フリック・コレクションの広間(その1)(エル・グレコとハンス・ホルスバイン)
今回のフリック・コレクション。また次回は別の部屋の別の作品に感動するとおもうが、ブーシェの部屋、フラゴナールの部屋に並んで感動したのは、広間(リビングホール)Living Hall。その荘厳な部屋は、建築家トーマス・ヘイスティングスとインテリア・デザイナーのチャールズ・アロムの最高傑作のひとつに数えられるという。天井のデザイン、部屋の壁材、家具や暖炉、シャンデリア、絨毯はいうまでもない。
まず、入って目に入るのは、暖炉上のエル・グレコEl Grecoの作品《聖ヒエロニムス》St. Jerome(1590-1600頃)。聖書をラテン語に翻訳した人物。やせこけた顔と白いあごひげ。そして暖炉をはさんで、対称にハンス・ホルスバイン(子)Hans Holbein the Younger(1497/98-1543)の肖像画が飾られている。*1 ユートピアの著者である《トーマス・モア》Sir Thomas More(1527)とイングランドにおける宗教改革の旗頭の《トーマス・クロムウェル》Thomas Cromwell(1532-3頃)。ヘンリー8世に仕えていて国王を英国国教会の首長とする首長令を拒んで首をはねられた《トーマス・モア》と首長令を支持した《トーマス・クロムウェル》を《聖ヒエロニムス》をはさんで対峙させるという緊張の走る部屋です。1517年のルターの宗教改革のためドイツでは宗教画家の仕事がなくなるという状況の中で、ハンス・ホルスバイン(子)は肖像画に主力を注ぎ、英国のヘンリー8世に仕えるようになる。彼がこの部屋のもう一人の登場人物でしょうか。宗教に関する歴史を振り返って、フリック氏は生きていたのでしょうか?
メトロポリタン美術館The METにもハンス・ホルスバイン(子)の肖像画の傑作《Portrait of a member of the Wedigh Family, probably Hermann Wedigh 》が展示されていた。ケルンのWedigh家の紋章。彼は、Hermann Wedigh IIIとしばしば称せられ、商人でロンドンのハンザ同盟貿易会社のメンバーだったと説明がある。ハンス・ホルスバイン(子)は、ドイツ人というよりは、米国人にとっては、あこがれの本国である英国絵画の巨匠なのでしょう。
どのハンス・ホルスバイン(子)の作品も堂々たる人物表現、豪華な衣装の再現がすばらしいです。
アルテ・ピナコテークには、ハンス・ホルスバイン(子)の作品は、たぶん展示されていないのでは。その代わりドイツで生まれ、バーゼルで死去したハンス・ホルスバイン(父)Hans Holbein d. Ä. (1465 - 1524)の宗教絵画《St. Sebastian Altar; Central panel: Martyrdom of St. Sebastian 》(1516)が展示されています。ちょうどルターの宗教改革のはじまる前年の作品です。
*1 つまらない話ですが、左右対称に額を飾るというのは、インテリアの基本のようです。某家具店の人に家具を説明していただきながら教えていただきました。そんなことをいっても、気に入った絵でもポスターでも、2枚対にして飾るのは並大抵のことではないのですが。
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今回のフリック・コレクション。また次回は別の部屋の別の作品に感動するとおもうが、ブーシェの部屋、フラゴナールの部屋に並んで感動したのは、広間(リビングホール)Living Hall。その荘厳な部屋は、建築家トーマス・ヘイスティングスとインテリア・デザイナーのチャールズ・アロムの最高傑作のひとつに数えられるという。天井のデザイン、部屋の壁材、家具や暖炉、シャンデリア、絨毯はいうまでもない。
まず、入って目に入るのは、暖炉上のエル・グレコEl Grecoの作品《聖ヒエロニムス》St. Jerome(1590-1600頃)。聖書をラテン語に翻訳した人物。やせこけた顔と白いあごひげ。そして暖炉をはさんで、対称にハンス・ホルスバイン(子)Hans Holbein the Younger(1497/98-1543)の肖像画が飾られている。*1 ユートピアの著者である《トーマス・モア》Sir Thomas More(1527)とイングランドにおける宗教改革の旗頭の《トーマス・クロムウェル》Thomas Cromwell(1532-3頃)。ヘンリー8世に仕えていて国王を英国国教会の首長とする首長令を拒んで首をはねられた《トーマス・モア》と首長令を支持した《トーマス・クロムウェル》を《聖ヒエロニムス》をはさんで対峙させるという緊張の走る部屋です。1517年のルターの宗教改革のためドイツでは宗教画家の仕事がなくなるという状況の中で、ハンス・ホルスバイン(子)は肖像画に主力を注ぎ、英国のヘンリー8世に仕えるようになる。彼がこの部屋のもう一人の登場人物でしょうか。宗教に関する歴史を振り返って、フリック氏は生きていたのでしょうか?
メトロポリタン美術館The METにもハンス・ホルスバイン(子)の肖像画の傑作《Portrait of a member of the Wedigh Family, probably Hermann Wedigh 》が展示されていた。ケルンのWedigh家の紋章。彼は、Hermann Wedigh IIIとしばしば称せられ、商人でロンドンのハンザ同盟貿易会社のメンバーだったと説明がある。ハンス・ホルスバイン(子)は、ドイツ人というよりは、米国人にとっては、あこがれの本国である英国絵画の巨匠なのでしょう。
どのハンス・ホルスバイン(子)の作品も堂々たる人物表現、豪華な衣装の再現がすばらしいです。
アルテ・ピナコテークには、ハンス・ホルスバイン(子)の作品は、たぶん展示されていないのでは。その代わりドイツで生まれ、バーゼルで死去したハンス・ホルスバイン(父)Hans Holbein d. Ä. (1465 - 1524)の宗教絵画《St. Sebastian Altar; Central panel: Martyrdom of St. Sebastian 》(1516)が展示されています。ちょうどルターの宗教改革のはじまる前年の作品です。
*1 つまらない話ですが、左右対称に額を飾るというのは、インテリアの基本のようです。某家具店の人に家具を説明していただきながら教えていただきました。そんなことをいっても、気に入った絵でもポスターでも、2枚対にして飾るのは並大抵のことではないのですが。