パウル・クレー
創造の物語
2006年6月24日から8月20日
川村記念美術館
「世界屈指のクレー・コレクションを誇る、ノルトライン=ヴェストファーレン美術館、シュプレンゲル美術館、フォン・デア・ハイト美術館というドイツの三美術館が所蔵する作品を中心に、国内外から精選された油彩、水彩、素描、版画など約150点を展観」という。今年2月に開催されたクレー展は、美術館。さらに昨年9月には、ミュンヘンのレーンバッハハウス美術館訪問(Paul Kleeについて別稿をおこすといって何もかいていなかった。)とこの一年でかなりの数のクレーの作品を鑑賞している。昔から数えれば、もっと多くの作品を見ているはず。
「光と絵」「自然と抽象」「エネルギーの造形」「イメージの遊び場」「物語る風景」という5つの側面から今回の展覧会は構成されている。決して、何年から何年まではある作風と分かれているわけではないが、彼のテーマは年代とともに「光と絵」「自然と抽象」「エネルギーの造形」「イメージの遊び場」に移ってきていることが判る。1933年のスイスへの亡命、病気により、また画風は変る。
どの作品も装飾のようであり、どの作品がよかったとコメントするのは難しい。あえていくつかの印象に残った作品を。
まずはごく初期の亜鉛エッチングの作品。24歳の頃から1年8ヶ月かけて10点を制作したという。そのうちの何点かが展示されていた。《互いに自分のほうが高位だと思っている二人の男が出会う》(1903)(シュプレンゲル美術館)この内省的な思考が晩年まで続く。ピカソのように爆発することもなく、セザンヌのようにひたすら技術を追求したわけではない。彼の物語を絵にしたいという思いが伝わってくる。
第1章「光と絵」のテーマへ。《ある庭園の思い出》(1914)(紙、水彩・鉛筆、厚紙に貼付)(ノルトライン=ヴェストファーレン美術館)彼が北アフリカ、チュニジアを旅する直前に描かれたと推定される。色彩画家としても飛躍的に腕を上げていった時期の作品。この頃から画面を色彩で分割するようになるが、あくまでも対象があってそれをイメージして画面を色彩分割をしていっている。《はじめに光ありき》(1918)(紙、水彩・ペン、厚紙に貼付)(フォン・デア・ハイト美術館芸術協会)では、光そのものがテーマになっている。
第2章「自然と抽象」。《ある庭園の思い出》ですら、庭園の抽象化だが、《破壊の町》(1920)(厚紙にアスファルト下地、油彩)(長島美術館)は第一次世界大戦の抽象化だろうし、《測量された区画》(1929)( 紙、水彩・鉛筆、厚紙に貼付)(ノルトライン=ヴェストファーレン美術館)は、1928年末から翌年にかけたエジプト訪問が題材。
第3章「エネルギーの造形」。すこし画面にダイナミズムのある一連の絵がこのテーマで展示されている。《野いちご》(1921)(紙、水彩・鉛筆、切断し再接合、グワッシュ・ペンで縁取り、厚紙に貼付)(ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館)とか、他の作家の作品に比べればほんの小さなエネルギーです。カンディンスキーが音楽を題材にしたのに比べると、あくまでも視覚に基づく絵画です。
第4章「イメージの遊び場」。アフリカ文化の影響のみてとれる《黒い殿様》(1927)(麻布に油性下地、油彩・テンペラ、オリジナル額)(ノルトライン=ヴェストファーレン美術館)。ピカソと比べると、なんと洗練された自文化への融合でしょうか。逆説的にいうとあくまでも自分の文化を守っている作品でしょうか。
第5章「物語る風景」。《赤いチョッキ》(1938)( 黄麻、糊絵具、合板に貼付)(ノルトライン=ヴェストファーレン美術館)赤いチョッキの人物はいません。ピンクです。何を意味しているのでしょうか?「赤いチョッキ」の人物は隠れている。そして今回の展覧会の最晩年の作品は、《隣の家へ》(1940)( 紙、糊絵具、厚紙に貼付)(シュプレンゲル美術館)。隣の家に行こうとするが壁がたくさんあってなかなか辿りつかないと思えます。なんて寂しい絵でしょうか。
(15日)
P.S.
20日にSFMOMA(San Francisco MOMA)で2点の晩年の作品をみた。(他にもエッチングの作品が数点展示されていた。)
Blue Core(1940), At the beginning of the Party(1940)。前者は、画面の中央に青いコアがある抽象画。後者は、これからパーティが始まるというが、何をしているかよくわからない人物が描かれていた。
P.P.S
今回の図録、「クレー ART BOX 線と色彩」(ベルン・クレー・センター開館記念」、レーンバッハハウス美術館の図録は購入してあるのでよく眺めたいとは思います。
創造の物語
2006年6月24日から8月20日
川村記念美術館
色彩と描線の詩人、クレーの本格回顧展
果敢な造形上の探求と詩情あふれるイメージが交錯する、パウル・クレー(1879-1940)の絵画。リズミカルに色分けされたパッチワークのような画面に、お伽の国を思わせる街や奇妙な姿の生き物、あるいは文字や記号めいた形を配列する神秘的な作風で、ピカソやマティス、ミロなどと並んで20世紀のモダン・アートを象徴する巨匠の一人となりました。
誰にでも親しみやすいクレーの絵画ですが、そこには画家の心を占めていた多様な要素が複雑に織り込まれています。皮肉な人生観、音楽と文学に対する造詣、自然現象や人智学への興味、古い時代へのあこがれ、画材に対する職人のように誠実な取り組み、そして何よりも、新しい造形言語の創造への熱意――こうしたクレーの幅広い関心が交差する「場所」として、奇跡のように生み出された作品群は、時を越えて見る者を魅了し続けているのです。
本展では、それぞれ世界屈指のクレー・コレクションを誇る、ノルトライン=ヴェストファーレン美術館、シュプレンゲル美術館、フォン・デア・ハイト美術館というドイツの三美術館が所蔵する作品を中心に、国内外から精選された油彩、水彩、素描、版画など約150点を展観します。初期の風刺的な線描画から、ナチスに迫害され病魔と戦いながら制作に励んだ晩年まで、「光の絵」「自然と抽象」「エネルギーの造形」「イメージの遊び場」「物語る風景」という5つの側面から、クレー芸術に潜む奥深い多様性に迫ります。
「世界屈指のクレー・コレクションを誇る、ノルトライン=ヴェストファーレン美術館、シュプレンゲル美術館、フォン・デア・ハイト美術館というドイツの三美術館が所蔵する作品を中心に、国内外から精選された油彩、水彩、素描、版画など約150点を展観」という。今年2月に開催されたクレー展は、美術館。さらに昨年9月には、ミュンヘンのレーンバッハハウス美術館訪問(Paul Kleeについて別稿をおこすといって何もかいていなかった。)とこの一年でかなりの数のクレーの作品を鑑賞している。昔から数えれば、もっと多くの作品を見ているはず。
「光と絵」「自然と抽象」「エネルギーの造形」「イメージの遊び場」「物語る風景」という5つの側面から今回の展覧会は構成されている。決して、何年から何年まではある作風と分かれているわけではないが、彼のテーマは年代とともに「光と絵」「自然と抽象」「エネルギーの造形」「イメージの遊び場」に移ってきていることが判る。1933年のスイスへの亡命、病気により、また画風は変る。
どの作品も装飾のようであり、どの作品がよかったとコメントするのは難しい。あえていくつかの印象に残った作品を。
まずはごく初期の亜鉛エッチングの作品。24歳の頃から1年8ヶ月かけて10点を制作したという。そのうちの何点かが展示されていた。《互いに自分のほうが高位だと思っている二人の男が出会う》(1903)(シュプレンゲル美術館)この内省的な思考が晩年まで続く。ピカソのように爆発することもなく、セザンヌのようにひたすら技術を追求したわけではない。彼の物語を絵にしたいという思いが伝わってくる。
第1章「光と絵」のテーマへ。《ある庭園の思い出》(1914)(紙、水彩・鉛筆、厚紙に貼付)(ノルトライン=ヴェストファーレン美術館)彼が北アフリカ、チュニジアを旅する直前に描かれたと推定される。色彩画家としても飛躍的に腕を上げていった時期の作品。この頃から画面を色彩で分割するようになるが、あくまでも対象があってそれをイメージして画面を色彩分割をしていっている。《はじめに光ありき》(1918)(紙、水彩・ペン、厚紙に貼付)(フォン・デア・ハイト美術館芸術協会)では、光そのものがテーマになっている。
第2章「自然と抽象」。《ある庭園の思い出》ですら、庭園の抽象化だが、《破壊の町》(1920)(厚紙にアスファルト下地、油彩)(長島美術館)は第一次世界大戦の抽象化だろうし、《測量された区画》(1929)( 紙、水彩・鉛筆、厚紙に貼付)(ノルトライン=ヴェストファーレン美術館)は、1928年末から翌年にかけたエジプト訪問が題材。
第3章「エネルギーの造形」。すこし画面にダイナミズムのある一連の絵がこのテーマで展示されている。《野いちご》(1921)(紙、水彩・鉛筆、切断し再接合、グワッシュ・ペンで縁取り、厚紙に貼付)(ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館)とか、他の作家の作品に比べればほんの小さなエネルギーです。カンディンスキーが音楽を題材にしたのに比べると、あくまでも視覚に基づく絵画です。
第4章「イメージの遊び場」。アフリカ文化の影響のみてとれる《黒い殿様》(1927)(麻布に油性下地、油彩・テンペラ、オリジナル額)(ノルトライン=ヴェストファーレン美術館)。ピカソと比べると、なんと洗練された自文化への融合でしょうか。逆説的にいうとあくまでも自分の文化を守っている作品でしょうか。
第5章「物語る風景」。《赤いチョッキ》(1938)( 黄麻、糊絵具、合板に貼付)(ノルトライン=ヴェストファーレン美術館)赤いチョッキの人物はいません。ピンクです。何を意味しているのでしょうか?「赤いチョッキ」の人物は隠れている。そして今回の展覧会の最晩年の作品は、《隣の家へ》(1940)( 紙、糊絵具、厚紙に貼付)(シュプレンゲル美術館)。隣の家に行こうとするが壁がたくさんあってなかなか辿りつかないと思えます。なんて寂しい絵でしょうか。
(15日)
P.S.
20日にSFMOMA(San Francisco MOMA)で2点の晩年の作品をみた。(他にもエッチングの作品が数点展示されていた。)
Blue Core(1940), At the beginning of the Party(1940)。前者は、画面の中央に青いコアがある抽象画。後者は、これからパーティが始まるというが、何をしているかよくわからない人物が描かれていた。
P.P.S
今回の図録、「クレー ART BOX 線と色彩」(ベルン・クレー・センター開館記念」、レーンバッハハウス美術館の図録は購入してあるのでよく眺めたいとは思います。