ機(4列の46人乗り)。函館-旭川のHACのプロペラ機よりは大型(で多分新しい)。残念ながら天気は悪い。プロペラ機でのアルプス越えは絶好の観光フライトなのに。厚い雲に覆われ全く山は見えない。雲の高さはアルプスより一寸高いぐらいか、ずっと雲が続いている。その雲上を1000mぐらいのところを飛んでいるのだろうか、眼下は真っ白。しかし空は青く、まるで雲上人の気分。
機内誌によればAir Dolomiti社はミュンヘンとイタリアの多くの都市間のネットワークを運営している。多分イタリア観光のためのドイツ人の航空会社というところ。結構上品そうな如何にも観光にいくという風情のドイツ人の乗客が多い。
一時間もせずにアルプスを越え、雲はちぎれだし、イタリアの大地が見え出す。ちいさな積乱雲が綿菓子のようにぷかぷかしているなかを降下する。イタリアの畑が見え出す。あっという間にトリエステ空港Aeroporto Rochi dei Lengionariに到着する。
トリエステ空港は小さな空港。タラップを降り歩いて建物に入り、一寸薄暗いのBaggage Claimで荷物を受け取る。この薄暗さは前にもベネチアの空港で感じた暗さだ。すぐに出口でタクシーに乗り込む。畑の真ん中に到着したのは理解していたが、高速道路をドライバーが、暫く何もない風景をかっ飛ばす。イタリア語はできないので無言の時間が続く。トリエステと標識のないところで高速を降りる。一寸不安になる。イタリアの田舎道という感じの農家が点在する細い舗装の悪い道を一寸走りぬける。崖に出る。目の前にアドリア海が広がった。そして青い海に浮かぶ帆影。そして遠くにトリエステの街が見える。崖の上には、海を臨む見事な邸宅が建つ。道を下りだせば、前方の崖は見事な白いカルスト台地。左手には青いアドリア海。明るい日差しの中を、切り立った崖の道をくねくねと崖を下る。この明るい日差しと青い海、ようやくイタリアにやってきた。崖を下れば、ちょっとした坂と細くて狭い道の多いトリエステの街についた。
トリエステの歴史は、ローマ人が殖民地としたことに始まる。トリエステ湾という地の利から活発な商業の中心地、ローマ帝国の東の国境を守る要塞となった。1202年にはベネチアに併合される。しかし、1382年セレニッシマ共和国(ベネチア)に反逆して、オーストリア保護下に。15世紀まで両国の仲介役を果たす。1719年カルロ6世は、トリエステを自由港に指定して東方会社の本拠地になりトリエステは栄える。トリエステが再びイタリアに併合されたのは、第一次世界大戦が終わった1919年になってから。
ホテルに着いて、一寸だけ街に繰り出す。まずは、市内を一望できるサン・ジェストの丘Colle di San Giustoに。丘に登るとまず目に付くのは城塞。ローマバジリカ教会の廃墟(折れた円柱が点在するいかにも廃墟)、そしてサン・ジェスト教会 Basilica di San Giusto。
サン・ジェスト教会の建物は主に14世紀のもの。中に入れば、柱にフレスコの技法でデザインが。このようなフレスコの柱は初めてだ。右の後陣の金色のモザイクは13世紀のもの。左の後陣の金色のモザイク(玉座の聖母、ミカエル、ガブリエル、そして使徒たち)は12世紀のもの。まばゆいモザイクで美しい。小銭50centを入れると後陣に光がつく仕組みになっている。団体客がお金をいれるのにご相伴して見学。
サン・ジェストの丘から下り、ローマ劇場跡(Teatro Romano)を通り過ぎ、イタリア統一広場へ。広場は、一面は海に面し、あと3面は建物が囲む。一面が海に面しているので、とても開放的で清々としている。コの字型に6つの建物が並ぶ。どの建物もファサードが美しい。海から一番奥に、市庁舎Pazzo Comunale。(夜のライトアップがまた美しい)。そして、海に近いところに政庁舎Pal. de Governo。政庁舎の白亜に壁面には、金で縁取って描かれたモザイクのデザイン。パステルカラーで描かれた横顔のメダリオンmedallionが8つあり、それがアクセントになっている。(その1つをアップしたのが写真。)何とも、きらびやかで、おしゃれ。Pal.d Lyoyd Triestinoは壁面工事の足場がかかっていてよく見えず残念。人々が皆広場に集まってきて足を止めたり、カフェで談笑している。広場では、いろいろイベントも催されている。昼間は各国のパトカーの走行フェスティバル。夜はブラスバンドの演奏会だった。
(9月10日, Update 10月18日)